第8話 


「って、『勇者モドキ』⁉ ……おにーさん、それって本当⁉ すごいすごい!」


 活発な童女が、手をぱちんと叩いて喜び跳ねる。そのままどこかに飛び出してしまいそうな勢いだ。

 その反面、ターナは引いていた。少し心理的に後退して見せてから、乾いた笑いで話題を吹き散らそうとする。


「いや、さすがに嘘。真っ赤な嘘。あのね、ユミナ、なんでもすぐに信じるのはよくない。いつもわたしが傍にいるわけじゃないのだから、騙されないようにしないと」

「騙されてなんかないよ。だってほら、きょーじゅの目、キラキラだし」

「そんな、まさか……」

「あはー、ユーみゃんには分かっちゃうかー! あたしのこのキラメキ、勇者になる手がかりを見つけたこのワクドキが、伝わっちゃうかー。ま、仕方ないかな」


 まんざらでもなさそうなリーリアに、ターナは息を吸っておそるおそる動揺を吐いた。


「教授? なにかその、わたしたちを驚かせようとしているのですよね?」

「ぜんぜん。あでも、『勇者』に限りになく近い、もしくはそのものかもしれない研究対象がいるって点では、ビクビクってなりっぱなしでいてほしーかも。こんなこと、研究者だったらガチで滅多にないことだしさ!」

「すごいし、つよいです、きょーじゅ! モドキでも、無事な状態で『勇者』を連れてくるなんてさいっこう! おもしろいっ! 一体、どうやって⁉」

「その辺で一番ガラの悪いギルドに入ったら、たまたま! あたし、最近運が良さめですごいんだよね!」


 幸運を引き寄せたみたいな二人の調子とは裏腹に、受け手の様子はどこかおかしい。

 彼女は怯えに負けて一歩後ずさるも、恐れを抑え込んで踏みとどまってはいた。


「……すごいなどと、声をあげて喜ぶことじゃない。むしろまずい。ユミナ、『勇者』が一体何かわかってる?」


 頭髪とは信じられないほど綺麗な銀の流れが、負の感情に震えている。


「すごくつよくて、ほんとにつよくて、この世界で唯一、たったひとりでどこへでも行ける人、だよ!」

「それは、ユミナの憧れだ」


 籠った感情からくる、病に伏せったような言葉が反響する。


「『勇者』は、『勇者』になりそうな人は、どこかおかしい。こんなにたくさん人がいる世界で、どうしてもひとりでしかいられなくて、どうしてか大きな力を手に入れて、全部を壊して終わらせてしまう、最低の災害。それが『勇者』」


 ターナは自分の中からひとつひとつ、単語を選んで慎重に並べた。

 その恐れを伴う態度は、先とは違いおれに紐づいてはいない。

 むしろ逆で、出会ったばかりのおれを庇うように友人に語っている。

 ……なぜ?

 そうやって思いが出てくるまで、時間がかかった。真正面から関わる人間がいなかった自分にはターナの行為が遠すぎて、見つけるのに時が要るらしかった。


「貴方も、このように言われたくないはないだろう。ひとりぼっちで冷たく、災いと等しい『勇者』などと、疑いをかけられるのは酷なはずだ」


 早とちりして尊敬する人のためにこちらを攻撃したかと思えば、その相手を不器用にも守ろうとしている。


「おい、どうした。急に固まって。やはり、怖いか?」


 彼女は誰かのために、何かをしているんだと気づいたら、急に喉の奥が鈍くなる。


「……教授、『勇者モドキ』などと悪魔さながらの疑いを軽率にかけるのは、おやめください。怯えてしまいます。あまりにかわいそうです」

「疑われるのは、慣れてる。だから大丈夫だ」


 ありがたいけど、余計な心配は不要だった。背負うには嵩張りすぎて、しかも出くわしたばかりの人の心とくれば、潰されかねない。

 でも童女の純粋なやさしさは、その柔らかさゆえに着いてくる。


「慣れてるなんて、あるわけない。強気にならなくていい。『勇者モドキ』の疑いひとつかけられれば、落命しかねないはずだ」


 目の前のことを唱えて残そうとするような語りで、その流れは止まらない。


「疑惑が出た瞬間に周囲の人々に通報されて、良ければ拘束、悪ければ私刑に遭って生命すら危ういはず。それを、何度も繰り返すなど――」

「そこ! そこっしょ!」


 教え子の熱心な弁舌は、先生が軽く断ち切った。


「良きところに気づいた! さっすがターにゃん! 来季、一回ぐらい赤点とっても大丈夫なようにしとく!」

「お褒めいただきありがとうございま……ではなく、えっと……」


 突然の好印象に全身をよじり、正気に戻って困惑してなお学徒は思考を続ける。数秒、銀髪を空気と遊ばせ続けて、両目を見開く。


「彼は『勇者モドキ』などではなく、なのに五体満足でいられる方法……いやそんな、そんなことあったら……」

「お、教え子があたしのすぐそこで成長している予感! うれしー!」


 成長と発見。肯定的な行為の割に、本人の顔は曇りに曇っていく。


「彼は、本物の『勇者』であるから鎮圧されず、ずうっと一人で居続けている――⁉」

「正解! えとこれは真理って意味じゃなく、あたしの推測と重なったって意味ね! とにかく、おめ!」


 子供みたいに手を叩いて、先生は正答に喜んでいる。何かがおかしい気がするけど、それでも突発授業は続いているらしい。

 賞賛の拍手をかき分けて、もう一人の生徒が手を挙げていた。


「はいはい! でも、おにーさんはどうやって、勇者とひとりぼっちにきびしー大人たちから怒られずに済んだんですか⁉ 隣町の爆発みたいな『勇者モドキ』の事件、この町では起きてない気がします!」

「うん、ユーみゃんのもいい質問。確かに彼は、あーちゃんは、あんまり暴力を使っていない感じなんだよね」

「あーちゃん言うな。いちいち直すな」


 突っ込んでも無視される。やはり挙手せねば、授業において発言権はないというのか。


「破壊をもたらさないのなら、どのようにして?」

「足が早くて逃げられたとか?」

「町そのものから逃げられる機動力を有しているなら、事件になるはず。それに、この人はそこまで足が早くなさそうだ」


 一部悪口に類似した意見を含みつつ、議論形式で学びは進む。

 あーでもないこーでもないと推論を交わしあって、


「おにーさん、魔術つかった? きょーじゅみたいに、いろいろ工夫して隠れるとか」

「魔術は絶対にない。体系的な知識が要求される。加えて地頭の良さもいるから……彼に可能だと考えるのは難しい……でも、同じ効果が得られればいいとすれば……?」


 おれへの中傷か否かの境界線上で検討を発展させた結果、ターナは答えへの切っ掛けを掴んだらしい。


「盗賊の技術で身を隠し続けた、ですか?」

「あたり! これ、教えるのに楽かも。来期はじゅぎょーしなくていいかもなー、めんどいし」


 確実に最後が本音だった。それに、おれの存在が都合よく利用されている。童女二人とっても、おれにとっても良くない状況すぎた。


「おい、勝手に人を教材にするな。勉強はきちんと学校でやってやれ」


 さすがに苦言を呈すと、いつもの軽口が返ってこない。何が起きたかと横に視線を向けると、


「学びは、どこでもできなきゃ学びじゃないっしょ」


 想像の五万倍真剣な面持ちをした、先生がそこに立っていた。

 思わぬ調子に気勢を殺がれ、相手にふさわしい語彙を探しているうちに、リーリアは平時の雰囲気をまとっていた。

 ふわりと軽く、重要なことを投げてくるお決まりの危険さを醸し出して、


「てか、あーちゃんもこれから一緒に授業うけんだし、慣れてくれなきゃダメっしょ」


 リーリア・リリンは、さらりと爆弾を舌先で放った。

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