第16話
「ここまで接敵しないのが普通なら、それに越したことはないが」
「いやぁ、まちまちかな。前行ってるパーティがどれくらい手練れか、見落としてないかによるよ。あとはま、運っしょ」
濡れた犬や落ち葉、腐葉土の匂いをより悪化させたものが、暗がりから漂ってきた。土や金属、それに血も混じっている。
「って言ってたら、来ちゃったか」
魔術師が短く報告しながら、杖を簡素に振るう。
肌が粟立つ。他者の魔力が世界に作用し、その余波で感覚が狂っていた。
「『照らして』」
術者の命に従い、枝木の先に手のひらほどの光球が生成された。明かりは杖の先端に押されて直線に進んで、影を侵食していく。
「出てきてくれなきゃ、困ってたとこだ」
視界の中心に位置するのは、子どもに似た大きさの人型――ゴブリンだ。
潰れて細い瞳につるりとして気味の悪い表皮、やけに発達した指と爪。小賢しくも手には小さな刃物。
人と猿とモグラをごちゃ混ぜにして、淀んだ緑で彩色したらこうなるのだろうか。
全部で数は五。一群はこちらの姿を視認した途端、隙間風と嘲笑を合わせたような、不快な甲高い音を漏らした。
短刀を抜き、
「ならば、わたしが――」
投げた。
後ろから呼びかけがあったのと、ほぼ同時。
「ごめん」
おれの謝罪からまばたきひとつ遅れて、どすり。
刺突を示す同様の響きが五回連続してから、ゴブリンの倒れる音が連鎖して洞穴内に響き渡る。
五体それぞれの細い喉元には、狙い通り短刀が埋まっていた。おれは倒れた敵に接近し、絶命を確認してから得物を回収する。
「え……おもしろ! おにーさん、やっぱ腕いいね! えー、ワタシたちとも全力で戦ってほしーなー……」
ユミナの興奮が、閉じたこの場に反響する。
「褒められても困る、こんなの雑魚狩りだ。遭遇戦、目標は厚みの少ない肉体、柔らかい表皮、少数――これだけの好条件が揃って、ようやくこの程度なんだよ」
「うーん、違うと思うんだけどなー。ま、『そーいうこと』にしといたげるねー?」
語尾を伸ばして含みを持たせつつ、彼女はおれの背を小突いた。どうやら、良からぬ言葉を学習させてしまったらしい。
時間が戻せればいいのに。ユミナが悪いことを覚えてしまった時点まで遡りたいとは望まないから、せめて数秒前からやり直したかった。
「わ、わたしの出る幕ない……研究成果が……魔術の実験が……」
誰を責めるでもない純粋な落胆が、意図せず誰かの良心を穴だらけにする。
完全にひとりで戦いすぎた悪影響が出ている。おれが反射的に障害を排除したことで、未来ある子どもの学習機会が奪われたらしい。
「これ、もしかして戦闘訓練みたいなやつか?」
並ぶ同行者に小声で確認をとると、
「違うけど、ちょっと近めかな」
「じゃあ、この冒険者ごっこの目的はなんだ。冒険者ギルドから監視業務押し付けられたにせよ、教え子を連れていく必要がない。人を観察するなら町中でいいし、まさか本当に親睦を深めたいわけでもないだろ」
「うーん、後者は結構まじなんだけどなー」
早く教えろと、手錠の鎖を揺らして催促する。三度四度としつこく鳴らすと、
「これはね、新魔術の実験なんだよ」
少女はとんでもない情報をぶちまけた。
「動物実験に近いかな。モンスターを使って、新作魔術が効くのかどうかを試してんの。だから次は手加減よろ。実験に使える相手、けっこー貴重だから。アンデットとかゴーストとか、死霊系は使えないし」
しれっと前衛に無茶を要求しつつ、今度は相手が手錠の鎖を引っ張って先を急いだ。
力ではどうあがいても勝てない以上、ついていくほかない。
それにしても、結構な早足だ。ギリギリ走っていない程度の歩行速度。
後ろは付いてこれているだろうか。軽く振り向くと、ユミナと目が合った。活発で主張の強い瞳が、好奇心たっぷりにこちらの内面を探っている。
「えへ、そんなに心配しなくてもいーよ。あたしら、結構やれるよ? あたしだけじゃなくて、ターナも! だよね!」
「え、あ、うん、ああ! いける!」
強く地面が蹴られて、前方に二人分の影が展開する。茶と銀の髪が疾走により、派手に空気を巻き込んで広がった。
「おい、あんまり前に出るな!」
「へーきへーきっ!」
「実験の成果を試させてくれ、友人!」
忠告を聞かないなら、掩護するしかない。放っておけたら楽だが、それが出来るほど神経が図太くなかった。
移動を早めていくにつれて、段々と血や獣の匂いが濃くなっている。
「敵、近いぞ!」
警告の直後。突き当たりを曲がれば、淀んだ緑が四つ視認できた。彼女たちは既に戦闘態勢に入っている。
「ユミナ、新作の詠唱長いから、少し時間作って。『迷って、惑って、霧の切れ目、雲の底――』」
「りょーかい! 『ワタシから近づいて、離れて。ぜんぶぜんぶ、ワタシの思うままに動いちゃえ』」
固い呪いと軽い命令。ほぼ同時に唱えられた毛色の異なる呪文は、それでも作用を始めていた。
銀髪の童女が魔術行使に用いたのは昨日目にした小枝であり、もう一方がその手で握っているのは……手のひらほどの四角い金属塊だ。
そのまま、ユミナは単身で敵に直進。
短刀を構えて投げ――
「ちょい待ち。信じて待と」
「なにかあってからじゃ遅い」
「あの子たちじゃなくて、自分の方を信じよ。あーちゃんなら、ギリギリのとこから援護しても無傷でいける」
「『勇者』だから?」
「ひとりでいられるぐらい、度胸あるから。だから、見守ろ」
女の子がひとり、かけっこの要領でモンスターの群れに突撃する。あと数歩で敵と衝突する距離まで踏み込むと、彼女はその手を思いきり振り抜いた。
延べ棒と呼ぶのも躊躇われる、短い得物。そんなガラクタでは、もちろん敵のどこにも届かない――はずだった。
伸展する。金属塊の仕掛けが作動して、一歩踏み込むうちにそれは金属の棍棒へと変じていた。
「えっと……『遠くにきて! やっぱ近く! 上に! 左に!』」
飛び掛かってくるゴブリンに対し、鈍く輝く棒切れが振り下ろされる。その間にユミナの口から飛び出す言葉は、信じがたいことに詠唱だった。
ということは。
「あの殴打、もしかして杖による筆記や作図の代わりなのか?」
「正解。魔術詠唱に必要な、字・数・線――ユーみゃんはそれ全部、『殴りながら書いちゃえば隙ないし面白いじゃん』って言って、練習してる」
「頑張ってるんだな」
「ありゃ。てっきり、『おかしい』とか『イかれてる』って言うと思った」
「おれは自分のやり方を――隠密と暗殺をさんざん否定されてきたな。そんな人間が他者の戦い方を否定したら、それこそ救われない。おれのためだ」
「なる。まーまー、『そーいうこと』にしといたげるか」
「おい、その言い方やめてく――」
「あ! そろそろユーみゃんの仕掛け、完成するよ!」
強引に誘導されるまでもなく、援護のため意識は前方に集中している。
四体のゴブリン、および奴らが装備する刃物を棍棒で捌ききったユミナは、生き生きとして叫ぶ。
「さあ、『ちょうどよくなれ!』」
金属を化け物に突きつけた瞬間、淀んだ緑色が動きを止める。それから見えない馬車に跳ねられたみたいに吹き飛んでから、中空で急に停止。
ゴブリン四体は、そのまま空中で磔にされた。
「うーん、あんま練習どおりじゃないなぁ。もうちょい高さがあるはずなんだけど。杖の振り方、間違えたっぽい? ねー、きょーじゅはどう思うー?」
「うーん、二番、四番、六番の角度が違うのと、八番のあとゴブリンの攻撃を防ぐために要らん動作入ったからじゃん?」
「あー、なるほどー。次はそこ意識してみよ」
拘束した獲物をじろじろ観察しながら、野外授業は続く。なにせ次は、本命の実験が待っている。
「ターナ、まだー? この拘束魔術、あんまもたないんだけどー。対象と質量、ちょっと多すぎたっぽくて」
同級生からの催促に、
「『陽炎の森――』、もう少しだから、待って」
「ねえ、はやくはやく、まずいって」
「『鏡の檻――』、せ、急かすな、次なにか忘れちゃう!」
「やば、おにーさんが武器投げる準備してる! 取られちゃうって!」
「えっと、なんだけ、そうだ、『雪原の陽――』」
当人は碧眼でパチパチとさせ、待っての感情を必死に送信していた。
「『存分に惑え。そなたらの道は、何処へも開けているものなれば』――よし、言えた!」
最後の仕上げとして杖が縦に振り下ろされ、術者の前に陣が展開する。
ターナひとりを優に越す大きさの、まるい紋様。
それが怪しく輝くと、空に縛られたゴブリンたちは解放される。
「なにも変わらないように見受けられるが、なにをしたんだ?」
こぼれたおれの問いには、人でなく奴らが答えた。
刺突の曇った音と叫び声――化け物による同士討ちという、現物をもって。
「せ、成功……‼ よ、喜んでいいですね、教授! 絵面は相当複雑ですけど、声あげていいんですよね⁉」
「もち! 群衆操作魔術、それも同種を殺傷するという禁忌性の高い行動すら強制する強度――うわぁ、これ成功させちゃうかー。さっすがあたしの教え子!」
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