第18話 閑話:都市長ジークの嘲笑

 封印都市フィサエル。

 この地に大結界が施されたのが、正確に何年前であるのかは記録されていない。だがここに住む者たちにすれば、大結界というのは生まれたときから存在しているものであり、死ぬまでそこに存在しているものだ。

 透明の大結界の向こうに広がるのは、《魔境》と呼ばれる恐ろしい領域である。

 そこは数多の魔物が徘徊する、明らかに人間の住む領域とは異なる場所のことだ。かつてはこの地に魔王が存在したという話もあるけれど、その信憑性は定かでない。現在に至っても、《魔境》についての調査は進んでいないのだから。


 何人かの冒険家が、《魔境》の先を調査しようと挑んだことがある。

 そのためにフィサエルの都市庁へと許可を求めにやってきて、許可を出すと共に勇んで《魔境》へと向かっていった。

 しかし、誰一人として帰ってきた記録はない。


「ふ……」


 そんな、封印都市フィサエルの誇る大結界――その向こうでいつも通りに徘徊を続ける魔物たちを見ながら、都市長ジーク・タラントンは笑みを浮かべた。

 当然のように、今日も今日とて大結界は《魔境》との境界を守ってくれている。遥かに上で雲魔龍クラウドドラゴンが激突してこようとも、血走った目をした単眼鬼キュクロプスが殴りつけてきても、当然のように大結界が崩壊することなどない。

 そんな大結界の様子を見ながら、ジークは手元にやってきた文――それを、破り捨てた。


 それは、封印都市フィサエルを含めた領地――ザッハーク領の事務官から寄越された手紙だ。

 内容は一笑に付すようなものだったが、一応様子を見てやろうと思って、ジークはわざわざ大結界まで足を運んだのだ。

 それは、ザッハーク領の事務官を通された隣領――ノーマン領からの通達である。


「まったく、あちらの侯爵殿は心配症が過ぎる」


 手紙に書かれていた内容は、大結界についてだ。

 どこで情報を知ったか分からないが、ジークが大結界の管理担当――という名前の穀潰しだったソルを解雇したことを知っていた。その上で、『大結界の管理担当を解雇したということは、大結界が崩壊する可能性がある。綿密な調査を依頼したい』とのことだった。

 だが、既にソルを解雇して一週間ほどになるが、大結界には何の変わった様子もみられない。今日も今日とて観光客が「うわー、すごいー」と言いながら大結界の向こうに広がる《魔境》を眺め、過ごしているだけである。


「しかしこんな手で、私がまた穀潰しを雇うとでも思ったのか? まったく、どんな手を使ったか知らんが」


 ジークからすれば、大結界の管理担当などいてもいなくても変わりない。

 そもそも大結界の管理担当を作ったのが、ジークの先代の都市長だ。それまでは管理担当の仕事などなくとも、軽く数百年以上、大結界は問題なく稼働していたのだ。それを突然管理担当などという謎の役職を作り、勝手に予算を回していた。

 当時副都市長だったジークは、何度か都市長に対して進言したこともある。そんな意味のないことに予算を割くよりも、もっと観光事業の方に力を入れるべきではないか、と。

 しかし都市長は頑なに大結界の管理担当を、削減しようとはしなかった。仕方なくジークの方で手を回し、じわじわ予算を削減しながら人員を整理した。そしてようやく、一週間ほど前に全ての整理が完了したのだ。


 ジークは一応、都市長という立場と同じく、封印都市フィサエル魔術師協会の会長も務めている。

 というかフィサエルの都市長は常に、魔術師協会の会長が兼任するのが通例となっている。とはいえ、ジークは魔術学院こそ卒業したものの、ほとんど使える魔術はない。ほぼ、コネと人脈だけで会長に就任しただけである。

 だが、部下には優秀な魔術師もいるし、その魔術師たちも「大結界は問題ありませんよ」と口を揃えて言ってくれるのだ。そんな大結界の管理担当などという無駄な役職は、ジークの代で消し去ってやると就任した時点から決めていた。


「ひとまず、ザッハーク侯爵閣下には大結界は問題ありませんと文を送っておくことにするか。まったく……ノーマン侯爵閣下はお人好しだな。あんなクズの言うことを真に受けるなど」


 ふん、とジークは鼻で笑う。

 恐らくソルは、引きこもっているだけで金が貰える仕事に、もう一度戻りたいのだろう。大結界に管理など必要ないというのに、必要だと捏造して。一応こちらに向けての報告書は提出していたし、その内容も大結界の不備に対する修復を行った、などと書いていたが、その証拠はどこにもない。

 何度か報告書を読んで、同じ場所に対して同じ修復を行った報告が相次いだ時点で、ジークは完全に捏造していると確信した。同じ文言を繰り返し、まるで仕事をしているかのように報告して、そのくせ何もしていないと分かったのだ。

 それを都市庁の皆に報告して、その日からソルのことを「引きこもりのおっさん」と呼ぶようになった。四十にもなってろくに仕事もしていない男を、これ以上飼っておく必要はないだろう、と議会でも可決された。


「さて……では戻るとするか。まったく、皆も忙しいというのに、大結界の綿密な調査などしていられるか」


 ジークは封印都市フィサエルの生まれである。

 それゆえ彼にとっても、それは日常だった。

 大結界というのは生まれたときから存在しているものであり、死ぬまでそこに存在しているもの。

 それが崩壊するなど、あり得ないことだと。















 ジークは知らない。

 先代の都市長より以前の都市長が、魔術師協会長の仕事として大結界の管理整備を行っていたことを。

 そしてそんな忙しい業務を代わりに行う者として、魔術師として未熟であった先代の都市長が、管理整備の専門として優秀な魔術師を雇うことにしたということを。

 数百年もの間、決して壊れることのなかった大結界――それは、継続した管理が行われていた帰結であると。


 そして。

 問題ないと踵を返し、ジークが離れた僅かに後。


 上空で雲魔龍クラウドドラゴンが激突した大結界に、ぴしっ、と亀裂が入ったことを。

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