第3話 お貴族さまの馬車

 唐突だが俺は今、お貴族さまの馬車に乗っている。


 それも何故か目の前のご令嬢――多分ご令嬢に、「襲ってきた盗賊は悪い奴だ。つまり、わたしを助けてくれたきみはいい奴だ。いい奴ならば、わたしの馬車に乗るといい」と何故か引っ張られ、馬車に詰められ、出発することになったのである。

 ちなみに、御者をしていた男は盗賊が現れると共に逃げてしまったらしく、執事らしい男性が今、代わりに御者台で馬車を動かしていた。

 つまり今この馬車の中は、俺とご令嬢だけということである。

 初対面のおっさんと二人きりで馬車とか、このご令嬢には危機感がないのだろうか。


「いや、先程は本当にありがとう。封印都市の衛兵には連絡をしていたところなのだが、下手に衛兵などに頼った場合、家の方に連絡がいったかもしれないからね。わたしとしては、それは避けたいところだったのだよ」


「はぁ……いえ、乗せてもらえるのはありがたいんですけども」


「ああ、わたしとしたことが目的地も聞いていなかった。わたしはこれからノーマン領へと帰還する予定だけれど、きみはどこに向かうつもりだったのかな?」


「あ、ええと……」


 ご令嬢の質問に対して、何と答えていいか分からない。

 特に、俺は目的などなかった。とりあえず隣町にでも行って宿に泊まって、そこからは落ち着けるところを目指そう、くらいに考えていたのだ。


「……特に、目的地などはないのですが」


「ほう、何とも不思議な。目的も特になく、このように街道を歩いていたということなのかい?」


「え、ええ……」


「ふむ。理解に苦しむけれど、そういうのもあるのだろう。うん。しかし困ったな。きみの目的地があるならば、そこまで運ぶことを礼の代わりとしようと思っていた。だが、目的地がないとなると何で返していいか分からない。何せきみはわたしの命の恩人だ」


「えーと……今、仕事がないんすよ。何か、仕事でも紹介してくれません?」


「ほう……もしや話したくないかもしれないが、何か事情でもあるのかな? きみは魔術師だろう? 魔術師ならば、仕事に困ることなどあるまい」


「ええとですね……」


 まぁこの狭い馬車に、俺とご令嬢の二人だけだ。

 彼女も俺のことを命の恩人だと認識してくれているようだし、仕事の斡旋くらいはしてくれるだろう。少なくとも、フィサエル都市庁での清掃要員よりはましな仕事を。

 とりあえず、掻い摘まんで話してみる。


 俺が学院を卒業して、封印都市フィサエル直属の魔術師として雇われていたこと。

 そして二十二年、《魔境》との大結界の維持、管理、修繕をする仕事をしていたこと。

 昨日――その仕事を、解雇されたこと。


「……と、まぁ、そういうわけで、仕事がないんですよ」


「むむむ……!」


「なんで、どこか働けるところを紹介してほしいのと、あと住所不定無職なんで、住むところの保証人とか、そういうのになっていただければと……」


「わたしは今、心より憤慨している!!」


「……はい?」


 唐突に、ご令嬢はそう叫んだ。


「きみがやってきたことは、封印都市のまさに名を冠している『封印』――その根幹を担う仕事であったのだろう。そして、きみが日々努力していたことにより、封印都市の住民たちは安寧の日々を送ることができていたのだ!」


「え、ええ……」


「だというのに一方的な決めつけと勝手な思い込みによって、きみという大切な柱を失うこととなり、封印都市は封印都市としての在り方も失ってしまった! きみが支えてきた封印都市は、もはや風前の灯と言っていいだろう!」


「……」


「わたしは傲慢なる都市長に対する激しい憤慨と共に、きみとこの場で出会うことのできた奇跡に、心から感謝するとしよう。封印都市フィサエルの大結界が崩壊するとなれば、封印都市を司るザッハーク侯爵領の全てが《魔境》に呑まれることになるだろう。そして《魔境》がザッハーク侯爵領を蹂躙した場合、次に訪れるのは我らがノーマン領だ。この情報を持ち帰るだけでも、わたしがこの地にやってきた意味があると言えるだろう」


「……」


 やばい、涙が出そうだ。

 俺が支えてきた大結界の維持管理――それを、全く知らないこのご令嬢が分かってくれたことに、泣きそうになってしまう。

 都市長からは、無能扱いをされた。都市庁の職員から「引きこもりのおっさん」と侮蔑されていた。誰からも、俺の仕事は認められていなかった――それに、絶望した。

 だけれど、このご令嬢だけは分かってくれた。

 俺がフィサエルを、大結界を守っていたのだと――。


「そして何より、わたしがこの出会いに感謝したいのは、今後魔境が浸蝕してきた場合の対処を、より早く行えることだ。きみという『結界師』に出会えたことは、ノーマン領の未来を得たも同じこと。そして何より、きみは仕事を探している。わたしたちの関係は、お互いにとって利しかないということだ」


「は、はぁ……?」


「きみ、わたしの下で働かないか?」


 そう、ご令嬢は右手を差し出してきた。

 握手を求めるように――いや、事実、求めているのだろう。

 最初から随分と友好的で、そして気持ちのいい態度。何より、俺の仕事を認めてくれた――そのことに、俺は。

 その手を取ろうとして――気付く。


「あの……ちょっと、質問が」


「うむ。疑問は大切だ。そして、分からないことは大抵の場合、どれほど考えても分からない。そのような無為の時間を過ごすくらいならば、分からないことは聞いた方がいいだろう。世の真理だ」


「あなたは……何者、なんですか?」


「ふむ?」


 俺の質問に対して、ご令嬢は僅かに眉を寄せ。

 そして、ぽん、と胸の前で手を叩いた。


「なんと! わたしとしたことが、今まで名乗りもしていなかった。名も知らぬ相手から勧誘をされては、確かに怪しさに溢れるというものだ。うむ、すまない!」


「い、いえ、恐らく貴族さまだとは……」


「貴族さまなどと、偉そうに言うつもりはないよ。わたしもきみも同じ人間だ。ただ、その役割の違いがあるというだけのことに過ぎない。わたしは少々、責任の重い仕事についているだけのことだ」


「はぁ……」


「わたしは、ルキア・フォン・ノーマン。呼び方は好きにするといい。ノーマン卿とよく呼ばれるが、わたしのおすすめはルキアさんだ」


「……」


 その名乗りに対して、俺は思わず目を見開く。

 それは、封印都市フィサエルの属するザッハーク侯爵領――その隣に広大な領地を持つ、ノーマン侯爵領、その盟主の名前だ。

 つまり、俺の目の前にいるこの少女は。


 侯爵閣下だと、そういうこと――。

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