第12話

「寮? 集団生活? なんだそれ」


 また、説明されるべき事柄が抜け落ちているのではないか。

 ここでリーリアに解説を求めてもいいが、いささか不安だ。話忘れが繰り返されて、精神が無駄に削られる予感しかない。

 勉強会への熱量でいっぱいの優等生は、頼る先として除外する。

 ということで、なんだかんだ一番頼れそうな相手としてユミナが残った。


「もしかして、こいつの講座を受けるやつは全員、寮に叩き込まれるのか?」

「そーだよ。ワタシもターナも、学生寮で暮らしてるの。まあまあつまんなくないし、おにーさんもきっと気に入るよ!」


 若干飛び跳ねるくらい、彼女はおれを歓迎している。それに、入寮するつもりだと勘違いされていた。

 こうも祝福されるとやけにソワソワして背を向けたくなるし、寮に入らないと言いづらくもある。


「ご飯もそこそこおいしーし、お風呂もベッドもきれーだし、お祭りとか誕生日会とか行事とかたくさんでね、いちばん近い面白そーなことは、えっと……飛翔魔術での射撃大会とか――」


 詳細な情報を伝えられ、将来のことまで親切に教えられるたびに、逃げ道が障害物で塞がれていく気分だ。

 いつどのように断りを切り出すべきかと見極める自分と、いい機会じゃないかと囁く自己の切れ端があって、頭の片隅でわちゃわちゃと乱れていた。

 第一、男女同室の寮なんて存在、悪にもほどがある。魔王より性質が悪い。


 なにがよくて、どれが悪くて。あれをしたくて、これをしたくないのか。自分の内部を抑え込んでいるうちも、外では話が流れていく。


「あでもでも、同じ部屋になる人と相性悪いとつまんないかも。もしそーなったらさ、ワタシたちの部屋くればいーよ! きっと楽しーよ!」

「やー、それはちょっとムリかもなー? ふたりとの同室は、むずいっしょ」

「……リーリア、どうしてまともな指摘を……?」


 驚きに表情を保てない。これまでの言動から、彼女に常識的な倫理は期待できないと思っていたのに。


「さすがに失礼でしょ。あたしだって、ちゃんとしたことは言えるんだけど。特に、研究に関することなら尚更」


 頬をぷくっと膨らませ、彼女の腕は繋いだおれの腕を持ち上げて見せつける。


「あたしが拘束してんだし、あたしと同室じゃなきゃダメっしょ? 相性が悪いとか寝相が悪いとか些細な理由で、別室になれるわけないない」


 『まとも』を踏みつぶす言い分だった。

 おれの自由はどこへ。いや、拘束されている時点でそもそもないんだが、生活の細かな部分まで決定権を喪失している。


「おれは、寮に入るつもりなんて――」

「まーまー、そう言わずにさ。案外イイとこだよ。それに、こんなおねーさんと一緒に寝泊まりできるなんて得っしょ」


 揺らぐ……ことはない。そんなことで転ぶのはナシだ。矜持未満の何かが、安易な転向を拒んでいる。


「ワタシ、おもしろいおにーさんと、過ごしたいなー? さっき遊んだとき、戦い方とか退屈しなさそーだったしなー? 暗殺者のかっこいいとこ、見てみたいなー?」


 キラついた誘いに、重心がぶれる。両足の位置を変えて、大腿からつま先まで意識を巡らせて耐え抜く。

 耐性がないのだ。

 業種上、多少の毒物や痛みには慣れっこでも、人からの勧誘なんて仕掛けに抗するのは初めてだ。

 例えその場の流れであっても、彼女たちの言葉ははあまくて暖かくてやわらかく、抵抗の意思を融かしきる成分が含まれていた。


「あっ、これで揺らぐんだ……ちょっとチョロいなこいつ」


 耳だけでなく、繋がれた手からも揺さぶりが伝播してくる。なんて手札の種類が豊富なのだろう。


「あー、共同生活だから、意図しない事故が生まれちゃうかもなー? あたしちょびっと抜けてるとこあってかわいーから、男の子が喜んじゃうようなヤバめのうっかりがあるかもしれないなー?」

「こわいな。本当に怪我しそうな事故起こすだろ、きみは」

「なんでそこで、あたしから距離とろうとするかなぁ⁉」


 意味なく隣のやつが接近してくる。横方向の、カニじみた動作だ。

 逃げる。近づく。逃げて、壁にぶつかる。

 別の角度からは、童女による破滅的な誘いが迫ってくるしおしまいだ。


「えー、おにーさんの話とか聞きたいし、ワタシたちの面白い話もしたいのになー? お泊りのお話は、冒険者ギルドの集まりみたいで素敵なんだけどなー?」


 足がブレて、よろける。大丈夫、まだ耐えている。酒場やギルドの団欒に対する憧れとか存在しない。集団に混じりたいとか思わない。


「うーむ、あたし以外の言葉に『勇者』がやられてるの、なんかふっくざつ……まあまあ、いまのとこは我慢我慢……。ユーみゃん、もうちょいだから押しちゃお」

「『押しちゃお』って、そんな簡単に言われてもなー。面白そーなこと、だいたい言っちゃったし……あ、そうだ」


 にたり、ちっちゃな身体にいたずらっぽさが宿る。餌場を見つけた野良犬みたいに茶髪が跳ねて、彼女の手は座り込んだ友人を引き上げた。

 ターナの耳元に空気を送り込むようにして、ユミナは火種をぶちまけた。


「おにーさん、ターナと勉強してくれないって。寮、入ってくれないんだって」

「え、それは、うそ。ウソだろう、友人?」


 見上げてくる潤んだ碧眼は、喉元に押し当てられた刃よりも危険だ。首を裂かれてもすぐに死ねるが、罪悪感に良心が切り刻まれれば長く長く苦しんで死ぬ。


「『勇者モドキ』と疑われたなら、ひとりの寂しさを知っているなら、温もりを奪われることの辛さは知っているだろう、友人」


 あまり知らなかった。ずっとぼっちだったから、ひとりと複数の違いをそれほど知悉していたわけではない。


「複数の暖かさを、おれは理解していない」

「そういうとこで正直なんだからなー」


 誠実っていえば誠実だけどさ、と。リーリアのため息が心をえぐる。


「でも、嘘つきなのも確かだね。きみは複数のあったかさも、残酷さも、ウザさも大切さも全部知ってるっしょ?」


 否定を差し込む前に、次の言葉に押し流された。


「もー、歪んでるなー、捻くれてるなー。あたしじゃなきゃ、きみの友達作りなんて諦めてるね、絶対」

「嘘つき? 正直なおれが?」


 見つけた合間に矛盾点をつくと、


「うん。意識的か無意識かは置いといて、嘘をついてる。あるいは、自分の心を正確に理解してない、かな?」


 ひらひらと答えを揺らして、教授は考え事で遊んでいる。

 おれが言葉なしで続きを促すと、しばし考え込んだ後に彼女は喉を鳴らした。


「えとさ、あーちゃんは酒場っていうか冒険者ギルドっていうか、ああいう賑やかな場所にいたじゃん? それが答えっしょ」

「あそこには、暖を取るためにいただけだ。風もしのげるし、雨が降っても平気だから」

「あれだけ姿を隠せるんだから、もっとマシな居場所あるでしょ? 宿屋の空き部屋とかでいーじゃん」

「…………」

「いたかったんでしょ、人とさ。もし自分の存在がバレたら、ひとりで町と戦争すんのかってぐらい皆から殺意向けられんのに、それでも人のいる場所に存在したかった、違う?」


 違うと、言ってみた。つもりだった。

 声は出ないけど、感情は、心は強く彼女の予想を否定している。喉がついてこないのは、舌が固まったままなのは、きっと大声を出すことに慣れていないから。


「ま、あたしが言いたいのはさ」


 イかれた研究者のくせして、リーリア・リリンは優しい瞳をする。この世界だと目を離した隙にこわれてしまいそうな、夢みたいな顔つきでこちらを見守ってくる。

 やめてくれ。これも言いたくて、言えないまま固まる。


「年下の女の子、涙目にすんなら別の形っしょ‼」


 繋がれた手を引かれる形で、前へ。


「なっ、ぐぁっ」


 追い打ちに膝に軽く蹴りを入れられ、かくんと視界が崩れる。

 膝立ちになる格好で、座り込んだターナの前へ。

 こういうときに、おれは言うべきことを知らなかった。記憶にないなら、今ここで作りあげるしか道はない。


「おれは勉強に不慣れだから、その……」


 選んで、迷って、それでも言葉を必死に繋ぐ。


「夜遅くまでかかると思うが――それでも、付き合ってくれる、か……」

「――よろこんで。いくらでも付き合おう、友人!」


 視界にはまあるく碧い輝きだけがあって、おれの友達はそこに喜びを湛えている。

 涙目と同じ水面のきらめきなのに、今度は安堵できるのは何故なのか。


 まずは自分自身のことから、理解しなくちゃいけない。


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