第13話

「ほんとに、色々なことを知らなくちゃな……」


 おれには未知が多すぎる。

 自嘲と自戒の気持ちが逸って、反射的に口ずさんだ呟き。

 その直後、ここにいる全員が息をのんだと耳でわかった。


「うわー、おにーさんやばいよそれ」

「まーまー、あーちゃんにはそれこそいい勉強でしょ、たぶん」


 上から、間延びした同情が降ってくる。どうし――


「ならすぐに勉強しよう! 大丈夫、寮はすぐそこだから! 案内する!」 


 元気を取り戻した女の子が飛びついてきて、おれの空いた手を奪い取る。先生の教え方がいいのか、脱走対策でバッチリ腕まで絡め取っているのが特徴だ。


「そう急ぐな、引っ張るな、自分で歩ける! それに、食料や日用品を買いに寄り道したくて――」

「不要だ、寮に全部ある。空腹を満たすのも、そこらの飲食店に入るよりよほど早く叶うはずだ」

「いくらなんでもそれは、誇大広告じゃないか? ここから近場の店まで歩くのに、そう時間はかからないぞ。文章数行読み上げることすらできない」

「わずかな時で十分だ。我らが『聚合補助研究局』の寮は、ここにあるからな!」

「ここが?」


 周囲を見渡しても、ぼろい空き住居の一部屋にしか思えない。埃をかぶった家具やところどころめくれている壁紙、ガタついた窓枠など、あちこちに綻びが見え隠れしていて、人が住んでいたらこうはならないはずだ。


「正確には、ここではない。未来ある才人の卵が、このような荒れた場所で暮らしては将来を薄暗くしてしまうからな。さあ、ついてくるがいい」


 ターナは部屋の隅にあった階段に向かい、下りていく。

 こちらとしては、ついていくしかない。

 彼女に手を掴まれているおれは当然後を追うことになり、となればおれのもう一方の手を繋いだリーリアも同じことをする羽目になる。最後に、笑いを必死にこらえつつユミナが同行した。

 一階に着いてからも止まらず、繰り返しの動作で続く階段を降りる。すると、古ぼけた木の扉にぶちあたった。


「おい、冗談だったらもっと面白いことした方がいいぞ」

「そんなことを言っていられるのも、今のうちだな、友人」


 くふりと悪い女の笑いをしてから、彼女はおれの手を放し細い杖を取り出した。扉の取っ手を木片の先でなぞると、低く籠った擦過音と共に視界が開ける。

 そこには。


「――は? おかしい、だろ……」


 広さがあった。空間があった。

 地下室という言葉と繋がらないほどの、大広間だった。

 ここには、十人で囲むような円卓をいくつ置けるのだろうか。ギルドに負けず劣らずの開けた大部屋に、いくつも長机や木の椅子が並んで大食堂の様相を呈している。


 それに、明るい。

 天井からつり下がった照明は燭台に類似しているが、蝋燭代わりの光源となっているのは……鉱物、か?

 空からの光に酷似した明かりに照らされたからか、建材に用いられた木目の色は暖かい印象を押し付けてくる。地下特有の湿気や暗さとは無縁だ。

 四方の壁には合計で扉が十二。他の部屋の存在を示すと素直に受け取れば、この高さにどれだけの建物が埋まっているのか。


「へへ、驚いてんのー」


 今のリーリアの発声は、からかいだけを目的にしたやつだ。おれは詳しいからすぐに判別できる。


「当然のことでしょう、教授。寂れた町の片隅に存在する、廃屋の地下にこのような居住施設が存在するなど誰も思いません」

「ワタシたち、ここらへんでおにーさんと好き勝手戦ってたしなー。あー、楽しかったなー、あれ」


 戦いを振り返って、うっとりしている人間は恐怖の対象だ。話題を逸らすためにも、おれはターナに話を振る。


「いきなり戦闘を仕掛けてきたのは、ここらがきみたちの縄張りみたいなものだから、なのか?」

「ああ。他にもいくつか研究や生活の拠点は存在するが、ここが一番大きいな。建設にあたって周辺の権利も取得している――」

「いや、確か無許可っしょ。誰も使ってないからってことで」


 初耳なのか、衝撃に銀髪がふるふる微動していた。茶髪の方はというと、普段通りひょこひょこと落ち着きのなさを示している。


「さてと、ワタシもごはんごはん……」

「確か、台所に作りおきしていた軽食があったはず。それを食べながら学びに励むこととしよう」

「そんなの絶対つまんないってば。あたし、なんか作るよ! てことで、そっちは勝手に色々やっといてねっ」 

「ちょっと、ひとりになろうとするな!」

「ユーみゃん、ぼっちでいるのはダメだかんねー」


 猫さながらの俊敏さでこの場から消えようとする問題児と、それを律儀に追いかける優等生。

 ふたりとも消えたこの瞬間、まさに好機だ。相手の本拠地だからこそ、油断が生まれると相場が決まっている。


「じゃあ、おれも……」


 拘束を解く。手首の関節は外れてもいい。とにかく一時的に自由を取り戻し、対等になることが重要なはずだ。

 これは逃げじゃない。勇気ある前進だ。相手から拘束されたままでは、人と真正面から関わったと胸を張って誇れないから、抜け出すだけの話。

 無理な駆動に腕の痛覚が刺激され、その代わりに自由が、


「いや、ムリっしょ」


 戻ってこなかった。ぎゅうと右腕を握りしめられ、痛みだけが強まった。


「頭の中、当ててあげよっか。ユーみゃんが逃げ始めたから、そこに気を取られて今ならいけるって感じでしょ? さすがに甘いなー」


 鼻歌を奏でて余裕を強調しながら、彼女はおれを引っ張って寄せる。


「それに、外部要因に頼ろうとするのはびみょいかなー? あたしら、ぼっちを生まないようにする専門家だよ? 頼りにした先も、ほら」


 からから笑いながら彼女が指さす方向を見れば、


「うぐっ……ターナ、ズルすぎだって……」


 口惜しさを滲ませたまま、友人に捕まった女の子がいた。両手を前に突き出す形で、謎の布切れで手首を縛られているところは可愛らしい。


「ズルではない。ユミナは自分から捕まりにきている。等距離魔術――物体との距離を操れるのに、どうしてこうなるのか疑問だ」

「ナイフとか小っちゃいものは操れても、自分の身体そのものをイジろうとすると、なーんかうまくいかないんだよね……」

「あと、わたしの攪乱魔術にも引っ掛かりすぎ」

「それが原因じゃん! ターナの魔術うますぎ!」

「やめ、はずいから褒めるな! あと無駄に触れるな、孤独にならなければいいだけで、べたべたくっつく必要はない!」


 華やかに騒ぎながら反省会をする二人の姿からは、どこか懐かしいものを感じた。

 この懐古的な心は、おれ自身の体験からくる感情ではない。

 でも、どこか懐かしいと感じる。

 ああいった交流が、学校で行われることなのだろうか。学び舎のことはよく知らないが、私塾とか冒険者同士の教え合いとか、新人冒険者への研修とか、似たものはたくさん見てきた、気がした。


 気がするのは、おれがずっと見てきたからだ。

 人と人が何かを教えあったり反省会したり検討したりするところを、外側からじっと眺めてきたから。

 直視するには躊躇われることが脳内いっぱいに広がって、しゃがみ込みたくなる。代わりに空っぽの手を固く握って、爪の硬さで情動を誤魔化した。

 それに、もう片方の手からは他者の体温が絶えず流れてくる。

 自分の中身をどうにかするのに精一杯でも、隣に人はいるのだ。


「あーいうくだらないふざけ合いっこなんかに乗じて、一世一代の大逃走劇ぶちかまそうとしちゃダメだかんね。あたしだから手をぎゅっとされるくらいで済むけどさ、他の人だったら殺しにくるっしょ」


 リーリアは正論でうざったく小突いてくる。

 彼女は間違っていない。だがその四角い言葉を聞いていると、感性の奥底が膨らんできた。心が膨張して破裂すれば、そのまま喉を通って舌先から飛び出す。


「あのやり取りをくだらないって思うのなら、きみは『勇者』にはなれないだろうな」


 おれは、真正面から言いたいことを言った。誰かに面と向かって、伝わると思って何かを言うのは、はじめてのことだ。

 もちろん後悔が背面を襲う。口を閉じればよかったとは、思わないが。


「へぇ、言うじゃん」


 乱暴に心から切り取られた言葉をぶつけれて、彼女は表情を変える。

 笑うでもなく、怒るでもない。それはなんというか、とても魔術師らしく好奇心と野心に満ちた風貌だった。


「父みたいなこと言うね、あーちゃんは」

「おれみたいなこと喋るとか、一体どんなやつなんだよ。顔が見てみたい」

「残念、見れないんだなー、これが。あたしがこの手で土に埋めたから」


 今度は、ちゃんと後悔した。軽はずみなことは口にするべきでない。鈍い思考が追い付いて、頭の回転の遅さにいらつく。


「……すまない」


 そして謝罪は、速やかに口にするべきだった。頭を下げると、触れている部分から驚きが小さく、直に伝わってくる。


「いーよ、そんな風に小さくならなくたって。父が、あの人が死んじゃったことと、あーちゃんは関係ないしさ」

「でも、話題に出してきみの顔を暗くさせたから。おれは知っていたのに、考えが及ばなかったから、謝るべきだ」

「知っていたって、なにを? あたし、なんも喋ってなくない?」

「『勇者』は父の夢だと、言っていた。最初に出くわしたとき、リーリア・リリンはそう叫んでいたことを強く覚えている」


 あの後暴力と殺意に晒されても、童女ふたりの敵意と興味に触れても、あの言葉は薄れるどころか強まるばかりだ。


「子どもが親の夢を、そしてそれを叶えたいと大声で語ったのを耳にして……親に何かあったのかもしれないと、想像できないようならきっとダメだ。人とちゃんと関わろうとするなら、なおさら」


 無言が続く。


「そう、じゃないのか?」


 不安になって、問うてしまう。

 おれの様子がよほど情けなかったのか、赤毛の少女は出来るだけ自分の反応を包み隠すように、わずかに微笑みかける。


「ったく、考えすぎっしょ。真面目だなぁ、もう。ダメじゃないない。たぶんね」


 いつもより遥かに、歯切れが悪い。声色もどこか、鮮やかでなかった。

 つられて、自分の喉もどこか調子が悪い。


「そうか。おれには中々難しいな」

「でも、いいことだよ。そうやって考え込めるのはきっと才能ある」

「なんの才だ?」

「『勇者』にならない才能。ってことでさっさと開花させて、あたしに座を譲れし。ぼっちはつまんなかったってこと、だんだん知ってきたっしょ?」

「言われなくとも」


 雰囲気が弛緩する。緊張感はかけらもなくだらりと緩んで、平坦だが心地よい空気だ。

 つまり、好機。

 彼女の拘束から抜け出――


「いやだから無理っしょ。そこは学習しろし」


 ――せなかった。

 先ほどより、失敗を悟るのがはやい。相手の対処が改善されていて、今度は痛みを感じる暇もなく身体が動かなくなった。


「きみ、反応速度が魔術師のそれじゃないだろ」

「あたし、けっこう文武両道なんだよね。体育の成績は常に5だよ」

「学校行ったことないから、おれには分からない……というかこんなに身体が動かないの、なんでだ……?」


 おれにも、一応近接戦闘を生業とする者として小さな誇りくらいある。暗殺者だから直接力比べをすることはなくても、重心や歩法で一矢報いる程度、出来なくてどうするというのだ。

 足を伸ばし、腰を落とし、腕の位置を変え歯を食いしばろうと、おれの努力は変わらず無に帰していく。


「言っとくけどあたし、魔術使ってないから。ズルはなし」

「余計に謎が深まる……こうなると……重量の差か……?」

「ターにゃんーっ‼ あーちゃんがごはんより先に勉強したいってーっ」


 まずい。リーリアによる一手もよくないが、それよりおれの失言がひどかった。

 取り返せるか? いや取り返さねば、未来が暗がりになる。


「これは、年齢差と発育状況を考慮した結果の分析で、なにか他意があるわけでは決してなくて」

「ターにゃーん‼ 教科書じゃなくて、専門的な論文全集を使って学習したいってー」

「そう言われる場合も考慮し、主要な文献は持てるだけ持ってきました、教授‼」

「つかれーたよー、きょーじゅー。こんなに本、絶対いらないのに運ばされたー!」


 指導者の無茶ぶりを上回る熱心さを携えて、ターナとユミナの両名が駆け付ける。

 駆け付けたんだと、思う。

 はっきりしないのは、二人が両手で抱え込んだ本の塔で、彼女たちの顔や身体がよく見えないからだ。


「うわ、はっや……しかも多すぎ……重そー……」


 焚きつけた当人が引く量の書籍らしい。


「そうですか? わたしとしては、力及ばずこの程度しか運べませんでした! まだまだ精進が足りないようです!」


 若干低めの声での出迎えもなんのその、積み上がった書籍の尖塔越しにターナは元気な表情を見せた。

 その瞳は満点の星空より輝きに満ちており、天体でも直接浮かべたのかと疑うほど。


「それで、まずは何から読もうか、友人!」


 眩しい誘いを直視できず、おれは真横へ救助要請を出す。


「女の子に重さとか年齢の話すると、こういう報いがくるって――勉強になったっしょ?」


 彼女はふいとそっぽを向き、


「ま、明日のゴブリン迷宮体験実習には影響でないように見守ったげるから、たくさん頑張ること!」


 問題が積み重なったその瞬間、紙の塔がおれの目の前に築かれた。

 積まれた本より先に、おれが崩れ落ちるかもしれない。

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