桃
@fujishirokeijirou
第1話
桃
都会の人間は簡単に信じてはいけない。
早々に引っ込んでしまった太陽によってもたらされた闇を、必死に誤魔化すようなあかりに染まり出した街の隅、シックな色合いでかためられ小洒落た印象を感じさせるバーの入り口で山口はそう確信した。
喪失感と焦りを埋め合わせるように、現在の状況を彼女に伝えるためスマホを立ち上げようとするが、指紋認証が機能しない。仕方なくパスコードを打ち込むが指先がおぼつかず何度も失敗した。
前方から五十代ほどの男性と二十代前半に見える女性が連れ立って歩いてきたので山口は壁に背中をつけるように端に寄った。
壁の冷たさが、ペラッペラのコートを通して伝わってくる。
落ち着こう、落ち着こうと考えるほどに鼓動ははやまっていく。先程の男女の笑い声が山口の冷え切った胸に突き刺さり、より一層焦りを強める。
ようやくスマホを開き、現状を伝え今日の予定を取り消してもらう旨のメッセージを送信する。
ついてない、と嘆くしかない。
事態は、2時間ほど前に遡る。
山口はSNSで出会った"saeri"という女性との待ち合わせ場所に向かっていた。就職のために上京したのはいいものの、友達の一人もできずに過ごしてきたことに嫌気がさしてSNSで積極的に友人を探していた矢先に出逢ったのがsaeriだ。
優しく、話が合い、すぐに打ち解けた。連絡を取り始めた数週間後にお互い会いたいということになり待ち合わせをすることになった。
saeriが待ち合わせの場所に指定してきたのは、都内のひっそりとしたバーだった。
趣味がいいな、と山口は機嫌良く向かったのだが、その辺りに疎い山口は道に迷っていた。
空も黒に染まり始め、待ち合わせの時間が近づいてきた。
saeriに待ちぼうけを食らわせるわけにはいかないため、山口は通りがかる人に声をかけて道案内を頼んだ。
立ち止まってくれたマナカと名乗る女性は髪を団子にして結び非常に快活そうな印象を受けた。
「今日はどうしてそんなとこに行くんですか?」
と、興味を示してきた。
「ネットで知り合った人と待ち合わせでして、ただそのあたりに行ったことがないので迷ってしまって」
話しながらも、マナカの後を追って進んでいく。この辺りに土地勘があるのかマナカは止まることなくどんどんと進む。
「そうなんですねー、あっ山口さんは桃太郎の話知ってますか?」
「知ってますけど東京のとはちょっと違うかもしれないです」
「どこの出身なんですか?」
「東北の方です。就職で地元から出てきて。それより急に桃太郎がどうしたんですか?」
「いえ、そのお店までここからだとかなり距離あるので雑談の一つでもと」
そうですか、とうなずくとマナカは桃太郎について話し始めた。気遣ってくれて優しい人だなと感心する。
「昔話としての桃太郎って悪い鬼が奪っていった宝を取り返すみたいな話じゃないですか。でも実際の言い伝えに最も近い話では、桃太郎は盗人とされてるんですよ。鬼から宝を奪っていったっていう」
「へえー意外ですね。昔話にするにあたって改変されたんですか?」
「それがですね?桃太郎が英雄になったのは戦時中に日本軍がつくった徴兵のためのアニメーションなんですよ。アメリカ軍に対抗するための策として」
「なるほど、そんなルーツがあったんですね」
「そうなんですよ。ただ今に置き換えるとなかなかすごいことじゃないですか?悪人が英雄にされるっていうのは。話の流れだけ見れば桃太郎が悪人なのに後世の人によってちょっと印象がかえられると、さも鬼が悪いように見えてしまうんです」
そうですねと相槌を打つと、ここですよと返事が返ってきた。
ありがとうございます、と答えるとマナカは困ったような顔をした。
そこからはあっという間だった。
感謝は形にして欲しいとマナカにのせられみすみす所持金の7割を持っていかれた。
呆然とするしかない。
マナカは近所のコンビニでスイーツを選んでいた。数日前露骨なぼったくりバーに向かおうとする山口から案内と称して金を巻き上げた。
典型的なやり口で、ネットで知り合った男性を店に連れ込み法外な価格を提示する。
こんなやり口に引っかかる方がどうかしてる。
そんな騙されやすい人間なら、適当に理由をつければ金をとれると踏んでいた。
ずいぶんひどいことをしたな、と思う。
が、あながち悪いことではないかもしれない。
例えば所持金の多くを失った山口が、あの場でバーに行くことを諦めてぼったくり被害に遭わなければ、人助けになったかもしれない。その帰り道で女性とばったりと出会い恋に落ちるなんてことも起きるかもしれない。
ウィーン、と自動ドアの開く音が聞こえ数秒遅れで来店の音楽が聞こえた。
驚いて急いで棚の影に隠れた。
あの山口がはにかむような表情で女性と連れ立って歩いてきた。
あの女性はどっちだろうか。
そんなことが気になった。
桃 @fujishirokeijirou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます