第10話 

「きょーじゅ、おにーさん横にいるよね⁉ さっきまで手つないでたもんね! でも、えっと、あれ……?」


 困惑する童女二人を認め、赤毛の少女は満足げな笑みを浮かべた。


「さあさ二人とも、この状態のあーちゃんに触れてみ? あ、当てずっぽとかまぐれ当たりはナシだから……そだ、左の肩に触ろっか」


 半歩間違えれば、いかがわしくなりかねない試験。


「おい、おい。そのやり方まずくないか」

「ささ、やってみよー。簡単なことっしょ?」


 反応がない。気配を消しているから、こちらの意見は何も感知されないのか。

 隠形を解けばいいだけの話だが、不意に呼吸が止まる。この実験の問題点を指摘することは、自身のありもしない変態性を疑われるのではないか……?


「じゃ、ワタシいきます、えい!」


 おれの喉めがけて繰り出される一撃。手刀と刺突の合いの子じみたユミナの一発が、元気のよい掛け声と共に肉薄する。

 小さな手は、喉元の左にある空間を打ち抜いた。明らかに触れる程度の勢いではなかった。あぶない。


「あ、あれ? え? なんで。ぜったいドカンとぶつかったのに……」


 こわすぎる。いかがわしさなんて皆無で、ただただ恐ろしさだけがある。


「頭を使わず、ノリと勢いだけでやるからだ。こうしてわたしのように魔術を使えば、それで済む。えっと……こーいうときは欺瞞魔術の応用、前段階たる相手位置取得、成功。そこから、彼の現在位置を掴んで……と」


 賢い担当のターナは足先で何やら陣を描き、そこに集中と生命力を注ぎこんで魔術を発動させた。足元から立ち上る輝きにご満悦そうな息を吐き、


「それから、用心のため相手をよく狙って、なぐる!」


 手を握って体重を乗せて振る。

 お前も暴力なのか。しかも全力なのか。呆れ返って避ける気も起きない。自信の籠った拳は、腕の横を過ぎて空しく空気だけを殴りつけた。


「え、あれ? うそ。どうして」


 思ったように人を痛めつけられなかったらしく、混乱でいっぱいのまま彼女は体勢を崩して床に衝突。

 どすんがたんと建物を揺らして、痛ましい静寂だけが残された。起き上がろうとする小さな背を、生暖かい視線が撫でる。


「もう一回。教授、もう一回いいですか」

「どぞどぞ。何回も繰り返すことは研究に必要だし」

「ありがとうございます。次こそは、失敗しません」


 口を一文字にきゅっと結んで、ターナはローブの内より筆記用具ほどの小さな枝を取り出した。その先端はゆるく湾曲し、所々に刻印が彫られている。

 小型ではあるが、れっきとした魔術の杖。

 自らの道具を風に揺れる木々さながらにゆっくり揺らして、魔術師見習いは呪文を唱え始める。


「『遥か彼方を探り……』えっと、偽装対象の捜索――完了。『導き、惑わし、単体を超える……』次は、偽装対象の現在位置取得――完了」


 ひとつひとつ丁寧に、口に出して工程を確認しながら魔術を練り上げていく。振るわれる木が動いては止まり、震えては静止し、弧を描いては点を打って、やがてよどみなく陣を描いた。


「『ひとつをふたつに……』あ、ここは要らないか。詠唱中断、現状実行――」


 だらり、杖を持つ手が脱力する。

 代わりとばかりに、彼女の瞳は力強く開かれた。

 やる気を感じる。そして緊張と、漠然とした責任感も見てとれた。


「見えてる、わかってる、大丈夫――そこ!」


 拳を握るのは重責からか。相手の身体に触ればよいだけの課題で、またもや手に力を籠めて振りぬかれるは細い右腕。


「――きたっ、触れた、やったっ、って、あぇ⁉」

「っ、仮にも友人の腹を、拳骨でぶち抜こうとする奴がどこにいんだよ……」


 彼女の握り拳が再挑戦した先は、おれの腹部だった。童女の右手は胴の端を掠めて、そのまま逸れてしまう。

 人を殴り慣れてないらしく、余った勢いを殺しきれずに小さな体が前のめりになった。

 そのまま、こちらのあばらに頭突きをかます形で倒れ込んでくる。

 あってないような軽い体重を押し付けながら、彼女は唸りと言い訳の中間にある声を響かせた。


「……実は動いているだろう、友人」

「動いてない。一切合切そちらの自爆だぞ。きみが腕だと思っていた場所はおれの胴で、きみが接触だと思っていた行為はただの暴力だっただけだ」

「失敗した友人には、慰めの言葉があってしかるべきでは?」

「友人相手に、殴るという選択をするべきでないのでは?」


 無言。沈黙。

 鼓動や脈などで体内が騒がしく思えるほど押し黙ってから、見習い魔導士がぼやく。


「我々は、まだ友人には遠いらしい」

「それは、そうだろ。いきなり友達になれと言われて、そうなるのは難しい」

「そこは『そんなことないよ』だろ。難しさを認めるな。前向きでいろ」


 無茶だった。要求が多すぎる。

 寄りかかる姿勢から直立姿勢に戻して、友達(仮)は口を歳相応に尖らせる。


「そもそも、貴方は友人が欲しいのか? 教授はああ言っているが、当人に他者と関わる気がなければ話にならない。孤独でいようとして、この社会でそう在れるなら――それすなわち脅威だ」


 されど、口調と冷たさは年端に似合わぬものだった。震えを隠しながら、彼女はおれに問うてくる。


「貴方は、本当にわたしの、わたしたちの友人となりたいのか?」


 まっすぐな疑問だった。

 おれはすぐに答えを出そうとしたけれど、舌が痺れたみたいに動かず、喉にもなにかがつっかえている、

 友達を、作りたいのかどうか。

 まともに人と関わりたいのだろうか。

 冒険者仲間からの嘲りや軽視でなく、対等な関係を有したいのか。


「――正直なところ、わからない」


 知らないのだ。嘲笑や罵倒、敵意に殺意を抜きにした対人関係に触れていないから、それを望むか否かさえ、はっきりとした答えが出せない。


「ならば、わたしは――」

「わからないから、知りたい」


 それだけは、自分の口ではっきりと言えた。


「わからないものを、よく知らないからと跳ね除けるのは損じゃないかと――そこのアホを見て思った」


 隣の女は、おれのことを未知だからといって跳ね除けなかった。逆に、未知の存在であるから因縁をつけておれの手を取った。

 なにより、知らないことを知ろうとするリーリア・リリンの姿は、とにかく楽しそうだから――


「おれも、ひとりじゃないってどういうことなのか、知りたい」


 『勇者』を羨む誰かを真似して、願望を形にしてみた。


「くふっ」


 ターナはこらえられないとばかりに吹き出し、真面目一色だった態度を崩して思い切り笑った。大笑して、苦笑して、楽しいという感情にも色々あるんだと散々に見せつけてから、向き直る。


「その言葉は、ズルだな。卑怯と紙一重だからこそ、効果覿面だ。我らが教授の姿勢を動機に挙げて、知識の探求と紐づけて……そうこられては、わたしが疑いをかけられるはずもない」


 歌でも口ずさみそうな気分を放って、彼女は笑みを絶やさない。


「えー、おにーさんあやしーけどなー。せっかく『勇者』になれるのに、ひとりでどこでも行けるかもしれないのに、それをダメにするなんて……うーん」

「人には色々あるってことっしょ。無いものをほしーって思ったり、有るものをいらねって捨てたがったり。今回はあーちゃんの要らないものが、ゆーみゃんの手に入れたいものだったってことだよ」


 うんうん唸るユミナと、全員を観察しては意味深にゆったり頷くリーリア。

 複雑な視線が飛び交って、締め付けられて窒息死しそうだ。

 それでも、いないものとして扱われないよう、拘束された喉元を震わせなければ始まらない。


「こんなおれが、『勇者モドキ』が、いきなりきみたちといたいと言っても信用できないだろうが――」

「構わない。信用がなくても、受け入れる。学ぼうと、知ろうとする者をわたしは拒まない。それに――」


 蒼い双眸は、おれが隠したはずの恐怖を見透かした。


「わたしも以前、『勇者モドキ』と疑われた身だ。仲良く友達になろう、同類」

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