第9話
「は――」
「はぁぁぁっ⁉」
おれより先に、似合わぬ反応でキレたのはターナ・タイカナ。
片手で包めそうな細い喉から、ここまでガラガラと荒い音が出るのか。これまで見せた中で一番大きな驚愕に、友人であるユミナの身体さえ跳ねていた。
天真爛漫の学友が似合わぬドン引きを見せているのに、ターナの感情流出は更に勢いづいている。
「先生の講座、倍率何千とかですよ⁉ わたしの地元の友達にも目指してる子がたくさんいて、試験に落ちて落ちて落ち続けてそれでもまだ頑張ってる子ばっかりで、ていうかわたしもその一人でやっとの思いで講座に入って――」
「でも、あーちゃんは可能性のある子だし、有望な研究対象だし、友達も作ってあげなきゃだし」
「友達? そのようにくだらない語、今登場すべきではないと考えますが」
怪訝を焦げ付くまで煮詰めたら、今おれが向きあっている顔になるだろうか。正面から人と相対するなんて不慣れで、逃げたくてしょうがない。
手を繋がれ振り解けないまま、ふたりの衝突に挟まれて精神が地味にすり減っていく。
「友人も仲間も恋人も、学び舎では不要です。才媛が集い、高名な研究者が開く講座であれば尚更でしょう。教授、わたしの認識は間違っていないと考えますが」
「いや、あたしが高名じゃない時点で思い切り間違ってるし。今日だって、酒場でよくわからんやつにふつーに無視られてたし。あとさ、ターにゃんはあたしの研究分野を口に出してみよっか」
へらへらした態度から、唐突に繰り出される口頭試験。イヤな展開から目を逸らせば、ますます引いているユミナが視界に入る。今指されていなくても、いずれ答えさせられるんじゃないかという恐怖が無言で伝わってきた。
それくらいなんだと、もう一人が瞳で語っているのも面白い。銀髪童女は友人を一瞥し、ふんと鼻を鳴らして目を瞑り、
「『身体強化魔術の発展形としての認識操作魔術とその応用による勇者モドキ発生防止方法及びその周辺について』」
ふふんと得意げさを更に増しながら諳んじた。
長々とした暗唱は認識するのがやっとで、内容までは頭に入ってこない。記憶力の良さに胸を張るのも頷ける。
ところで何を唱えていたのだろうか。
わからず首を傾げかけると、同じく小首を傾げたユミナと目が合った。動作から察するに、おれと同じことを考えていたのか。
二人揃ってボケっとしている中で、いつもボケ倒しているアホだけがスンと冷えた眼差しを放っていた。
「それ、論文の題覚えただけじゃん」
友達にツッコむくらいの気軽さで、叩き込まれた天災級の一言。
自信満々で無垢な心に、正論の棘が突き立てられていく音がたくさん聞こえた。ざくざくグサグサと、嫌な響きが胸を叩き続ける。
しかも先を尖らせた言葉はひとつだけでなく、追撃が構えられていた。
「あたしがこないだ書いたやつ、まるっとさくっとそのまま記憶しただけっしょ。そーじゃなくて、大事なのは研究分野だって」
「う、ええと……」
「あたし、認識について扱ってるからさ、友達とか知人とか親友とか他人とか、そーいう人と人のあれこれが重要的な? 関係性の操作や分析やんだったら、まあまあ人間関係周辺学は修めとくべきっしょ」
「ぁ、う……」
リーリアは無意識に、緩んだ口調で教え子の顔面をぼこぼこにしていた。一言一言が発せられるたびに、ターナの口元が弱そうな形へと変化していくさまは、正直なところ可愛らしい。
俯いて小さくなった姿には、さすがのおれですら励ましたくなってくる。
「ワタシもべんきょー、しとこ……あと友達も、つくっとこ……」
ややズレ気味な学友の呟きが、あった、それが十分あたりに染み渡ってから、ターナはまた前を向く。
「教授は、わたしも友達を作ったほうがよいと……? 勉学に専心するのでなく、別な人との関わりに時間を割いたほうがよいとお考えですか?」
「もち。それでこそ、学生っしょ」
「どんな人間であっても、友であればよいと?」
「ターにゃんが友人と呼べるなら、ね」
重ね重ねの問いと短い回答に童女は頷き、
「では、そこの男をわたしの友達とします」
先生への挑戦として、おれを指さした。虹彩は見えず、人差し指の先だけが見える。
「彼に友達が出来れば、先生の講座に入らずとも済むのですよね? そしてわたしが友人を有せば、研究にも役立つと」
「そだね。もしターにゃんが、あーちゃんの友達になってくれるなら、それは最高」
切り返しに対して、含みのある言い方で応戦する教授。挑まれた研究分野は彼女の根幹部分だったのか、吐き出す言葉から丸みが消えていた。
「ま、出来ればの話だけどさ」
「友達ひとり作るくらい、簡単なことです。教室の人気者と接触するのは大変ですが、彼はそのような手合いでもなさそうですし」
失礼すぎる見積だった。
「おい、即席の推測で考えを固めるのは、学問の徒として避けるべきじゃないか?」
「深慮は難題に相対するときに必要だが、見れば分かることに時を費やすのはただの愚か者だろう」
「人間関係なんて見えないもの、視認する魔術があるのか?」
「関係性そのものは目に見えなくても、教授に絡まれた貴方を助けようとする人間は視認できる。知人が厄介な人に困っていたら、助けようとするはず。いないということは、そういうことだ」
……その通り、だった。頭の回転速度がここまで急加速するなんて、中身の入れ替わりを疑いたい。
「おー、いい発見じゃん! 大事なのはそーいう気づきなんよね。やっぱ、他者がいると成長も違うなぁ。あと、あたしの目論見も当たってるね!」
「これが狙いだったの⁉ きょーじゅ、すご……」
純粋な子どもが悪人に騙されている。少女は得意げになって、瞳を輝かせた童女になにやら講義を続行していた。
「でも、問題はここからここから。あーちゃんが本気を出しても、暗殺者としてあるがままでも、ターにゃんが『友達』でいられるかどうか」
「『友達』の定義ってなんですか、教授。おい、わたしの友人、どうなったら『友達』常態か、知っているか」
「おれも知らない」
「だろうな。尋ねたわたしが愚かだった」
悲しいことだが、嘘をついて知っていると答えるよりは情けなくない。胸中の悲惨さを潔さで誤魔化していると、慰めの視線を浴びせられる。
「『友達』定義論争は……あたしもわっかんないから置いとくとして……」
魔術師の杖が自由に動いて遊び、思考を纏めるように軌道を描く。数秒してから杖の先端がぴたり止まって、おれの友達らしい童女に突きつけられた。
「とりま、相手をいつでも認識できなきゃ、その人の『友達』とは言えないっしょ」
「人の顔を覚えることぐらいできます。わたし、記憶力には自信ありますし。それに、これまで他者のために記憶容量を割いていませんから」
見事な論理武装だ。自分の寂しさを公開してしまうという代償に目を瞑れば。
「あはは。あたしが言いたいのは、人のことを覚えていられるかどうかじゃなくて、文字通り正しく認識できるかの話だって。つーことであーちゃん、ちょっと本気出して気配消してみ?」
「必要がないだろ」
「まーまーそー言わずに。いつだってどんなときだって、誰かから自分のことを見てほしーっしょ? 無視されるの、ダルいしキツイじゃん? それ、無くすための第一歩だからさこれ」
口だけでなく、繋いだ手も揺らされて促され、仕方なしにおれは呼吸を整える。
重心を垂直に降ろす意識。
身体の中心に走る芯を、自分の足元、そのまま影の中に埋める感覚。
自分が無くなるように、周囲の暗がりに溶けて消えるために、呼吸を抑えて自らの痕跡を残さない。
「え、なにを――は? 焦点が、遠近感が崩される……」
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