第4話 破格すぎる条件
あまりにも衝撃的な事実に、俺の体が硬直する。
意味が分からない、と言った方がいいだろうか。目の前の少女――恐らく少女が、この国において上から数えた方が圧倒的に早い、大貴族の一人であるというその事実が。
多分お貴族さまの馬車だろう、とは思っていた。
だけれど護衛の一人も連れておらず、こんな危険な道を走っていたのだ。恐らく貴族だとしても、それほど家格は高くないだろうと予想していたのだ。
だというのに。
「ああ、わたしのような小娘が貴族家の当主をしていることが不思議かい?」
「え……い、いや、そのようなことは決して! す、すみません!」
「ふむ、何を謝ることがあるのかな? わたしの勝手な推測に対して、きみは考えていないと答えた。その上できみが謝罪を行う理由はどこにもない」
「え、え……?」
少女――ルキアが、少し考えるように顎に手をやる。
なんというか、俺の知っている貴族というものと、随分違う人種に思えてきた。貴族ってもっと、高慢ちきというか横柄というか偉そうというか、そういうイメージを持っていたのだけれど。
俺が知らないだけで、貴族というのはこういうものなのだろうか。
「うむ。それで、もう一度問おう」
「は、はぁ……」
「きみ、わたしの下で働かないか?」
「……」
ノーマン卿。
その手腕は、封印都市フィサエルの小部屋に引き籠もっていた俺にも、その評判が聞こえてくるほどの大貴族だ。
この国――ネードラント王国における大貴族の一人であり、王家の縁戚でない貴族であるにも関わらず、その所領は最大とされている。そして港湾都市アザルを中心とした他国との積極的な貿易を行っており、同時に他国から新たな農耕技術や工業技術などを積極的に取り入れ、有益と判断したものはすぐに領内で実行していくという手腕の持ち主だ。ノーマン領が王家に納めている税は、税収全ての半分ほどになるとさえ言われている。
だけれど、同時に。
こんな少女が、敏腕と名高い大貴族――その事実が、信じられない。
そして、俺を求める理由も。
「その……条件など、教えていただいても?」
「無論だ。まず、給金は月に金貨二十枚出そう」
「ぶっ――! 金貨、二十!? ごふっ!」
「うむ。働きに応じて、勿論追加の給金も検討するとも」
ルキアの提案に、俺は思わず噎せ込んでしまう。
金貨二十枚――それは、あまりにも破格の金額だ。何せ、俺が封印都市フィサエルで働いていた頃は、月に銀貨で二十枚だったのだから。五ヶ月働いて、やっと金貨一枚である。
それが、月の給金――。
「休日は月に五日でどうだろうか。七日に一度の安息日は休みとし、月に安息日が四日しかない場合、自由に休む日を一日与えよう」
「五日も……!?」
「無論、侯爵家に仕えることになるわけだから、住居も用意しよう。ひとまず侯爵家の敷地内にある別邸を使うといい。きみの側仕えとなるメイドを二人ほど派遣する」
「べ、別邸!? そ、そんな……!?」
「何せこれからきみは、大がかりなプロジェクトに参加してもらう、重要な人材だ。封印都市の封印がいつ破壊されてもいいように、ザッハーク領とノーマン領の境界に封印を施す仕事を行ってもらう。無論、きみが必要とする人材は用意するし、経費はいくら掛かっても構わない」
「……」
あまりにも破格の条件が続いて、思考が停止してしまう。
間違いなく好条件だ。これ以上の好条件など、この世に存在しないだろう。
俺が二十二年やってきた、大結界の維持。
その経験を、これほどの条件で求めてくれる人物がいたのだ――。
「う、うっ……!」
「む? ど、どうした? わたしは別段、きみに悪い条件を提示したつもりはなかったのだが。むしろ、わたしはきみを最大限に評価しているからこそ……」
「い、いえ、違い、ます……!」
ルキアの言葉を遮って、俺は嗚咽混じりに首を振った。
涙が溢れてくる。「引きこもりのおっさん」と蔑まれ、突然の解雇で全てを失って、絶望していた俺に与えてくれた、その救いの手に。
これほど、胸の内が温かいのはいつぶりだろう――そう思ってしまうほど。
「どうか……どうか、よろしく、お願いします……!」
「う、うむ。それならば良かった。細かい条件については、追々決めていくとしよう」
うん、とルキアが頷く。
俺は、溢れる涙に両手で顔を押さえながら、しばらく肩を震わせていた。
「うむ。そろそろ落ち着いたかな?」
「……その、みっともない姿をお見せして、申し訳ありませんでした」
「なに。わたしの言葉でそれほど喜んでくれたことは、むしろ嬉しいとも。わたしの胸を貸してあげても良かったのだが、残念ながら人に誇れるほどの胸部をしていなくてね。このハンカチーフを送ることで代わりとしよう」
すっ、とルキアが差し出してくる刺繍の施されたハンカチ。
それを受け取り、俺は涙で濡れた手を拭いて、目元を拭った。こんな風に、女性の前で泣いてしまうとは。
あと、人に誇れるほどの胸部をしていないと言ったが、服の上からでも分かる程度の膨らみはしていると思う――と、ハンカチで目元を隠しながら、何気に見てしまった。
「まぁ、細かい仕事の内容などは、ノーマン領に到着してからでいいだろう。きみの人となりは知れた。盗賊が現れたときは焦ったが、きみのような人材と出会えたのだ。むしろ、奴らに襲われて良かったのかもしれないね」
「いや、盗賊に襲われて良かったというのは……というか、護衛などはいらっしゃらないのですか?」
ルキアに対して、抱いていた質問を投げる。
大貴族ノーマン卿であるルキアが、本来一人でこうして馬車で移動するなどありえない。少なくとも、一個小隊程度の護衛は一緒に連れているのが当然だろう。
だというのに、連れていたのは盗賊を相手に逃げた御者と、お付きの執事らしい男性だけだった。その状態で高級そうな馬車で移動するのは、むしろ盗賊に襲ってくださいと言っているようなものだろう。
そんな俺の質問に対して、ルキアは小さく溜息を吐いた。
「うむ。本来、御者が逃げる必要はなかったのだよ」
「へ?」
「突然の盗賊の襲来に焦ったのだろうが、きみは疑問に思わなかったかい? 盗賊が馬車を襲うとなれば、まず始末するのは馬だ。馬を仕留めて、足を止めて、それからじっくり襲うのが当然なのだよ。けれど、この馬車の馬は生きている」
「あ……た、確かに」
言われてみると、確かにおかしな話だ。
馬車が襲われたというのに、馬が無事だというのは。
「理由は簡単さ。この馬車には、防御結界を張っている。もっとも、それはわたしの手腕じゃない。わたしは新しいものが好きだが、古いものも嫌いではないのだよ」
すっ、とルキアが取り出したのは、極めて小さな六角形の何か。
だけれど、それを出された瞬間に、俺の目にはその魔術式が見えた。
「それ……大結界の!?」
「ああ、その通りだ。以前フィサエルの都市長に頼み込んで、一部だけを貰い受けたものだよ。それなりの対価は掛かったが、火も剣も槍も全く通さない。盗賊たちも奇妙に思っただろうね。どれほど馬を斬りつけても、その肌に一つも届かないのだから」
「あの、クソ野郎……!」
「おや。心当たりがありそうだね」
あれは、一年ほど前だっただろうか。
突然、大結界の一部が削れ、その部分から《魔境》の瘴気が漏れるという事件があったのだ。その影響で大結界の近くに住んでいた住民数名が意識不明の重体となり、俺は必死に周囲の結界から魔術式を延長し、塞がなければならない事態となった。
都市長からは「それで管理していると言うつもりか!」とめちゃくちゃ怒られた。そして、原因は結局最後まで分からなかった。
ルキアが持っているそれは――
つまり都市長が
「だからわたしは、馬車の中からでも分かったのさ」
「へ?」
「きみが発動した魔術は、これと同じだ。つまり、きみには
にんまり、と機嫌良くルキアは笑みを浮かべた。
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