第20話

 イヤな想像が肥大して、頭が爆発寸前。呼吸が荒い。疲労か無茶の反動か、踏み込んだ足がズレて滑っていく。


「間に合わなくたって、最悪を引き伸ばさないことぐらいできるだろ……っ‼」


 言葉を吐き捨てることで意思も一緒くたに引き出して、頑張ってもう一歩前へ。それを何度も重ねる。

 おれが今までに受けてきた仕打ちと、最悪な伝承を思い返せ。


 追放されたら、ひとりになれたら、『勇者』に至れる。

 皆は『勇者』になるのではなくて、『勇者』を生み出さないよう集まった。集まらないやつは殴っていたぶって這いつくばらせて引きずって、集団の中に加えた。

 昨日までのおれみたいな、ひとりぼっちは許されない。


 それは、幼い童女であろうと同じだ。

 知っている背格好が、徐々に近づいてくる。でもまだ遠い。もっと近くまで行かなければいけない。

 追いつくにつれ、荒い声と音が耳に入ってくる。聞こえる罵声が大きくなる。


「あれは――やばかも。ターにゃん、認識阻害魔術、あと追跡魔術も準備。あたしが教えたこと、全部できるっしょ?」

「はい! 守るための等距離魔術は⁉」

「それはあたしがやるからいいよん」


 手際よく方策が練られるも、状況の悪化はそれより速い。

 冒険者の一団が、ユミナからそう遠くない位置に迫っていた。見覚えがある。冒険者ギルドで見かけた奴らだ。昨日おれを殴った奴も、笑ったやつも、見てただけのやつも含まれている。

 町の大通りの反対側ほどの距離で、彼らの一人――狩人は弓を構えて、子どもに向けて矢を放つ。


 集団の一員たる魔術師は杖を掲げ、女の子を魔術陣の中心に捉えた。

 パーティの中心である、先頭をゆく男二人も大剣を抜いて構え、全速力で童女を目標に駆けだしている。完全に、斬る覚悟を決めての吶喊だ。

 腰元の刃に指を伸ばす。命を奪わない程度にとどめられるか? わからない。

 だが、ユミナの命をむざむざと奪わせるのは――想像するだけで吐きそうだ。殺して後悔する方がまだまし。

 自分の刃によって、人の息が止まる光景は勝手に脳内で展開する。考えるのをやめたくても不可能だから、童女が倒れ伏す最悪の想像で上書きし、腹をくくった。


「ユミナ、援護するっ!」


 ただ仲間への攻撃阻止を最優先にして、武器がこの手を離れる。流れ弾に当たる不幸な事故が生じないよう、警告も忘れず。

 しかし。


「あはは、いらないって、そんなの! それより、聞いて聞いて! おにーさん、いや――『勇者』の先輩! ワタシ、仲間だよ!」


 ユミナはぐるりと身体全体で振り返って、軽く笑い飛ばした。

 飛来する弓矢も降り注ぐ魔術の雷も、刃を携えて迫る戦士も気に留めず、おれにだけ気持ちを費やしていた。

 いっぱいに開かれて空の光を跳ね返す双眸が、話をしようと誘う。


「すっごいんだね、『勇者』って! ひとりって、想像以上にやっばい! ぴょん、ってなる! るん、てなる! 一回『離れて』って言えば――ほら!」


 金属の杖を球技でもするように振り抜けば、童女への脅威が吹き飛んだ。矢も雷も剣士たちもまとめて木の葉さながらに飛び、弧を描いて落下する。

 それどころか、彼女の足元さえも歪にえぐれている。神様が大地を適当に匙で掬ったと言われても、思わず信じてしまいそうな様相だった。


「足も速いし、力も強いし、遠くまで見えるし、空気もおいしい! 何回だって魔術使えそうなのも最高! これなら一生飽きなそう!」


 飛んだり跳ねたりと、見習い『勇者』は忙しい。

 ユミナは気持ちを制御できなくなったのか、とうとう全力で走り出した。初めて旅行に連れてきてもらった子どもさながらに駆けだして、全速力で疾走を楽しんで、それから人の悪意を一身に受ける。


 小さな足が気ままに地を踏むと、記されていた紋様が光を帯びて顕在化する。

 仕掛けた魔術師のしたり顔が目に浮かぶ。これを好機と起き上がった、戦士たちの笑みも難なく脳内で構築できる。

 されどそれ以上に、引っかかった当人が好奇心に口元を歪ませる。


 幼さが危険と楽しさへと童女を踏み込ませて、ワクワクが心を麻痺させていく。

 いつかと同じく、雷が生じる。魔術陣から蔦のように生えた雷光たちは天に向かって伸びてから、一定高度で結ばれた。

 パチパチと鳴る鳥籠に閉じ込められても、興味に従うままにユミナは魔術の杖を振るった。


「『離れて』――いや、同じでもつまんないな――『弾けちゃって』!」


 雷の檻がたわみ、魔術が一度破却されたからか元の形に戻り、それから牢獄は急に膨らみを帯びて爆散した。熱を帯びた電光は、風に吹かれた雨みたいに地面に叩きつけられて消える。


「あれ、意外と変な動き。おもしろいなー、あとできょーじゅに報告しなくちゃ。だからさ、空気読も?」


 罠の展開を隠れ蓑に、再度接近していた戦士二人。不届き者に対し、勇者見習いの魔術師は杖を突きつける。


「距離とれ、ユミナ! 魔術師だろ、きみは!」


 警告と陽動を兼ねて呼びかける。忘れずに短剣を冒険者たちに贈ると、狙い通りに快音が生まれる。三振りの刃は防がれたが、結果として三人分の敵意が釣れた。

 あと一人の戦士も振り向かせれば、完璧。隣人の焦りも解消されるはず。


「ユーみゃん、戦っちゃダメ!」

「あーもう、騒がなくてもだいじょーぶ! ワタシ、もうただの魔術師じゃなくて『勇者』だし! ひとりで何でもできるし、どこでもいけるって」


 棍棒でありながら魔術を媒介する道具が、迫る長剣に触れる。


「やめて! その力、きっと制御できてない!」


 リーリアの発した警鐘を、金属同士の派手な衝突音が打ち消す。


「『もう少し、離れて――ワタシをちょっとだけ、ひとりにして?』」


 幼気な魔術師のお願いだけが、寒気立つほどに反響した。

 ひろいひろい平原に、かわいらしくて剥き出しの願いごとが響いてぶつかって跳ね返って、作用する。

 彼女へ肉薄した戦士に、魔術師に、狩人に、そしておれたちにだって。


「――っ⁉」


 宙にいた。おれの身体は地面から弾かれ、中空にあった。

 手首で爆発する激痛と、ナニカが砕けて壊れていく不快な音色。とにかく手を広げ五指を伸ばす。隣人の、リーリア・リリンの遠ざかる手をもう一度掴む。


 離して、たまるか。

 まだおれは、『勇者』のままだ。こいつの手で、おれは『勇者』じゃなくなって――ひとりぼっちから抜け出さなくちゃ、いけない。

 それが切っ掛けだ。それが約束だ。そのためにおれは――。


「こんのっ……」


 肩や間接が外れること覚悟で、腕よ伸びろと必死にあがく。迷宮内からの無茶な駆動続きでガタがきたのか、いつもより手の届く範囲が広い。よかった。

 おれたちを繋ぐ唯一のものは、手錠だ。無骨な腕輪とその鎖は荒事に耐えかねて損傷しており、ガチャガチャと盛んに擦れては不安を煽る。

 わずかな間でいい、壊れるな。あとひとつ手が伸びれば――彼女に届く!


「よし!」


 指の先を引っかけた。熱い。彼女の体温を逃さぬよう掴み直して、引っ張る。安堵した直後、バキャリと派手に鎖は割れて垂れさがった。


「リーリア、おい聞こえるか、リーリアっ⁉」

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