第5話 古代遺物――アーティファクト

「それ……見せてもらってもいいですか?」


「ああ、勿論だ。きみにとっては、むしろ見慣れたものではないのかい?」


「いえ……」


 ルキアから、大結界の一部――古代遺物アーティファクトであるそれを受け取る。

 俺は就任当初に、当時の都市長に案内されて、本物を見たことがある。それは《魔境》との境界線に存在する大結界の、やや後ろで厳重に管理されていたものだった。何せ、その厳重に管理された扉を開くためには、都市長の持っている五つの鍵を順番通りに回さなければならないというほどの徹底ぶりである。

 古代遺物アーティファクトはそれだけ、価値が高い。特に大結界を張っているような、一級品の古代遺物アーティファクトともなれば尚更である。

 だから、こうしてじっくり見るのは初めてなのだ。


「……」


 俺がいつも管理していた、蜂の巣状に広がっていた大結界。

 その古代遺物アーティファクトは、まさにその大結界を小型化したものだった。百八十枚の六角形を並べ、そこに込められた魔力によって照射し、大結界を維持する核となっている。

 だから、ようやく分かった。

 あの日、何故いきなり大結界の一部が失われたのか。

 俺がどうにか周囲の結界を伸ばし、魔術式で補填し、その上で穴を塞いだ事件――それが、何故起きたのか。

 この、極めて一部が、持ち去られていたからだ。


「参考までに……これの、お値段は?」


「きみの癇に障りそうだが、金貨五千枚だよ。無論、これはわたしのポケットマネーで購入した」


「あの野郎、人に責任押しつけて、金貨五千枚も……!」


「ふむ。都市長は金貨五千枚と告げたら、快く持ってきてくれたのだがね。どうやら、そのせいできみが随分と苦労したようだ」


「ルキアさんの、せいじゃないです、けど……」


 くそっ、と吐き捨てたい気持ちを堪える。

 あのとき俺は大結界の穴を塞ぐことに必死で、それこそ魔力の使いすぎで倒れかけるほど頑張ったのだ。そして穴を塞ぎ終えて、前日までに行った修繕や処置の内容も確認したけれど、全く異常が見当たらなかった。本当に、穴の空いた原因が分からなかったのだ。

 その事実は、都市長が自らの懐を満たすために古代遺物アーティファクトの横流しをしていた――。


 もう心から、本気で思う。

 封印都市フィサエル、滅んでいいんじゃないかな。


「はぁ……」


「随分と苦労してきたようだね。まぁ、その苦労も昨日までの話だ。わたしはきみを最大限に評価しているし、今後期待もしている」


「あ、ありがとうございます。あ……すいません、返します」


 六角形を、ルキアに返す。

 本音を言うなら、もうちょっと魔術式とかを見てみたい。俺、管理はしてきたけど、大結界の本物ってしっかり見てなかったし。

 だけれど、これは金貨五千枚もする代物だ。俺が下手に弄って、魔術式が誤作動を起こしてもいけないだろう。

 だが、そんな俺に対して、ルキアが首を振る。


「いいや、それはきみが持つといい」


「へ……?」


「ノーマン領までは、まだ時間がかかる。少なくとも、明日の夕刻まではかかるだろうね。それまでの間、きみにそれを貸してあげよう。好きなだけ調べるといい」


「……し、しかし、それは」


「きみ、自分の顔を分かっていないな? まるで、新しい玩具を買ってもらった子供のような顔をしていたよ。早くこれで遊びたい、無邪気な子供の顔だ」


「……」


 俺、そんな顔していたのだろうか。

 だが確かに、都市長に対しての怒りと共に覚えたのは、この古代遺物アーティファクトに対する知識欲だ。

 就任当初に見たときでなく、二十二年間ずっと大結界を管理してきた俺が、改めてこの本物の魔術式を解析すれば、どうなるのか――。

 そう。

 もしかすると、俺にも大結界が作れるのではないか――と。


「わたしにとってはただ、魔力を流すと自分の周りに結界を張ってくれるだけの、便利な代物だ。だがきみなら、魔力がどう作用して結界が発動するのかが分かるのだと思うよ」


「え、ええ……ただ、貴重なものだと思うのですが……」


「無論、貴重だとも。金貨五千枚だ。これを貴重でないと言うほど、わたしは金銭感覚が壊れてはいないさ」


「その……壊してしまったりしたら……」


「壊すだって? これは面白いことを言うじゃないか」


 はははっ、とルキアは目を細めて笑い、そして俺を指差した。


「物は、いつか壊れるものだよ。それが今日なのか、それとも遥か未来なのか、それは分からない。きみが多少弄って壊れたのならば、それは誰が弄ったところで壊れていたさ」


「……」


「壊れたのであれば、それが壊れる日が今日だったまでのことだ。わたしがその事実に対し、きみを責めることはない。無論、これはきみが態と壊すような真似をしなければ、という話だがね」


「……ありがとう、ございます」


 どこまでも寛大な、ルキアの言葉に。

 俺はただ、感謝に頭を下げることしかできなかった。















 古代遺物アーティファクトの魔術式を、目に焼き付ける。

 初めてまともに本物を見て、俺はこれがどれほど凄まじいものかと、改めて分かった。

 戦慄すら覚えたと言っていいだろう。


 複雑に絡み合った魔術式が、それぞれに独立した動きをしながらも均衡が保たれ、僅かな魔力で多重に起動するようになっている。その根底に存在する魔術式は、今まで俺が見たこともないような幾何学的な代物だった。

 いかに今まで、大結界の表面しか触ってこなかったか――それが、よく分かる。俺はあくまで、表面に出ている魔術式の修繕しかやってこなかったのだ。

 だからこそ、分かる。

 一年前に、俺がどうにか塞いだ穴――あれを修繕するために、俺は周囲の結界から魔術式を伸ばした。無理やりに六方の結界を広げるような形にして、どうにか塞いだのだ。あれが――どれほど、危険なことだったのか。

 下手をすれば、均衡を保っていた魔術式が崩壊して、結界の穴がさらに広がっていたかもしれない。俺があのとき、魔術式を伸ばして穴を塞いだ――あれは、奇跡のような出来事だったのだと、理解できた。

 そして再び、都市長に対する怒りがこみ上げてくる。お前が大結界の一部を取ったから、下手すりゃ封印都市が崩壊するようなことになっていたぞコラ。


「おっと」


 そう、俺が集中して魔術式を解析している途中で、馬車が止まる。

 窓のないこの馬車の中では、外の景色が分からない。ただ、昼食としてルキアに貰った保存食はしっかり胃の中で消化されているため、そろそろ夜だろう。

 そして外側から、こんこん、と扉が叩かれた。


「到着したのか、じい」


「ひとまず、本日の宿に到着いたしました。お嬢様」


「うむ。ご苦労だった、じい。ただ、わたしはお嬢様ではない。今はもう家督を継いでいる」


「……失礼いたしました、ルキア様」


「良いだろう」


 執事らしい老齢の男性――まだ名前を知らない彼が、次に俺の方を見る。


「そちらの方は、どうなされるのですか?」


「ああ、勿論わたしと同じ宿に泊まってもらう。宿代はわたしが出すよ」


「承知いたしました」


「ああ、そうだ。じいにも紹介しておこう。馬車の中で話がまとまってね。彼を今後、侯爵家で雇うことになった。彼は……」


 ルキアはじいと呼んだ男にそう言って、ん、と眉を寄せる。

 それから再び、俺の方を見た。


「きみ、誰だ? そういえばわたしは、きみの名を聞いていないぞ?」


「……ソル・ラヴィアスといいます」


 そういえば。

 俺も名前聞かれてなかったし、呼ばれてなかった。

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