第21話

「うぅん……ちょぉ、うるさ……聞こえってし――って、なんこれ高すぎ⁉」


 強烈な慣性に振り回されて寝ぼけていた少女が、目を覚ましてから目を剥いた。気軽に足元を見ようとして、崖を覗き込むような高さと恐怖に殴られていた。

 咄嗟に手足をジタバタさせて、おれの腕を執拗に振る。そこでようやく手を繋いでいることに気が付いたのか、ハッとしたり頬に色を足したり口を開けたり閉じたりと、空中の魔術師は忙しない。


「その、手……あ、ありがと」

「やめろ突発的な照れを披露するなやりにくい。手くらい、別になんてことないだろ」

「な、なんてことなくないし。実はいつだってそこそこ、緊張してたし?」

「嘘つけ。あんな乱暴に扱っといて……おかしいぞ」

「そりゃそうでしょ! 夢とか憧れの人間が目の前いんのに、正気なわけないじゃん!」


 逆に怒られた。彼女の心の堰は一瞬で崩壊して、続けざまに飛び出してくるのはごちゃまぜの感情。


「逆になんであたしの緊張わかんないの⁉ 手ぇめっちゃ震えてたよあたし!」

「会ったばかりでわかるわけないだろ! おれはきみの普段を知らない」

「いーやそんなことない。ガックガクでぶるっぶるだったし、これ地面も揺れてね? あたし以外も揺れてね? ってぐらい揺れ倒してて――あ」


 ――頭の中が、同じになる。そういう顔が見えたし、予感という予感が体中を駆け抜けて串刺しにした。やめろ、気づくな。お願いだから。


「あーちゃんも、まじで緊張してた感じか。冗談とか茶化すやつじゃなくて、ガチきんちょーか」

「してない。ほんとにしてない。いいから、今それどころじゃないから」


 良くない流れだ。切り替えなくては。

 主導権を握るため、繋いだ手を繋ぎ直す。手を握るんじゃなくて、もう手のひらとか手首とかを抑えきる気持ちで力を籠めた。

 ひゃう、と。ヘンテコなのに抗いがたい音が鳴る。


「や、やめ! へんな触り方、なし!」

「そっちだって、散々繋いできたくせに、きみの行いと、どこが違う?」

「ぜんぶ! ぜんぶぜんぶ違う! やっぱ、あたしから捕まえるのとそっちから握られるのは、違いすぎ、っていうか……」


 謎の紅潮と発汗。それに、発狂しそうな解放感。

 この世の頂きにまで辿りついたら、こんな気分だろうか。

 彼女とふたり、会話しているだけで浮き上がって、安定しなくて、心地いいのにどこかで焦りを消しきれない。この感覚や関係性には陥穽があって、一歩間違えれば深い穴に落ちるんじゃないかと――。


「今は落下の、真っ最中だろう!」


 荒っぽい発声で切り替える。最優先目標を現状の把握に変える。

 高度は、ユミナ捜索に際した跳躍よりも上だ。ダンジョン付近の古い森の木々が、雑草に見える距離。

 幸いにも雲よりは下だ。白い塊は随分と近く感じられるが、どれだけ背伸びしたところで爪の先も届かない。

 名峰と称される山々の半ばまでくれば、同じ景色に干渉できるだろうか。

 綺麗だけど、恐ろしい。眼下の絶景も、考えなければいけない内容も。


「ターナの無事は、わかるか?」

「ハッキリしたことは言えない。でも、へーきっしょ。あの子、なんだかんだで天才だから。あたしが教えたことは全部できるようにしてくるし、あたしがやってることもふっつうに盗んでモノにするし」


 大丈夫と、リーリアは繰り返し唱える。魔術よりも切実に、真剣に、呪いを口ずさむ。


「こういう事態でも、風の魔術を使えれば問題なしっしょ。あとはこの高所と、魔力の浴び過ぎをどーにかできればってとこかな。あーちゃんは、息苦しくない?」


 そういえば、苦しい。高所特有の病よりも、身体の中心部が麻痺している。

 ユミナの魔術行使に伴って拡散した魔力――他者の生命力をもろに浴びたからか、体内を圧迫される違和感が消えない。


「自分の魔力だって制御できないと負荷ヤバなのに、他人の魔力貰いすぎるとか体調まじでオワっしょ。あたしだってそーだし、弱音吐いていいよ」


 促しながらも、彼女は杖と手を止めていない。ここでおれが弱さを見せたら、さすがに精神が折れる。

 リーリアの吹かす風によって落下速度が抑制され、以前よりも平静に近づいたことだけが救いだ。


「あとは、さっきの冒険者から逃げられたかどうかって感じ。ユーみゃんの魔術がここまで強いなら、みんなバラバラになるから心配はなさそーだけど……」

「備えろ、リーリア。どうやら、そうはいかないらしい」


 知らせて、おれは一点を見た。

 横たわる空気のせいで、ぼやけるほどの遠方。紙の上に跳ねた塗料みたいな点を起点に、編まれた布の隙間より小さいナニカが飛んでくる。

 荒れ狂った大気を穿つ、細長くて甲高い悲鳴。

 不快な高音はあっという間に爆音へと変わり、その正体を露わにした。


「弓矢――さっきの狩人⁉」


 短刀を抜き、鏃に刀身を当てる。威力が殺しきれず、矢は左肩を掠めた。未だに思考が追い付かない。今の攻撃は、至近で弓を引かれた以上の速度だ。魔術での支援を疑ってもいい。

 動転したのはおれだけでなく、魔術師は揺らいだ考えを小さく出力し続けていた。


「長距離射撃でこの威力……彼らに、そんな実力なかったっしょ。レベルも装備もそこまでに見えたし――」

「『勇者』になった、か……」

「『モドキ』か本物かはさておいて、力は増してそーだね」


 二発目がくる。三、四――続く。


「一応聞くが、風の操作で避け続けられるか?」

「いやぁ、あやしーかな。突風で跳ね除けんのも多分むり」

「なら、近づくしかないか」

「りょーかい。ちょっと恐怖体験ぽさある落下加わるけど、いいっしょ?」


 奇跡的な力に操られ、吹き付ける風の質が変じた。攻撃が飛んでくる方向へ身体を押されながらも、二人揃って地面に引っ張られていく。

 さまざまな流れに身を任せて、飛来する脅威に対応する。斬って弾いて折って撃ち落としてと応じるが、完全な対処は困難だ。

 下方へ常に移動しているというのに、よく当てるものだ。

 傷が増えるごとに、褒めが心に沸いてくる。きっと、どうかしているのだろう。


「あーちゃん、もうすぐ地面!」

「相手にも近づいてきた、すぐ仕掛けるぞ!」


 こちらの優位があるとすれば、魔術師の有無。相手は落ちるしか能がないのに対し、おれたちは風に乗って最低限の移動が可能だ。 

 息をするごとに、敵の輪郭と大きさがハッキリしてくる。最初は点や粒だったが、今は手に収まるおもちゃにも近い。深呼吸一度挟むだけで、相手はようやく等身大の姿になってくれる。 


 怯えるほどに広がっていた平原も小さい。もう少しで足がつく――ついた。衝撃を全身で吸収したらすぐ爪先に力を入れて、駆けだす。

 例の冒険者は墜落すればよいものを、近くの木に紐付きの矢を射って命綱とし、勢いを殺いで墜落を回避していた。

 しかし、明確な隙だ。このまま遠距離から一方的に削られる前に、片をつける。


「リーリア、援護!」

「りょーかい! 『爆ぜて!』」


 敵の頭から靴裏までを飲み込むだけの、小さな爆発。白い煙幕からは、細い影と人が抜け出した。


「動きはっや⁉ 魔術発動が間に合わないってまじ⁉」

「相手の動きを邪魔できればいい! 続けて!」


 平地に穴を開け続けて、相手に機動を強要する。その間に接近して、首を取る。

 暗殺者の『業術』――隠形で陰に潜る。相手に気配を悟られない補法で肉薄し、


「悪い、彼女を殺させる前に、殺す」


 刃を振るうと、返事があった。なぜ、反応されたのか。この状態で戦闘するおれに、誰も気づかなかったのに。

 気づいては、くれなかったのに。


「悪いと謝罪するのはこちらの方だよ、少年」


 平坦な男の声、地鳴り、振動、衝撃。

 吹き飛ばされて洪水じみた振舞いで、襲い掛かってくるのは土と石。巻き上げられた土砂が散弾になって、おれたちを襲う。本能で後ろに飛ぶが、被弾は避けられない。

 リーリアを引っ張って行動していた甲斐があった。彼女への被害は少ないだろう。


「狩人だってのに、魔法も使えるのか……おれの非才さを強調すんなバカ……」

「魔法じゃなく、ただの脚力だよ。『勇者』の力は、人としての性能を上げてくれるらしくてね」


 時間稼ぎに吐き捨てた台詞が、偶然にも帰ってくる。浮ついた声。全能感を足場にして、高台から見下ろすものの言葉。

 彼の口と舌は、お気に入りの道具を見せびらかすための部位だった。


「ああ、ほんとに悪い。でも、そちらも悪いのだからいいだろう? お仲間のお嬢ちゃんはひとりで行動していたし、そこの君は冒険者ギルドでも報酬乞食で有名だった。加えて、単独行動疑惑が囁かれていたから――」


 もったいぶって、物語の主人公気取りで、彼は指さす。


「新たな『勇者』――ハース・ハルネスの伝説の幕開けとして、死んでくれ」


 弓を引く苦しげな音。対抗するため短刀を指から放すも、弦の解放が想定より速い。

 烈風の起こりを肌で感じ取る。同行者を庇いつつ、右に身を投げ出す。

 おれが向かわせた金属を砕いて、一矢が明後日の方向をぶち抜いた。

 暗殺者と魔術師の現在地から、五人分ほど左に逸れた方角。

 狩人としては落第の誤射が、おれには十分な脅威だった。


「っ、あがっ――」


 野原を覆う微風は矢羽に裂かれて研がれ、斬撃と化した。吹き散らされた石ころやそこらの草さえ、人体に切り傷をつける矢刃だ。リーリアの前に出した左腕がその餌食となった。大丈夫だ。痛苦はあるが、致命傷ではない。

 かくん、視界が傾く。


「あーちゃんっ⁉」


 傷の割に腕は動く。だいじょうぶ、だいじょうぶ――おれは『勇者』だ。リーリア・リリンの手で友達を多く作ってもらってはいないから、まだ『勇者』のはずだ。であればまだ戦えるのが当然。

 言い聞かせ、片膝を土から離す。相手を黙って睨む。


「おっとそう睨まないでくれ。いたぶるようで済まないが、偉大な『勇者』の力を制御できてはいないんだ。歴史に名を遺す男の、練習に付き合えたと思って堪えてくれよ。もう少し調整に時間はかかるが、すぐに楽になれる」


 ふざけるな。怒りのままに剣を振るう。暗殺者としての自分を放棄して得た、『勇者』の力を注いでの一撃。

 だがそれも無駄だ。男が足元を蹴り上げただけで、多くの土塊に埋もれて斬撃は鋭さを失う。

 接近しての暗殺も、ただの脚力で無力化される。そもそも殺害するために必要な、刺突の速度が足りていない。遅すぎて反応される。

 連続戦闘での疲労が影響しているのか、もしくは――いや、考えるのは止そう。

 おれの戦う意味を、否定することになるから。


「あーちゃん、素直になろっか」

「おれはいつも素直だバカ」


 囁きには乱暴な言葉で返す。それどころじゃない。時間稼ぎとして、転がっている武器を投げた。

 反撃がくる。嬲ることを目的にした一射。巻き起こす風圧ですら脅威であり、距離を取ろうとも上手くいかない。


「逃げるよ。このままじゃ、あーちゃんが死んじゃう」

「どうやって。背を向ければ射抜かれるぞ」

「ユーみゃんのこと、真似しちゃお。魔力全部使えば、なんとかなるから」

「おい、それできみはどうやって助かる――っ⁉」


 天を裂く爆音。見知ったリーリアの魔術だ。

 かき消されぬよう、声を張る。


「『勇者』になるんだろう、きみは! おれを引きずり降ろして、夢を叶えるんじゃないのか⁉」


 狩人の周囲に目くらましの爆炎を撒いてから、魔術師は心情を吐露する。


「あたしが『勇者』になれなくて、あんたが『勇者』なのは嫌だけどさ――憧れの『勇者』が死ぬのは、もっとイヤ」


 頼りない杖で優しく撫でるように陣を描いて、おれには聞き取れないようにそっと呪文が唱えられる。魔法の発生がわからぬよう、詠唱は巧妙に隠されていた。

 狩人への牽制もある。なにが最善か。この手は敵を相手どるので精一杯な以上、尽くせるのは言葉のみ。

 昔のように隠れて凌ぐことなどできないし、しない。

 いま影に消えれば、一生彼女の手を取れなくなる。


「自己犠牲の上になりたつ『勇者』が、憧れの存在か? 答えろ、リーリア・リリン」


 我ながら無茶苦茶な理屈と、拙い煽りだ。みっともなくて情けなくて、この惨めさでは終われないから諦めない。


「じゃあさ、こういうことにしよっか」


 嗚咽と等しい、弦の悲鳴が耳にこびりつく。どこまで弓に負荷をかけられるのか試していなければ、ここまで苦しい音にはならない。


「あたしも『勇者』になるんだ。夢を追う。父を追う。だからこれは犠牲じゃないってことで、どうよ?」


 ――なれるかバカ。『勇者モドキ』になって周囲から嬲られる恐れは拭えないし、魔術師はユミナのように魔力暴走の危険もある――。

 口が動かない。舌が回らない。直面した危機に、腐っても暗殺者の肉体が構えてしまう。


 戯れに放たれる、力加減を放棄した一撃。避けきれない。飛来する先端を得物で受けて逸らした代償に、刀身と左手の骨が一部砕けた。

 二発目がくる。

 次はどうすればいい。

 今度はどうやって、彼女を、友人を――おれにとっての『勇者』を守れば――



「だからさ、『そーいうこと』に、しといてくんない?」


「しない。ぜったい。おれはきみを、ひとりにしない」


「だめ。あたしはきみを絶対ひとりに、最強の『勇者』にしてあげる。――それじゃあね、『さよなら』」

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