第55話 帰還、謎の来訪者

 とりあえず、結果から話そう。

 俺は帰りの道中で、ダリアをどう誘っていいか全く分からず、結局屋敷の近くまで到着してしまった。


 一応ながら、頭の中でシミュレートはしていたのだ。

 どのように誘えば自然か。おっさんが誘ってくることをキモがられないために、どのような言い回しが良いか。どんなお菓子なら無難か。そのあたりのことを一生懸命考えたのだ。

 考えた結果。

 俺は屋敷に到着するまで、ダリアを誘うことができなかった。

 ヘタレと罵りたければ罵るがいい。


「そろそろ到着しますよ、ソル様」


「え、ええ。わ、わざわざ馬車を操縦してくださって、ありがとうございます……」


「いえ、私の仕事ですから。それに、こうしてお出かけするのも時にはいいものです」


「……そう言っていただけると、助かります」


「あ、仕事でないと行かないというわけではありませんよ。別に仕事でなくても、ソル様が気分転換など行いたいときには、ご遠慮なくどうぞ。そのときには、馬車を用意させていただきます」


「え、ええ……」


 ダリアは、多分優しさでそう言ってくれるのだと思う。

 だが正直、俺は対人関係能力に欠けていると自分でも分かるくらいだ。今日も『グリッドマン工房』でヨハンと話したけれど、終始俺は手汗をかきっぱなしだった。まだ、緊張が震えに出ないだけマシだと思おう。

 そんな俺にとって、最も過ごしやすいのは自室だ。自分の家だ。自分の領域だ。つまり、気分転換に別のことをすることがあったとしても、外に出たいとはそもそも思わない。

 そう考えれば、フィサエルの都市長に「引きこもりのおっさん」と蔑まれたのも、あながち間違ってはいなかったのかもしれない。


「おや……」


 そんな、屋敷の玄関が近くに見えた頃合い。

 ふと御者台の上で、ダリアがそう呟くのが聞こえた。


「えっ、な、何かありましたか?」


「いえ……屋敷の入り口に、侯爵家のものではない馬車が停まっていましたので」


「……そうなんですか?」


「私は今のところ、本邸の担当を外れているので分かりませんが……恐らく、来客でしょう。ルキア様は、立場もあってお忙しいので」


「はぁ……」


 まぁ、侯爵といえば王国でも上位の貴族だ。

 ご機嫌伺いをする他の貴族もいるだろうし、意見を聞きにやってきた官僚などもいるだろう。そのあたり、俺には全く分からないことである。

 なんかルキアから、将来的には名誉伯爵位を与えるとか言われた気がするけれど、貴族の云々とか俺にはさっぱり分からないあたり、どうすればいいのだろう。多分、全部ルキア任せになる気がする。

 そんな馬車の隣を、ゆっくりとダリアの操る馬車が通って。


「――っ!!」


 そう、ダリアの。

 声にならない声が、俺にも聞こえた。

 そして同時に、俺も目を見開く。そこに停められた馬車――ノーマン侯爵家のそれよりも、さらに豪華な作りのそれに刻まれた、俺でも知っている刻印に。


「こ、これは……」


「王家……!」


 ネードラント王国の、王家の紋章。

 俺もたまに、新聞でちらっと見る程度のものだ。当然、その実物を見るのは初めてである。

 翼を広げた、頭が二つある大鷲――それが王冠を掴んでいるという、芸術的な紋章。


「ルキアさんは……本当に、凄い方なんですね……」


「……」


「まさか、王家から直接使者が来るとは……」


 俺は正直、そんな言葉を漏らすことしかできない。

 侯爵閣下といえば偉い人という認識はあるけれど、ルキア自身がフレンドリーなせいで忘れがちになってしまう。彼女も、間違いなく高位貴族の一人なのだ。

 それこそ、王家から使者が来てもおかしくはないくらいに。


「……ダリアさん?」


「あ……い、いえ、すみません。少し、驚いてしまって」


「え?」


「私もノーマン家に仕えて長いですが……王家の馬車を見たのは、初めてですから」


「そ、そうなんですか?」


 高位貴族だし、王家から使者が来るのも珍しくないんだろうな、と思っていたんだけど。

 まぁ、王家がそうそう使者を派遣したりはしないわな。


「はい。貴族家の直轄領は、それぞれの貴族家の自治権に任されています。税率も自由ですし、領内で問題が起こっても領主が対応しなければなりません。ですので……ルキア様も半期に一度は王都を訪れて、収支などについて王家に報告するだけです。わざわざこの屋敷まで、王家から使者が来るというのは珍しいというか……」


「そう、なんですか……」


「それこそ領内に何か、王家が関与するべき問題が発生したとか……」


 あ、とそこで閃いた。

 王家からの使者が来ている、その理由について。


「ダリアさん、少し思ったんですが」


「はい?」


「もしかすると……大結界の話を聞きに来たんじゃないですか? ルキアさんは封印都市の結界について、王家にも奏上していたという話をしていましたが、実際に崩壊したわけですから」


「ああ!」


「ザッハーク領とノーマン領の現状について、王家が自ら事情を確認しに来たんだと……」


「ええ……ソル様、確かにその可能性が高いですね」


 俺に向けて、にっこりと微笑んでくるダリア。

 まぁ、あながち間違ってはいないと思う。封印都市の大結界が崩壊したことは、普通に考えれば国が滅ぶ大事件だ。ザッハーク領からノーマン領の境界に新しい大結界を築いていなければ、恐らくノーマン領も蹂躙され、そのまま魔物たちは王都まで下っていただろう。

 それを未然に防いだのが、当代侯爵であるルキアなのだ。王家からは、賞賛されて然るべきだと思う。


「なるほど……でしたら、お褒めの言葉かもしれませんね」


「ルキアさんなら、お褒めの言葉よりも実利を求めそうですけどね。勲章よりもこちらが欲しいのは、当面の難民への支援なのだよ、みたいな風に」


「あはは。確かに、ルキア様ならそう言いそうです」


 俺のそんな冗談に、ダリアが笑う。

 うん、まぁつい口を出てしまった冗談だったが。おっさんになると、なんかつい思いついたつまらないことを言ってしまうようになるんだ。もうこれは反射的に。

 愛想笑いを返してくれて良かった――そう、俺が安堵して。

 馬車が、侯爵家の門を抜けた、次の瞬間。


「……後悔することになりますよ、ノーマン侯」


「残念だが、わたしから言えることは一つだ。『おととい来やがれ』。わたしは物理的に、一昨日やってくる方法を知らないがね」


「その言葉、一言一句違わず報告させていただきます」


「好きにするがいい。わたしは、わたしに恥じるところは一つもない」


 何故か――そう、諍いを起こしている二人の声。

 えっ、と俺は思わずそちらに注目する。

 当然ながら、屋敷を背にしてそう言っているのはルキアであり、その正面に立っているのは、恐らく使者だろう男性だ。その背後に、二人の護衛を控えさせている。

 そんな使者が、口論は終わりだとばかりに踵を返し、俺の乗っている馬車の隣を抜けて、足早に去ってゆく。

 どうやら、何かしらの交渉が決裂したらしいが――。


「ん……ああ、ダリアにソル君か。出かけていたのかい」


「ルキア様……?」


「ふむ。そうだね……ソル君にも事情を説明しておくべきかもしれない。本邸の客間に招待しよう。少々、面白くない話を聞いていくといいよ」


 とりあえず、その言葉を聞いて俺に分かったことは。

 何かやばいことが起こっている、ということだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る