第15話
「だいじょぶだいじょぶ。さっきのパーティで、今日来るのは最後でしょ? 周りに他の人の気配ないし。それに、『勇者』がいれば、誰が来たって倒せるじゃん?」
「しー! だからダメ!」
自分の唇に人差し指をあて、可愛さの中に焦りを見せつつ軽挙を窘めたのは優等生。
それとは対照的に、ユミナは楽観的な調子で軽やかな足取りと口調を維持。
「あー、ワタシも『勇者』になりたいなー。ひとりでさ、なんにも誰も気にせずさ、どこにでも行きたいんだよね。山とか海とか、あやしー裏路地とかさ。ていうか、ふつーに自由にお買い物したい。人といると、気ぃ使っちゃうから」
「ユミナ、静かに」
制止する度、声に籠められた感情は増していく。
「でさ、すっごい力を手に入れて、悪いモンスターとか、盗賊とか、気に入らないやつ全部倒してさ」
「ユミナ」
「とにかく自由を手に入れて――」
「世界の全部を敵にすることに、ユミナ・ユクリナは耐えられる?」
震える言葉が、願い事を断ち切った。現実だけで出来た疑問は、夢の蛹を壊すだけじゃ終わらない。
「友達が他人になって、先生がただの大人になって、家族が一緒に暮らしてるだけの誰かになっても――自分が何者かわからなくて、世界の敵かもしれないと疑うことに、耐え抜いて生きられる?」
彼女の問いは重く冷たく、安易に触れることも躊躇われた。それでも、ユミハ・ユクリナの夢は完全に壊れてはいない。
「そんなの、わかんない」
素直に正直に、思い描く望みを諦めきれないと、彼女は精一杯伝えようとしている。
「生きられるかはわかんないけど、生きようとは思えるよ。なってみてから、やってみてから考えるかな、ワタシは」
ユミナが破顔すると、軋んだ空気が吹き飛んでいく。不和とか不協和とか、色々な澱みを吹き散らかしてから、自信満々におれを指さした。
「だって、おにーさんがいるからさ! 『勇者』になっても死んだりしないって、証明がここに突っ立ってるじゃん!」
「お、ユーみゃんはいーとこ見てるね」
悪い先生に生徒が影響される前に、修正しておく。
「おれは『勇者』なんかじゃない」
「でも、おにーさんはぼっちだったんでしょ?」
「直接言われると、少しクるものがあるな……じゃなくて、おれはこの社会の中でもぼっちでいられたが、それは夢見ることじゃない。莫大な魔力とか、卓越した剣技とか、そういう伝説に記されたものは何ひとつないぞ。おれに特権的な力があったら、昨日きみたちが手を出してきた時点で町が消えてる」
否定しても、夢見る童女の興味を絶やすのは難しい。
「でもさ、あのときおにーさん、手を抜いてたでしょ。ワタシたちが絶対にケガしないように、短刀適当に投げてたし。相手を傷つけないようにしてたから、きょーじゅが爆発魔術使った時も怒ってたんじゃん?」
「至近距離で自爆されたら、誰だってキレる。それだけだ」
無駄に感謝されても困るから、余計なことを言わないようにする。自分が思っている本当のことから、口にすることを選択すればいい。
「ユーみゃん、さっきのこと思いだそ。先生を見習って。男の子が本当とは違うこと言ってたら、どする?」
おれが余分なことを言わずとも、右から邪悪な囁きが聞こえてくる。
「さっき……? あ、『そーいうことにしとく』ってやつ⁉ なるほどなるほど、べんきょーになるなー!」
「そうそう、よくわかったね! まじえらい! さっすがあたしの教え子! 呑み込みがちょーはやい!」
「ユミナ、それはわからなくていい。詳細も口に出さなくていい」
間違った指導を修正しようと試みても、当人たちは聞く耳をもっていない。
それどころか、
「……? いまいち、掴めない。わたしは、理解できていない……友人、二人のやりとりはどういうこと? 教えてほしい」
もう一人の教え子が疎外感を覚えている上、知的好奇心を刺激されている。おれに尋ねないでほしかった。
「……きみは知らなくていいことだ」
「それ、嫌い」
おれが苦し紛れに放った一言に、ターナは閉口した。拗ねたのは明白で、艶やかな唇をぎゅうと結んでしまった。とんがらせた口元を見せつけるようにして、彼女はおれのことを見上げる。
「子どもはわからなくていいとか、まだ知らなくていいとか、役に立たないから意味ないとか……そういう誤魔化し、好きじゃない」
貴方もそうじゃないのかと、華奢な身体ぜんぶが主張している。精一杯背伸びして、真正面からおれのことを見据えて、つま先だけで自分の肉体を支えていた。
その反骨心はわかるけど、自分の恥を自ら開陳するのは嫌だ。
「……早くダンジョンに入らないと、冒険者に追いつけなくなって監督も指導も何もかもできなくなるぞ」
差し向けられた感情を振り切るために、おれは一歩前に踏み出す。
暗い洞穴と湿った土に靴先を触れさせると、少し後ろから足音がついてきた。
「逃げるのか、友人」
「そっちの歩みが遅れてるだけだ。逃げるなら、もっと本気でやる。おれが教えないのはもちろん、さっきのやり取りの意味をきみに教えそうな人間の息の根も止める」
隣で笑いを嚙み殺している気配がする。あとで黙らせておく。
「む、随分と物騒だな……ん、なにユミナ」
固い表情をしたターナを、ついとつつく指が視界の端で見切れていた。
「今のが一番の手がかりだよ、ターナ」
「手がかり……? あー、なるほど……なるほど……?」
熟知した顔になりかけてから、相槌を打つ毎に首の傾げ具合が悪化していく。
「本人が話したがらなくても、あたしらに聞けばいいってこと。簡単っしょ?」
「なぜ話すのを渋るのでしょうか? それがわかりません。どうして?」
もう一度、彼女はおれの方に疑問符をよこした。頬と首のあたりが熱を持ち、胸の内がそわりと擽られて、より足を先へと踏み出すための原動力が湧いてくる。
気を紛らわすために、おれは辺りに目を凝らした。
周囲には、ところどころ岩が露出している土の壁。何度も探索されていることやゴブリンやオークなど二足歩行のモンスターが根城にしていることもあり、普通に歩く分には困らない空間がある。
むしろ広い。全貌はどれほどなのか、いくつか存在する横穴や分岐が目に付いてしょうがない。それにここまで開けていると、女子の話が反響していつもの二倍心に刺さる。
「あは……ターにゃんが理解するには、もうちょっとかかりそうな難題かなー? 人の気持ちを考えるいい機会だし、これも宿題ってことで」
「は、はい! 頑張ります!」
「さあ問題です。わかんないことにぶち当たったときは、どーするべきだっけ?」
「観察、です! 『未知を学ぶ際に忘れてならないのは、息を吸うように情報を集めること』――でしたよね、教授!」
「正解、その調子でがんば!」
高い体温が、必要以上に近寄ってくる気配。ひんやりと肌寒い洞穴内に突入したこともあって、子どもの熱意と熱量を強く感じる。
やりにくいが、近づかれる分には守りやすいはずだ。
念のため、後方の様子を見て隊列を確認しておく。先までのごちゃごちゃした並びとは打って変わって、おれとリーリアが並んで前を行き、その後ろからターナとユミナが付いてくる形だ。
この陣形であれば、後ろに怪我をさせることはそうそうない。索敵を担当するのはおれだし、普段通りやれば敵を見落とすこともありえないだろうし。
更なる用心として、暗殺者の歩法を用いておく。昨日、リーリアと共に冒険者の一団から逃走したときの応用だ。自分を影に溶け込ませる技術を拡大・延長し、同行者の気配を薄くする。
「む、スキルを使ったか、友人」
「『業術』だ」
「あーちゃん、こだわりある人だもんね。ほら、古い言い方」
言われてはっとしたターナは、何やら筆記用具で手元の紙に書き記していた。相変わらず勉強熱心だ。
「てかあーちゃん、そんなに気を張らなくたっていーよ。このお仕事兼観察、あたしら三人だけで何回かやってるし。てかぶっちゃけ、あたしだけが一番後ろのパーティに混じってついてけば、いんだよね」
「だから昨日も冒険者ギルドにいたのか」
思い返すと、意味不明なことで不自然に怒っていた気がする。
「そーそー、ついでにはぐれ者とか荒っぽい人が多い場所で、ちょっと煽ってみたりとかしたら追い出されないかなーと。ほら、店から追い出すって軽いじゃん? 軽はずみな気持ちでさ、ぽいっと外に出されるんじゃないかなって」
首筋に突き刺さる無言の非難が痛い。発信元は絶対、大きくまあるい碧眼からだ。
「そんなことで、『勇者』になるわけないだろ」
そう言って誤魔化しつつ、歩幅を大きくする。さっきから洞穴の奥へと進み続けているが、音が何もしない。無駄話もあってか、おれたちは他のパーティからよほど離されているらしい。
分岐に当たっても、一番直径の大きい通路を選択し続けてなおこの静けさだ。さすがにおかしい。
常に刃の柄に左手を寄り添わせながら、辺りを見る。
「リーリア、このダンジョンはいつもこれくらい静かなのか?」
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