第9話 アルビオン
ジャンヌはアルビオンにやって来た。
古代のグレートブリテン島はアルビオンと呼ばれた。ラテン語起源で、ドーバーの白い崖に由来するとされる。
説明するまでもないが、後のイギリスだ。100年戦争でフランスと壮絶な戦いを繰り広げることになる。
1066年、ノルマンディー公であったウィリアム征服王がイングランドを征服し、大陸の進んだ封建制を導入して、王国の体制を整えていった。人口と経済力に勝るイングランドがウェールズとスコットランドを圧倒していった。
1282年、ウェールズ地方にもイングランドの州制度がしかれた。14 - 15世紀にわたりフランスと百年戦争を展開したが、1373年に英葡永久同盟を結んだ。
1497年、ジョン・カボットが北米海岸を発見した。1534年、国王至上法が出た。1536年及び1543年の統一法の下、ウェールズを正式に併合した(ウェールズ法諸法)。1559年、キリスト教がイングランド国教会統一された。1562年フランスでユグノー戦争が起こってユグノーが移ってきた。1588年、アルマダの海戦でスペインを破った。
1600年、イギリス東インド会社が設立された。1603年、イングランドとスコットランドが同君連合を形成した。そしてヘンリー・ハドソンやウィリアム・バフィンが北米探検を実行した。1620年、ピルグリム・ファーザーズが北米に上陸した。1628年に権利の請願がなされた。ウィレム3世は1694年イングランド銀行を設立した。1707年の合同法で、イングランドとスコットランドは合邦しグレートブリテン王国となった。
🏰古城にジャンヌはやって来た。
城へ続く吊り橋の途中で黄色人種と遭遇した。
まだ、若く年齢はジャンヌと同じくらいだ。
「この先にはオーガが出るって噂だ」
北ヨーロッパでは凶暴で残忍な性格であり、人の生肉を食べるとされる。一方で、引っ込み思案で臆病という面もある。知性や賢さといったものはほとんどなく、人間が彼らを倒すことは難しくない。また、自由に動物や物に姿を変えることができると言われている。住処は大きな宮殿や城、または地下である。
絵画などでは豊かな髪の毛とぼうぼうのあごひげをはやした大きな頭とふくらんだ腹と強靭な肉体をもつ大男として描かれている。
児童文学にはオーガに誘拐されたお姫様を救出する勇敢な騎士の話がたくさんある。また、ファンタジーゲームや映画の中にもよく登場する。
スカンジナビア半島の国々ではオーガはトロールと関連付けられている。彼らは山の中に建てられた城の主人であり、莫大な財宝をもっていると考えられている。
元々は人食い怪物のことで明確な名前があったわけではなかったが、オーガ(オグル)という名前がシャルル・ペローの小説『長靴をはいた猫』で初めて与えられた。
日本では「鬼」と訳されることが多い。
紫色の肌を持つ気色の悪い奴が城門から出てきた。
「きっと、オーガに違いない」と、黄色人種。
オーガは人間の右腕を咥えていた。
ジャンヌは吐き気を催した。オーガは目から不思議な光線を出してジャンヌを眠らせた。オーガはジャンヌを抱き抱え、城の中へと去っていった。
赤塚寛太は憧れのジャンヌに会うことが出来た。
寛太は父親が非正規雇用であることを理由にいわれのないイジメを受けていた。トイレの個室で用を足してるとバケツに入った黒い水をかけられたり、休み時間にトランプなどの仲間に加えてもらえなかったり……暴力を振るわれたり、恐喝されるようにもなった。
限界を感じた寛太は死のうと学校の屋上から飛び降りることを考えるが、怖くてやめた。果物ナイフで塾帰りのイジメっ子を夜更けのガード下で刺し殺した。2022年5月10日のことだった。
寛太は罪に苛まれ、同年5月15日列車に飛び込んで自ら死を選んだ。
寛太は天国ではなくとも地獄には落ちないと思っていた。だが、神は無慈悲だった。
冥府で塗り壁や一つ目小僧、ぬらりひょんなどを倒し金を得た寛太は成田から飛行機に乗り、アルビオンにやって来た。
寛太は
神武の治世にあっては、物部氏、穂積氏らの祖と言われる
寛太は冥府の大和(奈良県)にて土蜘蛛を倒した報酬として布都御魂をゲットした。
土蜘蛛は、上古の日本においてヤマト王権・大王(天皇)に恭順しなかった土豪たちを示す名称である。各地に存在しており、単一の勢力の名ではない。また同様の存在は
時代を経るに従い、土蜘蛛は物語や戯曲などに取り上げられ山蜘蛛や土蜘蛛などの名称で、日本を「魔界」にしようとする存在あるいは源頼光に対抗する蜘蛛の妖怪とされ、妖怪として定着していった。
『平家物語』の「剣巻」では「山蜘蛛」と表記され、源氏の家系に伝来する「蜘蛛切り」という刀にまつわる物語として登場しており、このはなしが能の五番目物の『土蜘蛛』などにも取り入れられ、妖怪としての土蜘蛛がひろく知られるようになった。源頼光が瘧(マラリア)を患って床についていたところ、身長7尺(約2.1メートル)の怪僧が現れ、縄を放って頼光を絡めとろうとした。頼光が病床にもかかわらず名刀・膝丸で斬りつけると、僧は逃げ去った。翌日、頼光が四天王を率いて僧の血痕を追うと、北野神社裏手の塚に辿り着き、そこには全長4尺(約1.2メートル)の巨大な山蜘蛛がいた。頼光たちはこれを捕え、鉄串に刺して川原に晒した。頼光の病気はその後すぐに回復し、土蜘蛛を討った膝丸は以来「蜘蛛切り」と呼ばれた。能の『土蜘蛛』では、土蜘蛛は四天王らに対して「葛城山に年を経し土蜘蛛の精魂なり」と語っている。
14世紀頃に製作された絵巻物『土蜘蛛草紙』では、巨大な蜘蛛の姿で描かれている。源頼光が家来の渡辺綱を連れて京都の洛外北山の蓮台野に赴くと、空を飛ぶ髑髏に遭遇した。不審に思った頼光たちがそれを追うと、古びた屋敷に辿り着き、様々な異形の妖怪たちが現れて頼光らを苦しめた、夜明け頃には美女が現れて目くらましを仕掛けてきたが、頼光はそれに負けずに刀で斬りかかると、女の姿は消え、白い血痕が残っていた。それを辿って行くと、やがて山奥の洞窟に至り、そこには巨大な山蜘蛛がおり、この蜘蛛がすべての怪異の正体だった。激しい戦いの末に蜘蛛の首を刎ねると、その腹からは1990個もの死人の首が出てきた。さらに脇腹からは無数の子グモが飛び出したので、そこを探ると、さらに約20個の小さな髑髏があったという物語である。
寛太がどのようにして土蜘蛛を倒したというと、30匹目の
そして、東大寺前に出現した土蜘蛛に『イカズチ』を落とした。⚡
正式には
奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。
東大寺は1998年(平成10年)12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
オーガは紫色の毒霧を放ってきた。
寛太は布都御魂で毒霧を晴らし、眠りから醒めていたジャンヌのハルパーに喉を突かれてオーガは事切れた。
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