第9話 お泊まり

 夕食を終えて、俺はルキア、ダリアの二人によって客間の方へと案内された。

 結局、フルーツの方は少し残してしまった。本当ならもう少し食べたかったのだけれど、俺の胃がそれより先に限界を迎えてしまったのだ。これも、三年間も小部屋に引きこもって大結界の管理をしていた、その弊害だと思う。都市長マジで恨むぞこの野郎。


「ひとまず、今夜はここで休んでくれたまえ」


「は、はい。ありがとうございます」


「明日は、残念ながらわたしは仕事で留守だ。別邸の案内については、ダリアに一任している。きみに言われた件も進めなければならないのでね」


「分かりました」


「堅苦しくする必要はないよ。先も言ったが、我が家だと思ってくつろいでくれ」


 案内された客間。

 そこも当然、俺の想像を遥かに超えてくる高級な作りである。天蓋付きの寝台など、まさしくお貴族さまのそれだと言えるだろう。随所に置いてある調度品も、俺には価値がさっぱり分からないが高級品なのだと思う。

 下手に物に触れず、とりあえず横になって過ごせばいいだろう。

 当然、ルキアの言うように「我が家だと思う」ことなど、できるわけがないけれど。


「では、わたしも休ませてもらおう。人材の確保には数日かかるだろうし、きみはそれまで、僅かな時間だが休暇だとでも思ってくれ」


「は、はい。分かりました。あ、あの、ルキアさん」


「うん?」


「その……俺なんかを、拾ってくださって、本当にありがとうございます」


 俺はそう、ルキアに向けて頭を下げる。

 こんな風に美食で腹を満たしているのも、こんなにも高級そうな部屋に泊まれるのも、明日からの住む場所に困らないのも、全部が全部ルキアのおかげだ。

 あのとき、盗賊が馬車を襲わなければ。結界について知らない御者が逃げなければ。あの馬車に乗っていたのがルキアでなければ。俺が、なけなしの勇気を振り絞らなければ。

 俺に、こんな奇跡は訪れなかった。


「ふむ。まず、きみの感謝を受け入れよう。わたしとの出会いに対して、きみが感謝してくれていることを嬉しく思う」


「は、はい」


「そして共に、わたしの方も心よりの感謝をきみに。馬車の中でも言ったが、きみはわたしの命の恩人だ。あのとき盗賊に襲われなければ、きみという結界師に出会うこともなかった。今後のノーマン領の存続に関わる人材を得ることができたのは、何よりの僥倖だろう」


 感謝を受け入れ、そして感謝を返すルキア。

 そういうところ、本当に器が大きい――そう感じてしまう。


「ああ、それから」


「ええ」


「ソル君。きみは誠実な人間だろうし、変な気は起こさないだろうとも思う。だけれど、一応伝えておく。わたしは独身だ。そして今夜は、独り身の男女が同じ屋根の下で眠るということになる。参考までに、わたしの部屋は客間から出て左に曲がった一番奥だ」


「……はい?」


「火遊びが好きならば、来たまえよ。ただし、わたしの部屋の前には常に寝ずの番が控えているぞ」


 ぱちん、と俺に向けて片目を閉じてくるルキア。

 まるで夜這いをかけてこい、とでも言ってくるようなルキアの言葉に、思わず苦笑いを浮かべるしかない。

 恐らく、貴族流のジョークなのだろう。


「ルキア様、お戯れが過ぎますよ。ソル様が困惑しておられます」


「ははは、冗談だよ」


「え、ええ……」


 ダリアの言うとおり、困惑しているのは事実だ。

 四十のおっさんが何気持ち悪いこと考えてんだ、って思うかもしれないけど、こちとら四十年間浮いた話が一つもないもんで。少女にしか見えないルキアの誘惑でも、割とコロッと転がってしまいそうなくらいに意志が弱い。

 まぁ、さすがに今後の雇い主を相手に、そんな劣情を抱くわけにはいかないけれど。


「では、また明日の朝に。良い夜を」


「ええ、ありがとうございます」


「ではソル様、どうぞ中に」


 背を向け、ひらひらと手を振りながら去っていくルキア。その後ろ姿も、少女の小さなものでありながらどこか貫禄を感じられるものだ。

 そして俺は、ダリアの案内のままに部屋の中に入る。客間という話だけれど、私室のように広く、二人掛けのソファと小さなテーブル、それに寝台が揃っているものだ。俺が三年間引きこもっていた大結界の管理部屋より、三倍くらい大きい。

 まぁそもそも、大結界の管理部屋には寝台すらなかったから、体に毛布を巻いて床で雑魚寝していたんだけど。硬い床の上で寝ると、痛みで早めに起きられてたんだ。悲しい過去である。


「ふぅ……」


 とりあえず、ソファに座る。

 こちらも当然、高級品であるためふかふかだ。体が沈み込みそうなくらいに柔らかく、しかし全身をしっかり支えてくれている。このまま寝ろと言われても寝られるくらいだ。


 本当に、奇跡としか思えないような待遇の連続に、どこか現実味がない。

 そもそも、俺が都市長から解雇を言い渡されたのは一昨日であり、ルキアと出会ったのは昨日だ。

 今日、俺はこんな風に侯爵家の客間で過ごしている――そう一昨日の俺に告げても、馬鹿じゃねぇのと一蹴されるだけだろう。


「……」


 しかし、問題は。

 そんな風にソファに座っている俺の、斜め四十五度後ろに。

 ダリアが、直立して控えていることである。


「……あの、ダリアさん?」


「ソル様。私のことはダリアで結構です。明日から別邸の方に暮らされるソル様は、ルキア様の正式な客分ですから」


「あ、はい。あの、何故後ろに……?」


「余計なお世話だと仰るのでしたら、このまま私もお暇させていただきます。ただ……」


 うふふ、とダリアは微笑み。


「今夜、眠ることはできそうですか?」


「……いや、それは」


「ソル様が必要と仰るのでしたら、寝酒をご用意いたします。お嬢様があまりお酒を好まれないので、それほど良いものは用意しておりませんが」


「……」


 まるで、俺の心を見透かしたかのように、そう言ってくるダリア。

 確かにこんな高級な部屋で、緊張の中にある俺は、恐らく今夜眠ることなどできそうにないだろう。きっと、ずっと寝台でゴロゴロして過ごしている気がする。

 参ったな、と俺は頬を掻いて。


「それじゃ……貰えますか?」


「承知いたしました。では、お持ちしますね」


 ダリアが一礼して、そのまま部屋を出ていく。

 そして暫く経ってから、いかにも高級そうな瓶の火酒、グラス、そして氷の入った手桶を持って戻ってきた。

 低いテーブルの前で膝をついたダリアが、グラスの中に氷を入れて酒を注ぎ、棒でかき混ぜる。そして、それをすっ、と手際よく俺の前に出してきた。


「どうぞ」


「ええ、ありがとうございます」


 ダリアのしなやかな手で作られた酒――そのグラスを口に運ぶ。

 強い酒精に、喉が焼けるような火酒だ。一口舐めただけで、むせ込みそうなほどに強い。

 それほど良いものは用意していないとのことだったが、俺からすれば十分に高級品だ。俺のことを慮って、こんな風に寝酒まで用意してくれるのがありがたい。

 それと共に、堪えきれず涙が溢れてきた。


「う、うっ……!」


「……ソル様?」


「本当に、本当に……ありがとう、ございますぅ……! こんな、こんな俺に、親切に……! う、ぅっ……!」


「……あの?」


「俺、俺、がんばりますから……! ぜったいにルキアさんのおやくにたてるひょうに、あんばりまるからぁ……!」


「……さすがに、弱すぎませんか?」

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