第11話 

「……きみも、ひとりだったのか?」

「いや、わたしは孤独と無縁だった。わたしの属する集団はふたりよりも多くて、四人より少なかった。しかし三とは忌むべき数で、人間向きの数ではない」


 おれは後悔した。仲間が出来たと舞い上がって、安易に尋ねるべきではなかった。

 踏み込んだらつま先は奈落に差し掛かっていて、ひとつ間違えれば終わる。対人経験の少なさがここにきてもろに出た。


 友人になってくれる人との関係を、悪化させるわけにはいかない。

 しかしどう切り返せば、空気は明るくなってくれるのか。

 なにかよい切っ掛けはないかと探して、なくて、自分の浅さに絶望して、結局視線の置き場所は隣のやつだった。

 リーリアはおれの様子に気づくと、普段より二倍勢いのあるノリで口火を切る。


「いやー、よきよき‼ 持つべきものは友ってことだね。似た境遇、違う属性、同じなのは生徒という枠組み! 最初はぶつかって、次に話し合って、そのあと手を取り合う――うん、紛うことなき青春っしょ!」

「きょーじゅ、青春って言えば、とにかくまとまると思ってない?」


 きゃっきゃと幼い音を立てて騒ぐ先生に、ユミナは疑惑の目を向けた。


「そんなことないない。青春ってのは、まとまらないものだかんね。いつまでも止まらずじっとせず、絶え間なくはしゃぐのが醍醐味っしょ。つーことで――」


 いきなりの早口。乗り心地の悪い馬車に乗車してしまった時に似た、寒気を伴う加速感。

 この流れは、違う意味で危うい気がする。制止の意味も込めて口を開き、


「なあ――」

「明日は、校外学習っしょ! ちょうど用事もあるし! 近めのとこにゴブリンとかオークの集まるダンジョンあるから、そこで!」


 突発的な決定に、少し引く。この女はすごいがやはりヤバいぞと、物理的に距離を取りたくなって、繋がれた手に阻まれる。


「こらこら、ダメだって」


 それどころか、異常な膂力で腕を引っ張られて、元々の距離より近くの場所まで引き寄せられた。

 近接戦闘職の男が、魔術師の女に腕力で敗北する様を目の当たりにして、ターナが怪訝な顔をしている。

 本気でこんなに負けているのか、こいつは? そういう声がした。鼓膜に届いていなくとも、細められた彼女の瞳と、絶妙に開いた口元が無音で喋り倒している。


「教授。まずは学生らしく、講義や討議など一緒に重ねて連帯感を強めつつ、課題を共にこなすことで、認知についての基本的な知識の構築を――」

「えー、だるいよー。ワタシ、宿題はムリかも」

「授業はいいが、課題はおれも避けたい……冒険者関係の書類やっつけるの、普通にきつかったし」


 ユミナが躊躇なく抗議をしてくれたから、ついでに便乗しておく。机を揃えて講義を受けることは知ってみたいが、机に向かって筆記具を構えるのは苦しいと思い知っている。

 模範的な生徒から、おれたち二人は揃って目を逸らす。これが連帯感か。


「おい学生ふたり。一応学び舎の人間なのだから、読書と筆記による知識の出力は避けて通れんだろう」

「たーにゃん、まじでごめんだけど……ちなそれ、あたしもだるい」

「教授⁉ え、ウソですよね、きょうじゅ⁉」


 背後から刺され、優等生は甘噛みしたまま驚いていた。

 びっくりして瞳を揺らしながら、ふにゃふにゃの口でも彼女は取り繕おうと必死になっていた。


「教授、課題出す側ですよね? 教える方ですよね? あでも、わたしたちの講座が他に比べて課題の数少ないのって……」

「採点とかさ、解説とかさ、答え作んのとかさ、ぶっちゃけめんどいなーとか、思ったり思わなかったり超思ったり……」

「でも、知的探求ですよ⁉ 知識を吸って体系的に構築し出力する作業です! 紙をめくり筆を動かすごとに、自分の世界が広がっていくような、素晴らしい体験なのに⁉」

「いや、宿題は探求とは違うっしょ。ああいう課題は、仕方なくやるものっていうか、やんなくちゃ息吸えないっていうか、球技はやりたいけど基礎体力作りはダルくて、でもやんないわけにはいかない、的な……?」


 ぶっちゃけすぎだ。

 熱心な生徒の問いに答えているうち、先生側も熱が入って何もかもさらけ出している。


「教授もあの問題、楽しいと思って出題してたと思ってたのに……」

「えー、答え知ってる問題、つまんなくない?」

「ひどいです、教授! 今までの流れでうっすら気づいてましたけど、それだけは言っちゃいけないです‼」


 可哀そうなターにゃんが、リーリアに詰め寄ってひたすら訴えかけている。

 真横からはずうっと、助けてほしいという思いがビシバシ伝わってきているし。

 先ほどの借りを返済するときが、思いの他早くやってきたようだ。


「あ、あー、机に向かうのは苦手だが、問題を人と一緒に考えることは、その、知ってみたいと思わなくも、ない……」


 その場しのぎとはいえ、演技なんて初めてのこと。まともに人と関わらねば演じる機会などないし、ウソをつく必要性も皆無だ。

 せめてもの一工夫として、作り出す虚偽の量をなるべく減らす。自分の気持ちを新しく生み出すのではなく、本心を捻る程度にとどめる。


「資格試験を受ける冒険者たちが、たまり場でわいわいと問題集を解く姿には、少々憧れがないと言えなくも……」

「それは本当か⁉」


 近い。ターナが接近してくるその勢いだけで、後ろに倒れるかと思った。


「筆記が苦手だというなら、記述はわたしがやろう! なに、心配はいらない。大事なのは問題解決までの道筋と、必要な知識を記憶したときの達成感と、解を見つけた際の開放感で――」


 こいつ、近接どころか接触、それすら超えて体当たりを目指しているのか。疑ってしまいたいが、純粋な瞳の輝きが違うと証明している。

 ぺらぺらと語る口ぶりは楽しさそのもので、本当に勉強が好きなんだとイヤでも理解させられる。


 ただ、ここまで異性が近いとやりづらい。

 彼女の興奮度は言って止まりそうな程度でないし、だからといって無理やり腕で止めるのも角が立つ。触ることになるし。

 何度目かわからないが、ここはとりあえず首を傾け、近場のやつに表情で救援要請。


「ふんふん…………?」


 伝わらなかった。リーリアの瞳は四方を見渡し、形のいい眉は豊かに動いたが、最終的には元に戻って能天気な笑顔のまま。

 教え子の勉強熱心さに圧倒されて、他のことがどうでもよくなっている。

 さてどうするか。彼女が頼れなければ、おれに縋る先はない。純粋に悲しい。

 とにかく物理的な距離は出来るだけとっておこうと、一歩二歩下がれば、


「さて、どの分野を勉強しようか友人⁉ 定番だと『魔術による認識拡張』、多少捻くれていて興味深いのは『群衆規模における魔術効用の差』、最近熱いところだと、『近似種における認識の差異』で――」


 ターナに三歩四歩と詰められる。

 踵が壁に当たる感触。詰んだ。

 自分のあばらの当たりに他者の熱が重なって、とうとう社会的な終わりが近い。


「聞いているか友人! さあ、どれを――」

「話ちゃんと聞かなきゃなの、ターナでしょ」


 ぴょこりと、暴走した人間の肩越しに茶髪の頭が飛び出る。


「ねー、落ち着こーよ……って、聞いてないし。はぁ。ワタシ、こーいうこと言うの嫌いだし――いたずらしちゃうよ」


 聞く耳をもたない友人に対し、彼女は実力行使を選んだ。

 ターナの両脇の下に迷いなく腕を差し込み、引っかけて後ろに引っ張る。暴れた酔っ払いがよく町の衛兵にやられているやつだ。


「ふにやぁっ⁉」


 銀髪碧眼の麗しい童女から、人間性の失われる音がした。驚きで飛び跳ねる野良猫じみた鳴き声を出せば、あとあと後悔で自暴自棄になること間違いなしだ。

 沈静化させられ、恥により現在進行形で自滅して沈黙する、ターナ・タイカナの状態を想像する。

 同時に、こいつらを教える方の大変さも想像せずにはいられない。


「お前、苦労してるんだな」

「ん? ぜんぜんそんなことないよ……って言っちゃうと虚偽っぽいけど、うーん、どーなんだろ」


 先生に憐憫の視線を送ると、肯定とも否定とも異なる曖昧さが跳ね返ってきた。


「大変だし、ヤバいし、二人の性格や才能やノリが強烈すぎて、他の子が受講やめちゃったり逃げちゃったりもしたけど、面白なのは確かだしなー」


 そんなことを聞かされては、関わろうとする前向きな気持ちが退却しそうだ。逃げるなと心中で反復していなければ、おれは影に沈んでいる。

 こんな機会でもなきゃ、変われない。


「そんな顔しちゃダメっしょ。よっぽど苦い薬でも飲んだ?」


 表に内心が出るのはマズいと、頬や眉の筋肉に意識を集中させる。


「あは、ヘンな顔、なにそれ」

「純粋な暴言だぞ。傷つく」

「ごめんって。取り繕おうとしたところは一歩前進だね。えらいえらい。やっぱり集団は人を変えるんかな、よくも悪くも」


 子ども扱いにはムカッときたが、それこそ胸の奥底に沈めておく。

 実際、この女よりおれの方がわずかに年下だろう。一応、先生を敬わねばならないということは、童女ふたりから学んだことはある。


「もしくは、あの子たちのおかげってとこ?」 

「それも……否定することは、難しい。ないことを証明するのは、大変だから」


 遠回しなおれの回答に、リーリアは黙って口を弓なりにした。声をあげて笑うこともなく、唇をぎゅっとくっつけたままこちらを観察している。不穏だ。


「突然黙って、どうした? 怪しいぞ」

「んなことないって。ひどいなー、もう。単に、これなら集団生活とか寮も安心だなーって思っただけなのに」


 集団、生活?

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