第19話

 敵は完全に無力化できたのか。

 自分が莫大な『勇者』の力を用いているからこそ、『勇者モドキ』はまだ戦闘可能なのではという怯えを消しきれない。

 遠くなって随分と小さい点に見える上半身に、先ほど振るった刃物を投げる。


 暗殺者からの返事は、彼の武器そのものだった。半身であろうと戦闘継続可能なその鍛錬と才能に敬意と嫉妬を捧げ、地に落ちた瓦礫で刃を弾く。

 そのまま敵の得物を奪って首元に短剣を放り、介錯とした。


「おにーさん、危ないって⁉」


 一歩遅れて叫んだユミナに、


「大丈夫だ、今度は確実に終わらせた」


 和やかな声で応答し、振り返って落ち着かせようとした。だが、待ち受けていた彼女の表情には持ち前の明るさが皆無だ。というか、おれに呼びかけながらもおれを見ていない。

 敵意に近づくまで研ぎすまされた、彼女の注意の向く先は上。天井だ。

 今まで、洞窟の壁が持ち上げていた蓋。その強固な支えは、ついさっきおれが斬撃で壊したのではなかったか。


「急いでっ! このままじゃ崩れて埋もれる! 『離れてっ!』」

「ユミナ、ダメっ! 相手が重すぎて、簡易詠唱は時間のムダ!」


 童女ふたりがいち早く動き出すが、明らかに崩落の方が追い付きそうだ。


「ここはおれが、もう一度土砂を吹き飛ばして――」

「このアホ『勇者』! あんた、その力明らかに制御できてないっしょ! 斬撃に使えば地形ごと切り飛ばすし、隠密に使えば認識されなくなるぐらい影うすになるし、そんなんで濫用しようとすんなし!」


 強めに怒られた。凹む前に指示が飛ぶ。


「あーちゃんは、移動のことだけ考えて! 繋がれたあたしもターにゃんもユーみゃんも抱えて全部の力を足に注いで!」

「りょ、了解!」


 手錠から伸びる鎖を手繰って、細くて脆そうな指を掴み取る。それから揃って駆けている童女たちに追いついて、小柄な身体をふたつ攫う。

 空いた腕を懸命に伸ばして引っかけるように奪ったから、肩が外れそうだ。


「これで、どうだ……っ?」

「ダメだ友人、遅い! もっと早くは走れないか⁉」

「無理だ、身体が重い!」

「な……友といえど、女子に吐いてはならぬ言葉が――」

「違う、おれの身体だ! 重りとはもっと別の部分で、上手く動かない!」

「重りとか言っちゃいけないんだが⁉」

「うるさい! もうちょい無理するから、その軽さで吹き飛ばないようにしがみつけっ!」


 肉体の先端、骨と肉体を繋ぐすべて、重要なナニカが悲鳴を超えて絶叫を発しているがもう考慮できない。

 そうまでしても、精神を圧しつぶす崩落の振動は背中を掠めるし踵に当たる。

 つまりは、速さが足りていない。


「このっ、なんでだよ⁉」


 悪態をつきながら、もう限界だとうるさい自分を殺して前傾姿勢を保つ。

 水っぽく、粘ついた不快な音が聞こえる。耳からじゃない。この響き方は体内だ。痛みよりも、四肢の軋みの方が警告として役立っている。


「なにか、案はないか⁉」


 苦しさを紛らわす呼びかけに、


「待って、いま調べっから。――あーちゃんの出力、落ちてる。これは……集団で密集したから? でも、完全には消えてない……あたしたちの存在を誤認させる魔術で、『勇者』としての出力上げれる……ものは試しか」

「友人、風の魔術で手助けする! 『荒ぶ大気は我の手に、静かな空は上方に――』」


 魔術師たちから寄せられた希望を燃料に、自分をぶっ壊しそうな一歩を重ねては持ちこたえる。  

 それぞれの魔術行使が遮二無二行われる中で、ただひとりだけが静かだ。


「魔術の対象を相手じゃなくて、自分に……おにーさんから、離れればいい……? いや、おにーさんみたいに近づけばいい? とにかく、試す!」


 ひゅんと、小気味よく杖が空気を鳴らす。


「――よし『離れて!』」


 ほんのわずか、おれの負う枷が軽くなる。童女はふわり浮いたが、すぐ地面に引き寄せられ始めた。

 危ない。落ちないように回収して、足を軽くひねって、ユミナに怪我がないことを確かめて、また走る。


「わっ、とと……ダメか……。ね、きょーじゅ!」

「なに⁉ いま陣作ってるから、手短によろ!」

「ワタシたちの存在が、おにーさんの『勇者』の力を邪魔してるんだよね!」

「そーだよ、たぶん! 集団だから、追放されてないから、『勇者』度が薄まってる!」

「わかった、なら!」


 ひゅんひゅんと、心地よい風切り音が耳朶を打つ。


「――っ⁉ ちょい待ち、ターにゃん‼」

「おにーさんとワタシを一緒にして――『術者自身を、あの暗殺者に、おにーさんに近くして! もっと!』」


 先生の「待った」に重なる形で、童女は世界に命じた。

 自分を、どこぞの暗殺者の存在に近づけろと。

 ユミナ・ユクリナを、『勇者』に重ね合わせろと。

 それは、莫大な変化を強いる魔術なのだと――


「「「なに⁉」」」


 おれたちが肌身で感じ取る頃には、もう何もかもが過ぎていた。

 四人が、三人になった。

 ひとりが消えている。欠けている。

 ぐちゃぐちゃに乱れた風の流れと高速で移動する気配は、女の子がひとりで駆け抜けたことを示していた。


「あーちゃん!」

「急ぐから、死ぬ気でしがみつけ!」


 身体がグッと軽くなる。迷宮の土を一度蹴れば、その勢いだけでどこへでも飛んでいけそうなほど。

 地面を駆けるのは、やめだ。一度全力で大地から離れれば、その勢いを着地で殺すのは困難だった。曲がりうねって狭い迷宮内では、落ちる前にどこかにぶつかる。ならば、壁から壁への跳躍を続けるのが最もやりやすい。


 自然の摂理に逆らって移動を重ね、両脚が砕けたころに、光が見えた。

 ダンジョンの入り口を踏まずに越えて、上方が青色に開けた。

 飛ぶ。地べたに帰ってきた久々の感慨に浸るのは、後でいい。


「ユミナを探せ! おれは正面を見る!」

「あたし右! ターにゃんは左よろ!」

「はい! わかりました!」


 高度が上がる。目線は森の遮蔽を飛び超えて、木々の群れとその先に広がる平原、更に奥にはおれたちの街まで届く。

 目を凝らす。行きかう馬車、冒険者の一団、商人、身を顰める不審者――どれもあの子じゃない。


 急げ。誰よりも早くおれたちが、おれが見つける。

 それが出来なきゃどうなるか、この身が一番わかっているから。

 目を凝らす。長い列を組んで移動する、交易隊がどうしても目に付く。商品を積んだ馬車の幌は揺れていない。風はよわい。今日の天候は穏やかだ。


 なのに、視界の端で枝木が動いた。

 不自然な強風の出所を辿れば、平地を突っ走っている粒みたいな人影に辿りつく。


「いた! 街道を左にはずれた方向! 一本孤立した木と、冒険者四名が近く! 見えるか、リーリア、ターナ!」

「もち! 風の魔術重ねるよ、ターにゃん!」

「陣作成、しときました!」

「さすが、教えたことは何でもできる子じゃん! 憧れ!」


 大気が魔道具に切り裂かれる。魔術師の連携に応じて周囲は光と紋様に溢れ、全身が流体に押されはじめた。

 妙な浮遊と加速の味わい。なにかがズレて狂いそうな感覚を、打ち消すべく近くの木を蹴って推進力を得る。

 景色はあっという間に流れて、味気なく引き延ばされては過ぎて去っていく。

 それくらいの勢いでようやく、ターナの背が粒から点に広がり、面として判別できるようになる。


「ユミナっ! 友人、急いで!」


 友の無茶な要望にも、黙ってひたすら応えるため歯を食いしばる。

 追いつけそうなのは良いことで、また悪いことでもあった。自由に移動している彼女に迫れたのならば両手を挙げて喜ぶが、現実はそうもいかない。


 何者かに移動を妨害されているからこそ、彼我の距離は埋まっていく。

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