第6話 ノーマン侯爵家のお屋敷
翌日の夕刻。
馬車は、無事にノーマン侯爵家の屋敷に辿り着いたらしい。
一応、少しは疑いの目を向けてはいたのだが、ルキアがノーマン卿であるという話は本当だったようだ。昨夜の宿も、貴族でなければ絶対に泊まれないだろう格のものだったし。
馬車に窓がないせいで、本当に到着したのかは知らないけれど。
「では、降りたまえ、ソル君」
「あ、はい」
自分より遥かに年下だろうルキアから、「ソル君」と呼ばれるのは随分奇妙な感覚だ。俺、四十のおっさんなのに。
だが、年齢というより人間として遥かに俺より格上だと思ってしまうから、その呼び方に忌避感も抱かない。貴族だから偉いとかそんな話ではなく、ルキアの人間性が。
窓のない馬車の扉を開いて、俺がまず降りる。
馬車を囲むように数人並んだ使用人が、そんな俺に対してまず頭を下げた。
「うぇっ……?」
「お帰りなさいませ、ルキア様」
「うむ、出迎えご苦労。まずは、湯浴みの準備を。それから夕食だ。ソル君、今日はもう遅い。別邸は明日案内するとして、今日は客間の方に泊まってくれ。ダリア、夕食を至急一人前追加するよう厨房に伝えてくれ」
「承知いたしました。ナタリー、厨房に連絡を。ハンナは客間のシーツを確認しなさい」
「はい!」
ひょいっ、と馬車から降りてきたルキアが、一番近くにいた使用人へと命じる。
そして、命じられた使用人がてきぱきと命令を飛ばし、二人の使用人が屋敷の方へ走る。素早い命令は、それだけ教育が行き届いているということなのだろう。
突然の状況に理解が追いついていないけれど、とりあえずルキアが「夕食を一緒にしよう、という意味だよ」と教えてくれた。
「さぁ、こっちだ」
かつ、かつ、と靴を鳴らしながら、歩くルキア。
俺は戸惑いながらも、その後ろをついていく。使用人たちは頭を下げたままで、俺という異物がいることに対しても何の反応もない。
そして豪華な扉を開き、煌びやかなホールに案内され、それから華美な装飾が施された階段を上がり、テラスらしき場所へと案内された。
「わたしは、少し仕事が残っていてね。ここで待っていてくれ」
「は、はぁ……」
「ダリア。彼はソル・ラヴィアス。わたしが個人的に、今後召し抱えることになった。今日は客間の方を使ってもらうが、明日から別邸の方を彼に譲渡する。また、きみの判断で二名のメイドを、別邸に派遣してくれ」
「承知いたしました。湯浴みの方はどうなされますか?」
「まずは彼を。終わり次第、わたしが入ろう」
「は」
ルキアがそう言って、改めて俺の方を見た。
俺はというと、今自分がどうしていいのか分からない。座っていいのか、立ったままでいいのか、それとも平伏した方がいいのか――いや、平伏す必要はないか。
まぁ、そう脱線する程度には、頭が混乱している。
「そう緊張しなくてもいいよ、ソル君。適当に座って待っていてくれ。ダリア、飲み物を」
「は」
「では、わたしは少し席を外すよ。ゆるりと、家にいるつもりで楽にしていてくれたまえ」
「は、はぁ……」
できるか、と言いたいけれど言えない。
今まで見てきた屋敷の内容を見て、我が家などと思えるわけがない。そもそも俺、ここ三年ほど大結界を管理するための小部屋にいたし。あの部屋こんなに広くないし。
こんな風に、巨大な硝子窓から夜景が見え、飾っている調度品だけで俺が人生二、三回過ごせそうなほどの金額になるだろう場所で、ゆっくり過ごすことなどできるわけがない。
そもそもこのソファだってめちゃくちゃ高いだろうし、本当に俺が座っちゃっていいのだろうか。
「失礼します、お飲み物をお持ちしました」
「ひぃっ!?」
「長旅でお疲れでしょうし、滋養に良いハーブティーを用意いたしました。湯所の準備までもう少々お時間をいただきますので、こちらをお飲みになってお待ちください」
「は、はは、はい!」
ルキアが良い人なのは分かる。
だけれど、かといって俺がこの屋敷で、歓迎されているなんて思ってはいけない。使用人の彼女らから見れば、俺は完全に不審者だろうし。
目の前に差し出されたカップからは、芳しい香りの湯気が立っている。
「改めまして、私は侍女長のダリアと申します。明日より別邸の方に住まわれるということですが、ソル様に派遣する侍女も明日また紹介いたします。侍女に問題などありましたら、私の方にお伝えくださいませ」
「あ、ありがとう、ございます」
「ふふ……」
そこで、侍女長――ダリアが、僅かに顔を綻ばせた。
「ソル様。そのようにご緊張なさらずとも、大丈夫ですよ」
「は、はぁ……?」
「ソル様は、ルキア様がお客様として屋敷に通されたお方です。であれば、私たち使用人は、ソル様に謙りこそすれ、害意などは持っておりません。むしろ私たちのことをお思いになられるのでしたら、是非お茶を召し上がってください。お客様にお茶を出し、それを飲まれなかったとき、私がルキア様に怒られますので」
「うっ……」
ダリアの言葉に対して、確かにその通りだと思った。
俺は今、侯爵閣下であるルキアの正式な客人だ。そして、ここが侯爵家の屋敷である以上、俺はお客様として対応される立場である。
むしろ、ここで俺がお茶を飲まない方が失礼なのだ。
「で、では、すみません。いただきます……」
ずずっ、とお茶を一口。
爽やかな酸味と、僅かな甘味。
滋養に良いハーブティーとのことだったが、確かによく体が温まりそうだ。
「美味しい……」
「お口に合ったようでしたら、良かったですわ」
ふふ、と微笑むダリア。
恐らく彼女自身も、侯爵家に仕えているわけだから、お貴族さまの生まれではあるのだろう。出自がしっかりしていないと、そもそも侯爵家に仕えることもできないのだ。
それに比べて、俺は平民生まれの魔術師のおっさんでしかない。
なんだか、そんな彼女に謙られることに、物凄く痒くなってくる。
恐らく、ルキアよりダリアの方が年上だと思う。
女性にしては高めの背だが、物腰は柔らかく整った顔立ちをしている。四十のおっさんが言うのも気持ち悪いかもしれないが、大人のお姉さんといった感じだ。
この若さで侍女長であるわけだから、恐らく仕事ができる女性なのだろう。お茶も美味しいし。
「失礼します、ダリア様。湯所の準備が整いました」
「ご苦労様。では、ソル様。湯所の方にご案内いたします」
「あ、はい……」
ぐいっ、と残るお茶を飲み干して、俺は立ち上がる。
ルキアは先に俺に入るように言っていたし、とりあえず湯を借りることさえできれば、体を拭くことはできる。昨夜も体は拭いているけれど、それでもここは侯爵家だ。清潔にしておくことに越したことはない。
暫く歩いて湯所――桶に入った湯で、体を拭くための専用の部屋へと、俺は案内され。
「こちらが、湯所でございます」
「あ、どうも……」
「では、失礼いたします。お召し物の方を」
「へ?」
「着替えの方は、当家の予備の方をお持ちしております。サイズの方は問題ないと思いますが、こちらのお召し物は洗濯させていただきますので」
しかし、何故か。
ダリアは、湯所へと俺と一緒に入ってきた。
「い、いや、どうして服を!? 一人で入れますけど!? いやいや、拭かせていただきますとかじゃなくて! ちょ、脱がさないで!?」
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