第34話 ノブレス・オブリージュ
ルキア・フォン・ノーマンは、いつ大結界が崩壊してもいいように準備を進めてきた。
勿論、ルキアとて大結界の崩壊を望んでいたわけではない。封印都市で今後とも《魔境》を防いでくれるのならば、それが一番だと考えていた。そして大結界の崩壊を防ぐために、彼女なりに出来ることはやってきた。
封印都市の都市長ジーク・タラントンにも注意を促したし、今後大結界が崩壊する可能性が強いことを文で伝えた。
そして封印都市を有するザッハーク侯爵領の領主、リファイル・ザッハーク侯爵にもルキア自身が注意喚起を行った。今後、封印都市の方で大結界の崩壊が起こる可能性がある、と。
その結果は、どちらも同じだった。
偉大なるエルフの作った大結界が壊れるなど、そんな根も葉もない嘘で領民を惑わすわけにはいかない、との答えだった。
だからこそ、ルキアは水面下で準備を整えてきた。
封印都市、ならびにザッハーク領はもう終わりだと、そう確信すら覚えながら、準備を進めてきた。
今後入れなくなるであろうザッハーク領から、仮設住宅を作るための資材を買い漁って、いつでも作れるための人員も用意した。その上で、資材の料金の支払いは来月に行うという念書を書いている。ルキアの計算では来月にはザッハーク領が存在しなくなるため、踏み倒せるという腹だ。
そして何より、ソル・ラヴィアス、カンナ・リーフェン――この二人を雇ったことによる、新たな大結界の構築。
ルキアの予想よりも早く大結界が崩壊したけれど、それでも間に合う算段にはなっている。
「業者の方に、仮設住宅の建設を急がせるように伝えろ。また、ライフラインが滞らないように備蓄の方の管理をしておけ」
「はっ」
ルキアが秘密の丘から屋敷に戻った時点で、そこには大勢の人が押し寄せていた。
ルキアの雇っている私兵団の団長だったり、町を任せている町長だったり、領主議会所に務める事務官だったり、様々な人物が。
その全てが、ルキア・フォン・ノーマンというこの領地における最高権力者の彼女に、指示を仰ぎにやってきたのだ。
「その……領主様、町民たちの方が、かなり不安になっております。《魔境》が解き放たれたと、騒ぎになっておりまして……」
「ひとまず、ノーマン領については問題ないと周知させておけ。万全の準備を整えている。《魔境》がノーマン領へと浸蝕してくることはない」
「でしたら、そう触れを……」
「きみの方から、町民たちに伝えてくれ。普段はいないわたしの言葉よりも、町長であるきみから伝えた方が信頼が増すことだろう」
「承知いたしました」
並んでいる先頭――そこにいた町長に、短くそう指示を出す。
だが、万全の準備を整えているとは言っているけれど、ルキア自身も不安は少なからずある。
本当に人間の作った大結界で《魔境》の浸蝕を防ぐことができるのか。
本当に大結界は上手く作動してくれるのか。
このあたりは全てをソルに任せているため、ルキア自身もその効果について確信を抱いていないのだ。
「いいか、皆落ち着け。わたしはこの日のために、新たな大結界を構築した。現在は最終調整に入っているが、数日のうちには起動する予定だ」
「おぉ……!」
「領民たちには、いつも通りの生活を送るように伝えておけ。何も心配をする必要などない。明日も日は昇り、日は沈む。誰もが変わらぬ今後の人生を歩むことができる。ただしそれは、不用意にザッハーク領へと向かう者がいなければの話だ」
しかし、ルキアはそう強く領民たちの代表へと告げる。
ルキアが少しでも不安を覚えてしまえば、その不安は民衆に伝播するだろう。そして誰もが大結界の崩壊に絶望し、狼藉を働く者が現れてしまったときこそが、ノーマン領の崩壊するときだ。
ゆえに、ルキアは告げる。
何の問題もない、と。
「今後、流民が増える。増えた領民の目録を作るように」
「はっ! 当座の食糧などは……」
「備蓄を開放する。そして、流民についてはある程度の免税を認めよう。町長、有力者に掛け合って、小作人として流民を雇うことができるように働きかけてくれ」
「承知いたしました」
「それから、町は封鎖しろ。流民の受け入れは、基本的に町の外で行う。行商人などが滞在している場合も、一定期間の住居を約束した上で留めるように」
「はっ!」
的確に指示を出しつつ、ルキアは考える。
現状で、ルキアが最もしなければならないことは何か。それはザッハーク領からやってくるだろう流民を受け入れると共に、ノーマン領の領民たちの安寧を確保することだ。
ひとまず流民は町の外で受け入れて、町の外に建てた仮設住宅に暮らしてもらう。その上で彼らの様子を見て、適宜町に受け入れていくという形だ。
下手に全てを町の中に囲ってしまうと、それだけで暴動が起こる火種になる。
ゆえに、その管理は厳しく行うべきなのだ。
「シュレーマン団長、私兵団を全て率いて、ザッハーク領との境界へ急げ。また、街道での検問を」
「うす。承知いたしました」
「魔術師を何人か連れて行け。街道で検問を行い、ザッハーク領からの流民だと確認した場合、奴隷紋の受け入れを行わせるように」
「えっ……ど、奴隷紋ですか?」
ルキアの信頼している私兵団の団長――シュレーマンが、そう眉を寄せる。
その反応も仕方ないだろう。何せ奴隷紋とは、生きている人間をそのまま奴隷にする魔術なのだ。この紋がある限り所有者に逆らうことはできず、逆らおうと心で思っただけでも激痛が走るという代物だ。
ゆえに、奴隷紋。
それは刻まれているだけで、人間以下の証となる紋章なのだ。
「ああ。ただし、罪を犯さなかった場合、一年で紋を解除すると伝えろ。何せこちらは、居場所を失った者を受け入れるのだ。そのくらいの保険は掛けて当然だ」
「……承知いたしました。断った者は?」
「速やかにザッハーク領へ戻るよう伝えろ。《魔境》の魔物に食われるか、奴隷紋を刻まれるか、どちらがいいか選んで構わん」
「……分かりました。全員、奴隷紋を選ぶでしょうね」
誰だって、命は惜しい。
そして命を救ってくれるのならば、多少の不自由には従うだろう。
これで何も考えずに受け入れた場合、領地の中で流民が賊徒と化す可能性もある以上、念には念を入れてなお足りない。
ルキアの『
「それから……貴族などの権力者が逃げ延びてきた場合、奴隷紋を刻む必要はない。そのまま通して、わたしのもとへ連れてこい」
「貴族や、都市長とかですかい?」
「そうだ。権力者はそのまま、わたしのもとに連れてきていい」
「なるほど」
ザッハーク領とて、権力者がいないわけではない。
ザッハーク侯爵もそうだし、侯爵に従う下位貴族も幾つかあるだろう。そして立場的には名誉貴族と同じ権力を持つ都市長なども、権力者という括りの中に入る。
そういった者は、全て奴隷紋を刻むことなく、受け入れる。
「それで、どうするんですかい?」
「決まっているだろう」
ルキアは『
されど。
「下手に権力者が生き残れば、反乱の火種になる。全員、速やかに斬首だ」
決して、優しくはない。
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