第6話
ゆーみゃんとは?
リーリアに問えば、
「え、名前以外なくない?」
と、まっすぐすぎて相手を傷つけかねない疑問形が返ってきた。
「おれには理解できない言語だ。そんなやつがもしこの世に存在するとすれば、呼ばれ方からして激痛だぞ。呼称がそこまでアホらしくなる時点で、相当痛い生き方してる」
「その呼び方はお止めくださいとさんざん申し上げているではありませんか、教授! 獣人でないにも関わらず名前の尻尾に『にゃん』なんて付ければ、隣人から種族詐称のヤバ美少女だと思われてしまいます!」
どこからかキャンキャン吠えた後、声色を変えて誰かさんは続ける。
「にしても、わたしの尊敬する教授と手を繋ぐなんて、お前、どこぞの神か。いや神だろうと弑することには変わりないが」
音のやってくる方角が変わる。左から右へ、右から左へ、空から気配が流れてきた。音源は横方向に移動する癖して、縦は不動だ。常におれの頭より上にある。
隠密行動はおれの人生そのものだ。
当人が一番隠したいものは何か、行動に一番現れる。
相手は子供。今までの感じから推察するに成長に満足していないと見た。この地点をよく見降ろせ、なおかつ子供が身を隠せる場所は一つ――右斜め前方にある住居二階部分の窓――。
「そこか、生意気な子供は!」
警告として、当たらぬように窓枠の下へ得物を投擲。
「ひゃう⁉」
驚きの声。さっきの生意気な音色と同じ。当たりだ――。
「へへ、かかったな!」
別人の、それも同じような子供の言葉と共に、下方から怪しげな物音。耳になじみのある騒音だ。金属と鋭利さを引きずった、刃物特有のやつ。
「リーリア、アホ面晒してないで横に飛べ!」
「は? あたしアホじゃないし、どっちかっていうとバカだし!」
「どっちでもいいしどっちもだ! いいから――もう引きずるぞ!」
「ふぇぁっ⁉」
間抜けな言葉未満の何かを発して、赤毛が激しく揺れた。まばたきする時間も置かず、毛先を小刀が散らす。地中に仕込まれた凶器が飛び出して、おれたちを狙っていた。
「貴様、教授になにを!」
「わわ、おにーさん、つまんなさそーじゃないね! それじゃ、こっちの新作はどう⁉」
注がれていた殺気は消え、代わりに悪質な無邪気さが首筋をなぞる。
地中からは仕掛けの作動音、右後ろでは絞られる弦の悲鳴。熟達の狩人が引くよりも苦しそうで、恐らくこれも機械仕掛けの動力か。
一歩踏む。聞こえるものが変わる。器用なことに、標的の動作に合わせて狙いをつける仕組みらしい。
「それは、好都合か」
面を塗りつぶすような脅威でないなら、暗殺者の生きる空間は作れる。
隠形を解き、わざとらしく大股で一歩前へ。それから、隠密時の歩法に切り替えて二歩、三歩、勢いよく飛び出る。
手繋ぎという拘束が解けるように、全力を絞り出す。
「ついてこなくていい!」
「こんな時まで、照れんくていーっしょ!」
魔術師のくせして、平然と随行してくるところが引っかかる。ムカつきにも満たない小さな気持ちを、前進する気力に転化した。
「悪いな、そこの悪ガキ。ちょっとしつけさせてもらう!」
「え、ま、けっこーおこなの⁉ 手加減、忘れちゃダメだかんね!」
怒らせのプロに怒られた。少々凹むが、五体の駆動には関係ない。
相手は二階に身を隠している。跳躍地点はどこが最善か。踏み切る過程を意識して、足の置き場所を計算して、可能な限りリーリアがついてこられないような軌道で。
「ちょ、階段は⁉」
「そんな軟弱なモノ使ってたら、逃げられる。跳べ! 身体が鈍ってて重いなら、そこで座ってろ!」
「はぁ⁉ 重くないし! ついてけるし!」
キレ気味な遠吠えを楽しみながら、おれは重力に逆らった。
おかしい。同じ高さに、同行者がいない。それどころか、この体が普段より重い。足枷がついているかのよう。
重たさの原因はというと、一応頑張ってちょこんと飛んたものの、早くも重力に敗北して自由落下を始めている。彼女の表情が崩れる前に、ヒュンと杖が風を切る。
刹那、視界の端を削り取っていくは文字や文様の帯。魔術陣の蕾が生まれて、息を吸う合間に花開く。
「『開け、盛れ、飛ばせ!』」
呪い用に圧縮された言葉が響いて、空間に命ずる、指示通り、奇跡を象った印は輝き膨らみ、地面で爆ぜた。
「――はぁっ⁉ ふざけるな!」
「あ、これ、ドカンってなるから!」
「言うのおそい! 破片とか衝撃とか、とにかく周り考えろ! ったく、これだから魔術師は――」
重心を操作して、弾けた力に下から押されて、落下という現象が否定される。飛べていなかった華奢な身体も、軽く浮き上がった。
冷静になってみると、術者の衣服が揺れていない。本人だけ術式で防護されている。
これなら、多少の無茶ができるか。
爆風を受け流して上手く利用しつつ、衝撃波で壊れた窓から暗い室内へ飛び込む。腰元から短刀を引き抜き、どんな罠がきてもいいように構えてから、
「ガキども、いたずらはもう少し手を抜け――て、どうした」
白刃を示しつつ、カッコよく忠告するつもりだった。
しかし、おれたちを木目の部屋で出迎えたのは、
「きゃ……‼ どっかんは、おっきい音だけは……‼」
泣く寸前の涙目になり、尻もちをペタンとついて震える童女だった。ちょこんと右に垂れた銀のサイドテールが小刻みに揺れる様は、直視しにくい。ダメ押しとして濡れた碧眼が暗がりで光り、美しいが犯罪的だった。
意気揚々と突撃した自分の行いに、羞恥がまとわりつく。単純に、目が覚めた。
「おにーさん、おもしろーっ! 見た目絶対盗賊なのに、爆発魔術使うなんてすっごいすっごい!」
対照的に、茶髪の童女がぴょんぴょん跳ねていた。両目をキラキラ輝かせ、肩にかかる毛先を弾ませながら、歩行でなく跳躍でこっちに近づいてくる。
抜き身の刃を持った年上の男に、なんの怯えもなく好奇心だけで動いていた。
ただ者じゃなさすぎる。それに、なにか別の罠があるかもしれない。己の警戒心を再度喚起して、年下の際限なく興味に立ち向かう。
「ね、どーやって魔術使うの⁉ ナイフ持って戦うのに、術使うのタイヘンでしょ⁉」
「使ってない。おれじゃない。やったのは――」
「あ、そなんだ。つまんなかったな」
籠った擦過音。複雑な機構特有のそれ。彼女の身体の向こうに覗くわずかな煌めきは、投射体の先端か。
身体を捻る。ダンジョンの待ち伏せを躱すための技術で、危険の通り道から自分の肉体を外す。
「ついでに、キミもだ、ちびっ子!」
余った時間で、手の届く距離にいたガキを攫う。触れて引っ張って、小さな手指のすぐそこを鏃が駆け抜けた。
木材を打ち抜く衝撃は、ひとつじゃない。横だけでなく、上下方向からも、おまけとばかりに斜めにも、鋭利な金属は飛び交っていた。
奥のおもちゃを分かりやすく配置したのは、二の矢三の矢を悟らせないため。
笑えてくる。おれも彼女も、誰一人として針山になっていないから笑える。
「え、おもしろ⁉ 一本ぐらい掠ると思ったのに! いいね!」
仕掛けてきた当人もこれ以上ないくらい、いかにも子どもらしいニコニコ具合だ。すぐそこの地獄との落差に気が狂いそう。
「自分ごとおれをやるつもりだったか、ちびっ子」
「ぜんぜん⁉ ギリギリ当たらないように、床に目印書いてたし! ほら、みて!」
「まったくさいっこうだよ、ちびっこ」
それは当たらないんじゃない。直撃しないだけだ。
確かに、印の位置に立っていれば致命的な身体の部位を負傷することはない。
しかし確実に、矢は小柄な体躯のどこかを掠める。加えて必要なのは、傷を負ってもなお姿勢を崩さない精神力。微動すれば落命が約束されて、余裕のない計算。
すべてがうまく行っても死なないだけ。戦闘不能にならないだけ。
血は流れるし、痛みもある。
「けっこーおもしろめの作戦だとおもったのになー。ここまですればぜったいバレない、自分天才って思ったのに、ざーんねん」
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