第17話 閑話:ダリア・アントワーズ

 ダリア・アントワーズは一応ながら、ノーマン侯爵家の分家筋の生まれである。

 とはいえ、血筋としては分家も分家だ。先々代のノーマン侯爵の従姉妹、という程度の血の繋がりであり、実家はあくまで子爵家でしかない。そのため幼い頃から、ノーマン侯爵家の屋敷に侍女として仕えることを目標として育てられた。

 何せ、下級貴族に生まれた娘にとって、より高い爵位を持つ家で働くことは何よりの栄誉なのだ。

 爵位が高ければそれだけ待遇も良く、そして家柄を誇ることもできる。そのため、ノーマン侯爵家直属の侍女というのは競争率が高く、分家筋全ての家柄が狙っていると言ってもいいだろう。

 ダリアはそんな狭い門を潜り抜けて、ノーマン侯爵家に仕えることができ、現在で既に十年になる。そして八年目にして、侍女長という責任ある役職を与えられた。


 されど。

 ダリアがそんな、本家侍女長という栄誉ある職を失ったのは、つい五日ほど前のこと。


「むにゃぁ……あぁ……いい気持ちれすねぇ……」


「やっぱりお酒に弱いんですねぇ……」


 ダリアが注いだ、一杯目の寝酒。

 それをちびちびと口に運んでいたソルだったが、グラスの半分ほどまで飲むと共に目はとろんと垂れ、呂律は回らなくなり、だらしない格好でソファに腰掛けている。そんな仕えている主人を見ながら、ダリアは微かに笑みを浮かべていた。


 そもそもダリアがソルを紹介されたのは、つい五日前のこと。

 突然、主人であるルキアが連れて帰ってきた、妙な男――それが、最初に抱いた印象だ。だが同時に、ルキアから客人として遇せと命じられたゆえに、それだけの価値がある人物なのだろうという印象は抱いていた。

 ノーマン侯爵家は才能を愛する。

 どのように才能を見いだしているのかは分からないし、どのように選別しているのかも分からない。だけれどとにかく、十年もノーマン侯爵家に仕えていれば、大体それは分かるというものだ。


 例えば先代の侯爵が、突然連れて帰った冒険家の男。

 夢物語を嬉しそうに喋り、その冒険の果てに待つ夢のために出資をして欲しいと言ってきた、妙な男だった。だというのに、先代の侯爵はその男に対して、多額の出資金を提供した。いつもならば、そんな無駄な金は一切出さなかったというのに。

 だがその後、その冒険家は海に乗り出すと共に新たな島を発見し、そこで採取することのできる稀少な資源を持って帰ってきた。冒険家はノーマン侯爵家に対する感謝の印として、その島を『ノーマン島』と名付け、さらに稀少資源の独占販売権まで譲ってくれたのである。この額がノーマン侯爵領全体の税収の二割にも及ぶものといえば、その凄まじさが分かってくれるだろうか。


 そしてルキアが二年ほど前に連れて帰ってきた、奴隷の少女。

 何故奴隷商人のところになどに行ったのかは全く分からなかったが、痩せぎすだった少女をルキアは格安で譲り受け、そのまま侯爵家で雇っている音楽家に対して、教育を施すように伝えたのである。

 その結果、侯爵家の庇護と音楽の教育を施された少女は、現在は音楽家にとって最も狭き門と称される王宮弦楽隊の一員になっている。その伝手あって、現在は年に二度ほど王宮弦楽隊によるノーマン領での音楽祭が行われているほどだ。


 このように、何故か才能を見いだし、何故かその才を伸ばすように教育し、それを領地の益として還元する――それが、ノーマン侯爵家なのだ。

 ゆえにこの男――ソル・ラヴィアスも、何らかの才を持つ人物なのだろうと想像できた。


「はー……ほんと、俺なんかに良くしてもらって、もう心から感謝ですよ」


「それは勿論、ソル様に才能があったからでしょう。ルキア様は才能を愛する方ですから」


「別に、俺ぁ何もできちゃいませんよ……結局、大結界だって、守れなかったんれすからねぇ……」


「それは、ソル様の仕事を軽んじていた都市長のせいですよね?」


「でも、俺がやってきた修復、都市長にできんのかなぁ。できねぇよなぁ。難しいしなぁ、あれ……」


 屋敷にやってきた初日――早々に酔っ払ったソルから、ダリアはそのあたりの事情を知っている。

 そのときに喋っていたのはほとんどが愚痴で、見る目がない都市長が、と何度となく言っていたことを覚えている。本当に、こんな人に才能などあるのだろうか、と疑問に思ってしまったのは内緒だ。


 だけれど、次の瞬間見せられたものに対して、ダリアは衝撃すら覚えた。

 酔っ払っている状況で一瞬で魔術式を編んで、「大結界ってこうなってるんれすよぉ。んでぇ、この一枚ずつが結界になっててぇ」と説明を始めたのだ。

 それはダリアが、昔観光で一度だけ見たことがある大結界――それそのものだったのだ。細部は魔術師でないダリアには分からないけれど、全く同じものと思えるほどに、その再現度は凄まじかった。

 つまりソルは、大結界――古代遺物アーティファクトを一瞬で作ることができるほど、魔術に秀でた人物だということ。


「それより、ダリアさんも座ってくらさいよぉ」


「よろしいのですか? 私はあくまで、側仕えですが……」


「いいじゃないれすかぁ。やっぱり、美人は正面で見ないとぉ」


「そんな、美人だなんて……」


「あ、そういう照れるとこは、可愛いれすよねぇ」


 へへー、と笑うソル。

 これが並の男に言われているならば、嫌悪感を覚えたかもしれない。

 だけれど三年間も不遇な目に遭い、今ようやくルキアの下で才能の花を咲かせようとしているソルに、どこか同情めいた感情が湧き上がってきたダリアには、何の不快も感じなかった。むしろ、こうして気を抜いてもらっていることも嬉しく思える。

 そもそもソルは、自分で自分を「四十のおっさん」と言ってこそいるが、見た目はそれより若い気がするくらいだ。三年間も不摂生を続けていたという割には細身であるし、白い肌はそれほど荒れていない。顔立ちも悪くないと言っていいだろう。

 だからこそ、こうして褒められるのも、気分が悪いわけではない。むしろ嬉しいくらいだ。


「はぁー……ダリアさんみたいな人が、嫁に来てくれたらなぁ」


「そ、そうですか?」


「らったら、幸せらのになぁ……」


「わ、私は、独身ですが……その……」


 ソルの正面でそう言われ、頬が染まる。

 正直、打算はないこともない。古代遺物アーティファクトを再現できるほどの魔術の達人で、今後ノーマン侯爵領に欠かせない人材であり、ルキアの覚えも良く一大プロジェクトの責任者も任されている存在。

 そして何より、ノーマン領への大結界の構築――これは、成功すればソル自身が爵位を賜ってもいいほどの偉業だ。

 そんな人物だというのに、自己評価が低く独身。


「え、えぇ。お嬢様に一言申さねばなりませんが……」


「……」


「そ、その、私でよろしければ、喜んで……」


「……」


「……ソル様?」


「ぐぅ……」


 むぅ、とダリアは唇を尖らせる。

 初日も、こんな風に口説かれて、悪くないなと思った途端に寝てしまったのだ。なんだか悔しくなって、その日のうちにルキアのところに行って、配置換えをお願いした。

 ぶー、とダリアは。


「……今度は、ちょっと飲んだら止めるようにしないと」


 そう、頬を膨らませて呟いた。

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