第16話 仕事を終えて

「ふー……」


 作業初日を終えて、俺は一旦別邸の方に戻ってきた。

 一日中、魔術式を刻み続けていた。さすがに見本が一つでは、全員が作業するのに心許ないということで、何個かの完成品を用意するようアンドレ君に頼まれたのだ。

 既にある程度魔術式を刻むことに慣れている面々は、実践を。残る不慣れな面々に対しては俺から色々教えながら、玻璃の板を完成させていった。

 そのせいで、一日中魔力を操っていたため、俺の体力は底をついている。


「お帰りなさいませ、ソル様」


「お、お帰りなさいませ」


「ああ、ありがとう……」


 ダリア、ナタリーの二人が、それぞれ玄関で俺に向けて頭を下げる。

 こうして、ノーマン侯爵家の別邸にお世話になって、既に一週間近くが経とうとしている。だというのに、未だに帰宅したらメイドさんが待っているという現状に、慣れていない俺だ。

 そもそも俺、メイドさんよりも嫁さんを探すべきなんじゃないかな、とは思うし。


「ナタリー、夕食の準備を。ソル様、湯浴みの方のお世話をさせていただきます」


「い、いや、その、一人で入らせてもらおうかと……」


「いえ、ご遠慮なさらず。お着替えの方は、寝間着の方でよろしかったでしょうか? 本日、疲労に良い香油の方を準備しております。良い香りがいたしますので、是非お試しください」


「い、いやだから、一人で……」


「ささ、こちらに」


 ただ、気になるのは。

 この湯浴みに対してのダリアの拘りって、本当に何なんだろう。毎日俺、こうしてダリアに湯浴みの世話をされている気がする。

 首根っこを掴まれて、湯所へと引きずられる俺は、きっと今日も断り切れないんだろう――。













「はぁ……」


 ダリアによる羞恥の湯浴みを終えて、夕食を摂って、俺は私室に戻ってきた。

 夕食は当然ながら、侯爵家で出されているものと同じものを用意してくれているらしく、本日も大変美味しかった。俺なんかにこんな食事が与えられていいのだろうか、と全力で不安になってしまう。

 どうにか大結界の構築を成功させて、ルキアに報いるようにしなければ。


 そのために、俺は目の前に紙を出している。

 俺は一応、完成品として玻璃の板を四枚ほど作成した。時間が掛かってしまったのは、一つ一つの魔術式がどう作用するかを丁寧に説明しながら作ったからである。

 だが二百人もいると、俺の周りを囲うことができるのはせいぜい十数名であり、俺の説明の届かない者も多くいたのだ。そのため、俺は繰り返し繰り返し同じ説明を行った。

 そこで、考えた。

 魔術師ならば基本的に読み書きはできるだろうし、俺が今日説明したことを紙に記せばいいのではないか、と。


 玻璃の完成品を見て、それが再現できる者は、完成品を見ながら作ればいい。

 完成品を見て、説明したことを覚えていて、それを作ることができる者はそうすればいい。

 だが魔術師とはいえ、物事に対する理解度というのは個人差がある。同じことを教えて一度で出来る者もいれば、二度や三度の失敗を経て成長する者もいるのだ。そして魔術師は無駄にプライドばかり高い者が多いため、後者の場合は同じ質問をしたがらないのだ。自分が劣っていると思われるのが、何より恥だと考える性質のせいで。


 だから、紙に記せばその問題も解決するのではないかと思う。

 どこを理解していないのか分かっているなら、その部分を見ればいいのだから。


「んと……割と、《保護》と《保持》の術式が混同しやすいんだよな。どう作用するかをしっかり記せば……」


 ペンを動かしながら、一つ一つの魔術式を記していく。

 俺にしてみれば、無意識下でも刻むことができるほどに、馴染んだ術式だ。しかし決してミスがないように、一つ一つ自分が記した魔術式を確認する。往々にして、こういうミスというのは注意して行う新人より、慣れていると油断した者の方に発生するのだ。


「……」


 心を無にして、記していく。

《拒絶》に対して、それぞれ七重ずつに掛ける《保護》と《保持》は、その描く場所に注意が必要になるのだ。僅かにでもずれると、《保護》の掛かる対象を間違えたり、《保持》を行う範囲を間違えてしまう。

 そのあたりも注意するように但し書きを追加して、分かりやすいように視覚化していくのが、この紙の目的の一つでもある。


「ふぅ……」


 程なくして完成した紙を見て、とりあえず全部の魔術式に間違いがないことを確認する。

 あとはこれを明日持っていって、《複写》が使える者にでも別の紙に写してもらえばいいだろう。残念ながら、俺は《複写》を習得していないのだ。割と高位の魔術ではあるけれど、アンドレ君あたりは使えそうな気がする。

 怒濤の一日だったけれど、とりあえず方向性は見えた。あとはこれから、俺が別の作業で離れることになっても、量産体制を続けることができるための基盤を作っていくだけである。


「……」


 まぁ、ちなみに。

 当然ながら、俺が夕食後に始めたそんな作業を。

 真後ろで、ダリアがずっとずっと見ているわけなのだが。


「えーと……ダリアさん?」


「はい、ソル様」


「その……もう特に仕事はないと思いますし、休んでもらってもいいですけど……」


「ありがとうございます、ソル様。お気遣いいただいて光栄ですが、私は問題ありません。側仕えは、主人が寝所へ入るまでが仕事ですので」


「は、はぁ……」


 このやり取りも、何度目になるだろうか。

 俺からすれば、今から寝るまでの間にダリアに与える仕事など、特にない。眠くなったら適当に寝るから、ダリアが先に休んでもらっても構わないのだ。

 だがダリアは、「ソル様が起きている限り、私が眠ることはできません」と頑なである。

 だから俺は仕方なく、小さく溜息を吐いた。


「それじゃ……えと。寝酒をいいですか?」


「はい。お持ちしますので、少々お待ちください」


 体は疲れているけれど、頭はまだ冴えている。

 このまま寝所に入っても、すぐに眠ることはできそうにない。むしろやるべきことが気になってしまって、そのまま起きて再び作業を始めそうだ。そうなると、ダリアに怒られそうな気がする。

 だからこうして、最近は酒の力を借りて寝ているわけだが――。


「んー……?」


 ふんふーん、と鼻歌交じりに、寝酒を取りに向かうダリア。

 その背中が妙に機嫌良さそうで、俺は首を傾げた。

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