第18話
辺りは様変わりして、多数出現するはゴブリンやホブゴブリン、それらより大型なオークの亡骸。
折れた弓矢に壊れて放棄された武具もある。それにアンデットやスケルトンの残骸も確認できた。
血液や治療に使われたと思しき包帯の散らばりもひどい。むせ返るほどの死臭は、大抵よくない兆候だ。
前方からの音も乏しい。そろそろ撤退を選択肢に入れるべきか。
頭の中で検討を始め――違和があった。
目の前に、倒れた冒険者の身体がある。
おれたちの目と鼻の先、数歩進めばぶつかる距離に、人体が伏していた。
「止まれ」
警告する。
ジャラリと鎖を鳴らして、強く引っ張って、リーリアの身体を止める。
「友人、あの怪我人に早く回復魔術を――」
前へ駆けだしたターナの肩を掴んで、後ろに引き戻す。
直後、空を裂く音色。
銀髪目掛けて飛来したのは、小さな刃だ。
それを寸でのところで刃物をぶつけて弾き、おれは全神経を現状の把握に注ぎこむ。
目の前に、直立した冒険者の身体がある。
腕を伸ばして、足を合わせて、奇妙な棒立ちをした人型がいる。
瞬きなどしていないのに、起き上がる動作を視認できなかった。
そもそも、なぜおれは倒れた人間に気づけなかった?
立ちふさがる人を見る。
顔は、黒い頭巾で影になって見えない。腕も足も、黒色の長い外套に覆われて詳細が読み取れない。体格からして恐らく男。
身なりからして、恐らく
緊張感で、世界から騒がしさが消えていく。
ぽたり、ぽたりと。滴りだけが耳をうつ。彼の身体からは、粘ついた赤黒い液体が零れ落ちている。血液だ。
モンスターに刻まれた傷は多数。衣服の損傷が激しいことから、治癒魔術が複数回かけられたのだろう。残る傷口は深すぎるためか惨状のほどが見て取れず、ただ落ち窪んでいるようにさえ思えた。
ぽたり、ぽたり。一定間隔で、鼓膜を震わせる雫。水音が連続して、途切れて、おかしくなった――刹那。
「――っ、退け!」
凶刃が迫り、躱す。続く暗殺者の肉薄と斬撃を、短刀で逸らす。
「ターにゃん、ユーみゃん、水とか炎とか魔術、準備! とりま、死霊系に効くやつ!」
攻撃で生じた隙に、すかさずリーリアが杖で相手を殴打――当たらない。空ぶった杖が地面をえぐり、土を散らす。
「きょーじゅ、それアンデット⁉ じゃあ、簡易詠唱でいい⁉」
「ユミナ、全部唱えて! あれは普通じゃない! たぶんだけど、『勇者モドキ』のアンデット!」
「なにそれ⁉ おにーさんのゾンビ⁉」
「違う! 死にかけのままひとりで放置された冒険者のこと! 『勇者』の力を持ってるから、生半可は意味ない! 『我らの位置は揺れ動き、天は動かず――』」
距離を取りながら交わされる、疑問と指示、詠唱。そこへ、薄くはあるものの確かに、鋭い殺気が放たれた。
おれたち二人から離れ、『勇者モドキ』は後衛に狙いをつけていた。妨害可能か――いや間に合わない。
奴と童女二人を結ぶ空間に、短刀を三本投じる。足を動かす。拘束具を考慮せずに全力を出しても、赤毛の魔術師はそれについてくる。
暗殺者の姿が消える。金属音。刃が勢いを失って舞うが、敵の足止めは済んだ。
ターナとユミナの正面まで到達。再び、短い刃を重ね合わせて受ける。
「全員、おれを使え! 恥ずべきことだが、おれは集団での戦闘に慣れてない。だから好きなように、人型の障害物を利用しろ!」
「りょうかいっ!」
隣で威勢のいい反応があって、またもや杖が鈍器として振るわれた。リーリアはおれの腕を掴んで支えにしつつ、全力で木材が風を生んだ。
しかし回避される。勇者未満の死霊は、発条じみた跳躍で後ろに下がり、
「人の服の皺だってさ、線で陣っしょ――『爆ぜな!』」
魔術師は撤退を許可しない。
迷宮の一角が、赤く爆発した。人体一つを丸々包む爆炎が、アンデットの足元に召喚された結果だ。
「攻撃でもあり、男の子への密着でもあり、陣作成でもある――うん、あたし完璧」
「油断するな! 沈黙してないぞ!」
焔は落ち着き、色は赤から煙の灰へ。煙幕の中で、真っ黒な人影がゆらり構える。
互いに視界が阻害された、最悪の状況。
だが、暗殺者にとってはこれこそが最高だ。
高揚と研ぎ澄ました精神をもって、相手を殺す。魔術の詠唱も借りて、ただ対象の殺害にすべてを尽くす。
「『刃は影の中へ。切っ先を核の核へ。殺意は既に要らず、心で死を与えるならば――それ即ち未熟と知れ』」
祈りと自戒を自己に浸透させ、手の震えを消した。
無心で得物を五振り、前に放つ。そして投擲物の影より速く、次の暗器を送り込む。
第一陣が弾かれる音色。
跳ねて踊る刃に、刃を投じて合わせる。弾かれた刃物は方向を変え、また獲物の下へと従順に飛ぶ。同じことを重ねる。
後を追わせた刃を、先陣と同着し追い抜くように速く、迅速に、影絵が消失する速度まで至らせ――。
「これだけ餞を贈ったんだ、もう一度くらい死んでくれ」
跳弾ならぬ跳刀の檻に、死霊は囲まれた。
鋭い牢獄はそのまま敵を捕らえ、内部を押しつぶさんと一瞬で閉じる。
多数の刃物は煙を握りつぶすように引き裂き、姿を消す。残ったのは、無機物が布と肉に沈み込む残酷な響きだけ。
「すっご、やっ――」
「いつもより浅い! 追撃を!」
アンデットすら殺せるはずの、刃の通りが悪い。耳から感じ取れる情報と、いつもの感触が異なる。『勇者モドキ』だからか、この暗殺者が腕の立つ輩であったか。
考えるより先に、脳は状況の読み取りを優先する。
「もっかい、『爆ぜな!』」
魔術師の命令通り、同地点に展開する魔術。膨らんだ焔から、影が一つ分抜け出る。四肢を刀の筵にしながらも、死者は止まらず懐へ手を伸ばす。
芸のないことに、殺意の先は最も弱い者たちに変わらず注がれていた。
血色の悪い指が武器の柄に触れる前に、地に落ちた飛び道具を回収し、放る。
切っ先が暗殺者の装備を裂き、武装が零れ散らばった。
「本体を制止できなくても、衣服は違う! 緊急時はそれで武装解除すれば――」
警告しながら、己の愚かさに気づく。
あの死霊にはまだ、使える武器がある。
「動けっ! ターナ、ユミナ!」
ずるり、と。死肉から、モノを引き抜く水音が漏れた。
『勇者モドキ』は自らの肉体に突き刺さった刀を取り出し、機械的に用いた。
間髪入れず、風の悲鳴が壁を叩く。
「『――の奥、人影の森、陽炎の海!』」
同時に、小柄な身体がふたつ揺れる。
肥大する死の恐怖に競り勝つためか、ターナが囁くような詠唱から声を爆発させる形に切り替えると、二人分の存在が薄れた。
身を隠す暗殺者の『業術』、その魔術版か。『勇者』の研究を行う学徒というのは、伊達ではないらしい。
当たりをつけられなかったのか、ひとつふたつと見当違いの地面に刃先が埋まる。だがそれも、面制圧に切り替えられれば関係ない。
予想通り、攻撃の質が変化する。狙いを定めた一撃から、一面を制圧するための散弾に変わる。
仲間に向かう飛翔体を投擲で撃ち落とし、この手にある刃物で弾いて――数が多すぎる。
「死体の割に……きっと、腕の立つ暗殺者だったんだろうな!」
この場には、彼以外の死体はない。全員退避は出来ている。回復魔術の治癒痕もあるからすぐ見捨てられたわけでなく、仲間からの支援も受けられる立場だ。
腹が立つ。そこまで出来る奴がここで死んでいることにも、彼女たちに刃を向けていることにも、相手をすぐ殺せない自分にも。
「くっ、『離れてっ!』」
「ターにゃん、あんま無理しない! 短い詠唱で凌いでこ! ――『烈風はここに!』」
金属の棍棒と魔術の行使で、ターナはなんとか刃の雨を跳ね除ける。同様の棒術で彼女を援護するリーリアは、切り傷を増やしながら叫んだ。
「きつくても、あとはうちの『勇者』がなんとかするっしょ!」
「なんとかするって……おれじゃアレは殺せない!」
「出来るって! だって『勇者』じゃん!」
「違うって言って――」
「昨日あたしを助けたとき、追いかけてくる冒険者を相手にしたとき、あんたはぜっったいに『勇者』だった‼ 今もそう! あたしらを庇いながら戦う姿は、紛れもなく『勇者』そのものだっての!」
暴力的な喧騒の中で、殺意も恐怖も全部踏み潰す叫びだった。
「ずっと研究して、調べて、夢を追いかけてきたあたしを信じろこのアホ! ただ黙ってかっこよく、隠れてないで正面から剣振れこのバカーっ‼」
剥き出しの言葉で、殴られる。
身を隠すためにずっと屈めていた猫背が思い切り殴打されて、姿勢がしゃんとする。
手が武器の柄に伸びる。
背後から、相手の急所を刺すための短剣。
死角から、それに遠くから敵の息を止めるための暗器。
「――関係ない」
自分に、言い聞かせる。
自分が暗殺者であることは、皆から軽視される冒険者であることは、嫌というほど知っている。
でも、それだけじゃない。
「おれは、忌み嫌われる『勇者』でもある」
――目の前を、斬った。
隠れ潜んで殺すのではなく、ただ正面から破壊した――この手に握りしめた、剣の一振りをもって。
正面の壁に黒い線が一筋、引かれる。大地震に崩された地層のように、輪郭の荒い大きな断裂が生じていた。
破砕音が、衝撃波が、斬撃にわずか遅れて世界をねじ伏せる。
死霊が放った全ての脅威は暴風に流され、屍そのものもねじ切るように両断されてはるか遠方へ。
「――やっば。あんた、『勇者』そのものじゃん……ほんと、むかつく……」
「ひゃ、身体、流される……」
「おにーさん、すごいな……ワタシもああなれたら――って、やばいかも⁉」
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