第7話 湯浴みを終えて
しくしく。
四十年生きてきて、初めて女性に全部見られた。
物凄く流れるように俺の服を脱がしたと思えば、湯所で丁寧に体全体を拭かれてしまった。抵抗はしたのだけれど、「大丈夫です。楽になさってください」と言われて結局、全部拭いてもらった。
正直、湯のせいで茹で上がったのか、羞恥に茹で上がったのか、自分が分からない。
「お着替えのサイズは大丈夫ですね。では、もう一度テラスの方へ。これよりルキア様が湯所に入られますので」
「え、ええ……」
結局、着替えまで全部やってもらった俺である。
何というか、貴族って着替えまで侍女にやらせるものなのだろうか。
そしてダリアも、俺の裸を見たことに対して全くリアクションがなかった。特に色気のあることがあったわけでなく、ただただ機械的に俺の体を拭いてくれたのである。体の柔らかいところが触れて、とかそういうことも一切なかった。
正直、恥ずかしがっている俺がおかしいのだろうか、と思えてしまう。これが洗脳か。
きっとダリアからすれば、おっさんが何を恥ずかしがっているのだとでも思ったに違いあるまい。
「では、こちらでお待ちください。お飲み物の方は何がよろしいですか?」
「い……いえ、特には……」
「承知いたしました。でしたら、こちらで選ばせていただきます。もう間もなく夕食となりますので、お茶だけお持ちしますね」
「……」
この家のメイドは、我が道を進むように教育されているのだろうか。
俺、別に飲み物はいらない、って意味で言ったんだけど。
ただ、背を向けて去っていくダリアの背中に向けて、飲み物いらないっすよー、とか言えるほど俺には度胸がない。
「はぁ……」
小さく、溜息を吐く。
俺が大結界の管理担当を解雇されたのは、一昨日だ。突然解雇を言い渡され、もうどうでもいいと住んでいた部屋を引き払い、家財道具を処分し、ある程度の荷物だけを持って旅に出た。
ルキアに出会ったのだって、昨日だ。
昨日の俺は、今日こんな風に侯爵家で歓待されることになるなんて夢にも思うまい。というか、あまりにも俺に都合が良すぎる現実に、夢じゃないかとすら思えてきた。
「失礼します、お茶をお持ちしました」
「――っ!?」
「こちらをお飲みになって、少々お待ちください。お嬢様は、長湯をされますので」
「は、はぁ……」
ひー、ふー、と呼吸を落ち着かせる。
夢だったらいつ覚めるんだろう、と思っていた矢先に声を掛けられたものだから、物凄く驚いてしまった。別に、ダリアが怖い声をしているとかそういうわけでもないのに。
とりあえず、お茶を一口啜る。爽やかな酸味と、微かな甘みのあるお茶だ。今まで、紅茶なんて上等なものを飲んでこなかった俺にさえ分かるほど、間違いなく高いものだと思う。
ただ、斜め後ろにじっとダリアが立っているのが、ちょっと気になってしまうのだが。
「……」
「……」
ずずっ、と俺が茶を啜る音。
それ以外、何も響かない空間――沈黙が重い!
「え、ええと、ダリア、さん?」
「はい、ソル様」
とりあえず、俺の方からそう話しかけてみる。
何を話せばいいか、当然ながら分からない。今まで三年間、ずっと小部屋で一人きりだったのだ。誰とも会話を交わすことなく過ごしていた。時々買い物に行った先で、「いらっしゃいませ」と言われることくらいしか、他人の声を聞いていなかった。
だからここで、何の話題を振ればいいか、さっぱり分からない。
例えば。
ダリアさんってお若いですよね。そんなにお若いのに侍女長とは、随分有能なんですね。
俺がこう言ったとしよう。
その場合、ダリアは心の内でこう思うはずだ。
いやいや、おっさんのくせに若い女子に色目使ってる? うっわキモ。
この結果どうなるかというと、簡単な帰結だ。
そんな風に、おっさん(俺)から色目を使われたとルキアに報告が入る。そしてルキアは俺のことを評価してくれているけれど、そんなヤベー奴とはあまり仲良くしたくないと思うはずだ。そうなれば、俺の新しい仕事が危うい。金貨二十枚もくれる好待遇の職場を、みすみす失うことになってしまう。
つまり、俺は無害なおっさんであることをアピールしなければならない。
もうおっさんだから若い女子に興味はないよ、という大人の対応をしていなければならないのだ。
ただ、一つ言っとくぞ。
若い女子に興味がないおっさんなんて、一人もいねぇからな!
「……こ、この紅茶、すごく美味しいですね」
「お口に合ったようでしたら、良かったです。出入りの商人から仕入れたものですが、香りが良いと評判の茶葉なんですよ」
「そ、そうなんですか」
「ええ」
「……」
会話終了。
いや、そう、俺はあくまで、お茶が美味しいという点だけ伝えたかったのであって。
間が持たず、もう一口。うん、やっぱり美味い。
「ソル様」
「は、はひっ!?」
「うふふ……それほど、戸惑われる必要はありませんよ。恐らく、お嬢様がほとんど説明もせず、無理やり連れてきたので不安だと思いますが」
「……え、分かります?」
「お嬢様は、ああいう方ですから。先日も、身寄りのない子供を『彼は手先が器用だ。我が家の使用人として教育したまえ』と言って連れてきました。現在、見習いの庭師になっております」
「……」
ルキア、なかなかに強引な性格らしい。
そういえば確かに俺も、事情を聞かれて答えてすぐに、「わたしの下で働かないか?」と持ちかけられた。
「お嬢様は一度懐に入れた人物であれば、必ずや守ってくださいます。ですから、ご安心ください」
「……その、お嬢様、なんですか?」
「あ……し、失礼しました。私たちは、つい癖でお嬢様と言ってしまいまして」
うふふ、と照れくさそうに口元を隠すダリア。何この子かわいい。
「もう家督を継がれて三年になりますのに、私どもはまだ慣れないのです。特に、お……ルキア様は、あまり見た目が変わっていないものですから」
「はぁ……そうなんですか」
「恐らくご存じないとは思いますが、ルキア様は二十二歳でして、私と同い年なんですよ」
「えっ」
思わぬダリアの言葉に、俺はカップを落としそうになった。
二十二歳――そしてダリアも同い年、という余計な情報も手に入ったけれど。
初めて見たときには、少女だと思ったくらいだ。どこかの貴族家の、ご令嬢だとばかり思っていた。
さすがに見た目が幼すぎないだろうか。
「ですので、ソル様。どうか、ルキア様のことは大人の女性として扱ってください。あの方は、子供扱いされることを何より嫌われますので」
「……え、ええ、肝に銘じます」
聞いておいて良かった、と心から思った。
そして、俺がカップに満たされていた紅茶――それを飲み干すと共に。
「やぁ、待たせたねソル君。ダリア、ソル君を食堂まで案内してくれたまえ。ああ、腹が減ったよ。わたしは髪を乾かしてから行くから、先に席についておいてくれ」
「承知いたしました」
「は、はぁ……」
湯上がりの、濡れた髪のルキアを改めて俺は見て。
うん。やっぱ、せいぜい十四、五といったところだ。二十二歳にはとても見えない――と、本人に聞かれたら怒られそうな感想を抱いていた。
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