第20話 やりたい無理

「ふぅ……」


 八割方できた、魔鉄鋼ミスリルの枝――それを見て、俺は小さく息を吐く。

 この加工自体は、熟練の職人の手によるものだ。玻璃の板を嵌める場所は、寸分の狂いもなく設計されている。実際にルキアが用意してくれた玻璃の板を幾つか嵌めてみたけれど、するりと入りながら決してぐらつかない――それこそ紙一枚も入る隙間もないほどの精度で作られていた。

 だからこそ、これが失敗する場合があるとすれば、俺がミスをした場合だけだ。

 僅かな狂いでも、《拒絶》の魔術式が強く働くことがある。そこにずれを発生させないように、俺も一応細心の注意を払って行っているつもりだ。


「ソル様。玻璃の板をお持ちしました」


「ああ、ありがとうダリアさん。そこに置いてください」


「はい」


 そして、俺の方が八割方できてきたということは、玻璃の板も問題なく増産できているということだ。

 一つずつ魔術式の刻まれた玻璃の板を手に取り、魔鉄鋼ミスリルの土台に装着していく。《吸収》の魔術式は問題なく作動してくれているらしく、玻璃の板は特に抵抗もなくそこで固着した。

 俺の大結界についての知識、ルキアの資金力、魔術師たちによる分業、そして魔鉄鋼ミスリルの加工職人の腕――いずれも揃わなければ、このように円滑な作業はできないだろう。


「ソル様、少し休憩されませんか?」


「ん……もう、そんな時間ですか?」


「ええ。朝からずっと作業をなされておりますし」


 まだ昼には早いけれど、確かに少しくらい休憩してもいいか――そう考えて、首を鳴らす。ぽきぽきっ、と鳴るのはそこに疲労が溜まっている証拠か。

 目元を押さえつつ、土台から離れる。少し離れた位置に設置してあるテーブルの上に、湯気の立つカップが置かれていた。


「うむ、良い茶だ。まったく、ダリアがこちらに来てから、わたしのお茶の時間が貧相でならん」


「……何故いるんですか、ルキアさん」


 そして、何故かそこでカップを傾けながらお茶を味わっているルキアも。

 少し前から、割と入り浸っているんだけどこの人。俺のことそんなに信用してくれていないのだろうか。


「うむ。自慢ではないけれど、わたしは優秀でな」


「はぁ」


「領地に関わる全ての書類案件に目を通し、その上で指示を出した。次の案件が来るのは、明日になるだろう」


「はぁ」


「つまり、わたしの今日の仕事は終わったということだ」


「……」


 ただの暇人だった。













「それで、いつ頃完成する予定だろうか?」


「ええ……まぁ、もう粗方出来上がってはいるんで、もう一週間もあれば完成するかと」


 俺がこの自宅作業を始めて、もう三週間が経つ。

 起きて自宅の職場に赴き、夜までやってから部屋に戻る。途中の食事休憩は自宅の食堂――という、なかなか慣れないことをしてきたわけだが、大分目処は立った。

 ふむ、とルキアはそんな俺の返答に対して、見上げるように俺を見てきた。


「ちゃんと眠っているのかい? ソル君」


「……え、ええ、眠っていますよ」


「わたしは質問をした。それに対して、きみは答えた。つまり、それは真実だと受け取っていいということだね?」


「……」


 そっと、ルキアから目を逸らす。

 まぁ、眠ってはいるはずだ、一応。ダリアが毎晩のように寝酒を持ってきてくれるので、いつも少しだけ飲んでいる。そして俺の体はコスパが良く、少しの酒で倒れてしまうのだ。だから、ちゃんと眠っているはずだ。

 まぁ。

 元々の生活に比べれば、寝ているはず――。


「そういう嘘は、せめて目元の隈を隠してから言うことだね。わたしは毎日のように来ているが、日に日に深くなっていくように思えるよ」


「……すみません」


「謝る必要はない。むしろ、わたしの方が謝罪する必要があるのかもしれないな。きみの労働管理は、わたしの仕事だ」


「いえ……俺もそこまで急ぐ必要はないと思っているのですが……なんだか、気が急いてしまうんです。俺が普段より頑張れば、もう少し早く作れると思ってしまって」


「そう考えてくれるのは、とてもありがたいのだがね……」


 はぁ、と大きく溜息を吐くルキア。

 その上で、真剣な眼差しで俺を見てくる。


「いや。わたしも分かっていた上で、きみの独断を放っておいた。そこに責任は少なからずある」


「いえ、それは……俺が勝手に」


「だが……わたしはこれから、きみに酷なことを言わなければならない」


 えっ。

 思わぬルキアの言葉に、俺は目を見開く。

 まさか――解雇?

 折角、良い条件のノーマン侯爵家に雇われることができたのに?


「こく、な、こと、ですか……?」


「ああ。わたしとしても、非常に不本意だ。だが、分かってほしい」


「……」


 あ、これ完全にリストラだ。

 むしろ最近、よくルキアがこの部屋に来ていた理由って、俺の仕事が本当に必要かどうか見定めるためだったのだろうか。

 その上で、ルキアは判断した。俺という存在は不要だと。

 そう考えると、辻褄が――。


「きみには少し、無理を強いることになる」


「その……」


「現状のペースを、完成まで続けてほしい。勿論、時間外労働の分の給金は出す。きみがこの三週間ほど、どれだけのペースでやってきたかは、ダリアが全て把握しているからね」


「……」


 思わぬ言葉に、俺は眉を寄せる。

 俺は完全に「やはりきみは不要だったよ」とかそんな言葉を言われるとばかり思っていたのだけれど――。


「本来、二ヶ月もあれば問題ないと思っていた。だが、少々急がねばならない事態になっている」


「……急がねばならない事態、ですか?」


「ああ。封印都市フィサエルの方で、現在謎の病が流行っているらしい」


「――っ!」


 驚きに、目を見開く。

 封印都市フィサエルで流行している謎の病――。


「大結界の見学に来ていた観光客数名が、激しい頭痛と嘔吐を訴えて搬送された。また、大結界の近くに居を構える住民が何人か、体調不良を訴えている。中には意識を喪失している者もいるそうだ。症状としては、一年前に《魔境》の瘴気が漏れ出たときと、よく似ているとのことだ」


「……まさか」


「都市長は、公式の会見で否定をした。《魔境》の瘴気が漏れ出ていることはない、とね。だが状況的にわたしは、封印都市フィサエルの大結界……その一部が、既に破壊されたものとみている」


「……」


 百二十四番。

 俺の脳裏を過ったのは、その番号だ。

 毎日のように損傷し、毎日のように修繕していた場所。何故か雲魔龍クラウドドラゴンがそこに激突するのが日課であるかのように、毎日のようにぶつかってきていたのだ。

 最初に壊れるのは、恐らくあの場所だと思っていたけれど――。


「時間の猶予は、あまり残されていない。すまないが、急いでくれ」


「……分かりました」


 封印都市フィサエルの大結界は、もう長く保たない。

 だから、その前に。


 俺はこの地で、新しい大結界を完成させなければならない――。

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