第31話 封印都市の現状-絶望-

「な……な……!」


 封印都市フィサエル都市長ジークは、目の前で起こっていることが理解できなかった。

 古代のエルフが作った、永遠にそこに存在しているはずの大結界。それが、跡形もなく消滅していたのだから。

 それと共に、まるで地響きのように聞こえてくる魔物の叫び声。

 窓硝子を震わせるようなその響きは、まるで地獄がこの世に具現化したかのような――。


「と、都市長っ! だ、大結界がっ!」


「な、何、なんだ、これは……っ!」


「都市長っ! こ、このままではっ、市民がっ!!」


 フランクの叫び声も、ジークの耳には届かない。

 ただ信じられない光景に、開いた口が塞がらない。同時に、体に震えが走る。

 絶対に問題ない、永遠に封印都市に存在し続けるはずの大結界が。

 壊れた――。


「都市長っ! くっ……だ、誰か! 誰かいないか! 都市放送の準備を!」


「……」


 フランクが部屋を出て行っても、ジークは動かない。

 ただ、かつて大結界があった場所――そこから、漆黒の瘴気と共に進軍する魔物たちを見ながら、震えることしかできなかった。

 雲魔龍クラウドドラゴンが優雅に空を飛び、単眼鬼キュクロプスが一つ目で睨みつけ、森巨人フォレストジャイアントが家族連れで歩く――今まで、大結界の向こうで見ていた、日常の光景。観光客が楽しんでいた、《魔境》でしか見られなかった姿。

 恐れ戦き、逃げ惑う市民たち。そんな市民たちを森巨人フォレストジャイアントが掴み、そのまま囓る。雲魔龍クラウドドラゴンの吐いたブレスに、市民の集団が吹き飛ばされる。

 単眼鬼キュクロプスが市民の家を破壊し、火炎龍ファイアドラゴンが施設を焼き焦がす。腐食龍ファフニールの触れた木々が腐り落ち、牛頭鬼ミノタウロスの振るう斧に市民が両断される。

 これを、地獄と呼ばずして何と呼ぼう。


「あ、あ……」


 ジークは、頭を抱える。

 今まで、ジークは上手くやってきた。前都市長に気に入られるようにすり寄り、ライバルを蹴落とし、副都市長という座を手に入れた。その後、前都市長の死をきっかけに、都市長の市民投票が行われ、最多票で都市長として任じられた。

 都市長となってからも、今度はザッハーク侯爵閣下に気に入られるためにすり寄り、点数を重ねていった。部下の功績は自分の功績で、自分の失敗は部下の失敗――それを繰り返して、自分の評価を上げることに邁進してきた。


「何故、だ……」


 そんなジークが大結界の維持管理部を解体したのは、理由があってのことだ。

 まず、ジークが副都市長に就任した時点で、維持管理部は縮小した。前都市長から反対はあったが、予算の関係上仕方ないとごり押して、縮小を続けたのだ。

 十年前には五人いた部署を、二人まで縮小した。

 だが、どれほど人員を削っても、大結界は問題なく稼働している。ならば最初から、五人もの人数はいらなかったということだろう。そこで最後の一人になるまで縮小し、三年が経ったが、やはり大結界には何の問題もなかった。

 つまり最初から、大結界の維持管理部など必要なかった――ジークは、そう判断した。

 だから、最後の一人――都市庁でも『引きこもりのおっさん』と名高かったソルを、解雇した。


 それで、何の問題もないはずだったのだ。

 何事もなく、これからも大結界は存在し続けるし、ジークは都市長として高い評価を受け続けるはずだったのだ。

 だというのに。

 大結界が破壊された――それは、どう考えてもジークの責任問題となる。


「まさか、あいつが……?」


 フランク曰く、ノーマン領にいるというソル・ラヴィアス。

 確かに一年前、大結界に穴が空いたという報告と共に、その穴を塞いでみせたのはソルだった。

 維持管理部で引きこもっていた男とはいえ、少なからず大結界には通じていた男だ。そんな彼が今、ノーマン領で雇われている、その理由。

 まさか――。


「あの男が、何か罠を仕掛けたというのか……っ!?」


 ソルが、解雇された逆恨みに、大結界を弄ったのではないか。

 その結果、本来ならば永遠に稼働するはずの大結界が、こうして壊れてしまったのではないか。いいや、そうに違いない。

 全て、あいつのせいだ――ジークは、歯軋りと共に眉を寄せる。


「おいっ! 誰か馬車を用意しろ!」


「と、都市長っ!? い、今はそんな場合では!」


「いいから用意しろっ!」


 近くにいた職員へと、ジークは怒鳴りつける。

《魔境》の魔物たちは、じわじわと瘴気と共に都市の中へと侵入してきている。少なくとも、ここでじっとしていれば、いつかは魔物がやってくるだろう。そして、ジークに魔物と戦うスキルは何もない。

 この全てはソル・ラヴィアスのせいだ。だから、ソル・ラヴィアスが責任を取らなければならない。ソル・ラヴィアスに大結界の修繕をさせなければならない。ソル・ラヴィアスが全て悪いのだから――。

 そんな破綻した理論を頭に、ジークは都市庁から逃げ出す。


「都市長っ!」


「もういい! 放っておけ! 市民の皆さん! 落ち着いてください! まず皆さん、避難場所へ……」


 職員の言葉も、都市放送で市民に向けて声明を告げているフランクの言葉も、全て無視だ。

 ジークは都市庁を飛び出して、最も近くにあった馬車――その御者台に飛び乗った。

 こんな場所で死んでなるものか。

 こんなところで失態を犯してなるものか。

 誰かが「泥棒っ!」と後ろで叫んでいる声も無視して、ジークは馬車を走らせる。


「あいつが、あいつがっ! あいつが、悪いんだっ……!」


 腰が痛くなる安物の馬車に辟易しながら、街道をひた走る。

 同じように、封印都市から逃げ出している馬車も幾つか見える。そんな馬車同士が街道の上で接触して、背後で事故を起こしていた。

 しかし、ジークにそんなことは関係ない。

 とにかくノーマン領まで行く。そして、ソル・ラヴィアスを見つけ出す。


 あいつが、大結界を修復さえすれば。

 封印都市をまた元の姿にさえ戻せば、全て解決する。


「私が、失敗するわけがないっ……!」


 ジークはそう、妄執にも似た叫びを上げながら。

 馬に鞭を入れて、ノーマン領までひたすら街道を走らせた。

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