第33話 今やれることを

「先輩っ!」


「ソル様!」


 ルキアが山を下りてそのまま暫く、俺は一人で山の上にいた。

 その間、俺がやっていたのは大結界発生装置――その状態についての確認だ。四つ目の全てを確認し、その上で一番目からもう一度確認を行った。その結果、魔術式の一部に損傷がみられている部分が二つほど見つかったため、その部分に対して暫定的に措置を行った。


 そして、入れ替わりにやってきたのは御者としてやってきたダリアと、その馬車に乗っているカンナの二人だった。


「ソル様、あの音は……!」


「ダリアさんも、聞きましたか」


「は、はい。ルキア様から、あれは大結界の崩壊した音だと……!」


「ええ、その通りです。ですが……まだ、そんなに焦らなくても、大丈夫です」


 不安そうなダリアに、そう声を掛ける。

 実際、封印都市の現状は分からないけれど、ノーマン領はまだ無事だ。《魔境》の瘴気がやってくるまで時間もあるだろうし、ルキアが名付けたラヴィアス式新型ノーマン大結界マークⅡは、最終調整の段階に入っている。

 このまま最終調整さえ終われば、すぐにでも大結界を起動できるはずだ。

 もっとも――それがまだ、確実にいつ起動できるかは見えないけれど。


「カンナ」


「先輩! ひとまず、実際に発動された大結界に対するレポートっす!」


「ああ。早速作業に入るぞ」


「はい! 殴り書きなんて読みにくいと思うっすから、口頭で説明するっす。一号機七十八番、二号機二十七番と四十八番、三号機百十二番、四号機十七番と三十二番と五十五番に不備がみられたっす」


「……了解。一号機七十八番、四号機十七番については修正済みだ。カンナは二号機の方を調べてくれ」


「うす!」


 カンナに簡単に指示を出して、俺もまた大結界発生装置へと向かう。

 一号機七十八番、というのは新型大結界を構成する四つの発生装置――その中でも最も東に位置しているものを一号、最も西に位置しているものを四号、とした暫定呼称だ。そしてそれぞれ百二十番までナンバリングしているのが玻璃の板で構成された、大結界発生装置の中心となるものである。

 極めて端的に、こちらに必要な情報だけを寄越してくれるカンナは、やはりルキアに頼み込んだ価値のある人材だ。もしカンナがいなければ、この最終調整ももたついていただろう。

 俺は手早く、カンナから言われた箇所――三号機百十二番の部分を確認する。


 今何をしているのかというと、実際に起動した大結界の発生装置と、照射された方の大結界――その両方に齟齬が発生していないかの確認だ。

 発生装置の方は俺が二度の確認を行っており、それで発見できた不備は一号機七十八番、四号機十七番の二つである。こちらは魔術式が僅かに掠れてしまって、《拒絶》の魔術式がうまく起動していなかったのだ。

 頭の中だけで、自分の中にあるマニュアルを捲る。

 二十二年も大結界の管理をやってきた俺だからこそ分かる、様々なトラブルに対しての対処法だ。何せエルフは管理方法に関するマニュアルなんて残していなかったため、先達の職員に習ったこと、自分自身で経験したこと――そういった内容を頭の中に残しておくしかなかったのだから。

 その中には、『発生装置が正常に作動しながらも、大結界が正常に照射されない』場合の項目も、当然ある。


「ここか……!」


 魔術式の欠損を見つけて、俺はそこに上書きを行う。

 どうしても繊細な作りであるため、僅かな掠れやずれによって、正常に作動しないこともあるのだ。しっかり集中して作ったとはいえ、それでも人間の行う仕事である以上、少なからず異常というのは発生する。

 だが、こうしてカンナと共に同時にチェックを行っていくことで、そんな異常や不備をすぐに発見できる。本当に、心からカンナがいてくれて良かった。


「先輩! これ、やばいっす!」


「どうした!」


「二号機の二十七番、罅が入ってるっす!」


「交換する資材はある! お前はチェックを続けてくれ! 交換は俺がやる!」


「承知っす!」


 カンナに向けて、そう命令を下す。

 玻璃の板は衝撃に弱いと知っているし、そのために交換する材料は幾つか持ってきている。だけれど、魔術師たちに作らせた玻璃の板はぎりぎりの数だけだから、ここで新たにまた作る必要があるだろう。

 だが玻璃の板に刻むべき魔術式など、俺の頭の中に全部入っている。それこそ、一時間もかからずに作ることができるだろう。


「二号機四十八番、修正完了っす!」


「よし! こっちは三号機百十二番を修正した!」


「はい! そっち行くっす!」


「おう!」


 伝えて、即座にカンナと場所を入れ替える。

 カンナは本当に、言葉足らずでも伝わってくれるから助かるというものだ。これが他の魔術師だったりした場合、「修正したからちゃんと魔術式が起動しているかどうかを、もう一度別の目で確認してくれ」と伝えなければならない。

 本当に、頼りになる相方だ。


「三号機百十二番、問題なしっす!」


「了解。二号機四十八番、少しずれがあるぞ」


「えっ! 本当すか!?」


「見てみろ。ほらここの魔術式……」


 とてとてっ、とやってきたカンナに対して、俺は魔術式の一部を示す。

 かなり詳細に調べなければ気付かないほどのずれだが、この小さなずれが今後大きく作用することだってあるのだ。特にこれが《保持》の魔術式だったらそこまで細かくは言わないけれど、《拒絶》という強い力を持つ魔術式である。

 入念に緻密に綿密を重ねて、なお足りない。


「えっ……どこすか?」


「だから、ここだっての」


 俺の肩越しに、魔術式を見てくるカンナ。

 当然、限りなく小さな部分を二人で確認している状態であるため。


 むにょん、と背中に何かあたった。


「……」


「え、どこすか? あたし全然見えないんすけど」


「い、いや、だから……」


「えぇと……」


 しっかり見ようと、ずいっと前に出てくるカンナ。

 それと共に、むにょんも同じく前に突き出てくる。

 落ち着け俺。これはカンナだ。俺が一切女扱いしていないカンナだ。意外とご立派なものをお持ちでとか思っちゃいけない。


「あー! なるほど! 分かったっす!」


「……分かって、くれたか?」


「それじゃ、こうすればいいすか?」


 カンナが魔術式に対して手を伸ばす。

 手を伸ばしたということは、当然ながら体を支えている部位が一つなくなるということだ。そして支えている部位がなくなるということは、むにょんの勢いがさらに強くなるということである。

 僅かなずれを修正して、カンナが完璧な魔術式を描く。

 これで問題はないだろう。


「これで大丈夫っすね」


「ああ。それじゃ、ついでに罅の入ったところを交換するから、そこの袋を取ってくれ」


「うす、これっすね」


 カンナから渡された袋を、座ったままで受け取る。

 しかし同時に、カンナが僅かに首を傾げた。


「でも先輩、先に四号機のチェックからした方がいいんじゃないすか?」


「……そっちはお前に任せる。俺は、こっちの作業をするから」


「……? はぁ。承知っす」


 ふぅ、と大きく息を吐く。

 集中集中。とりあえず、立てるようになるまで落ち着くついでに、しっかり作業をしなければ。


 ……。

 何か背後からプレッシャーを感じるんだけど、気のせいか?

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