第5話  

「でさ、あーちゃん」


 一緒に歩く人間が、いきなり虚空に向かって話しかけ始めた。純粋にこわい。通信魔術か何かかと思ったが、魔力行使の気配はないし……もしや、触れちゃいけないやつか。


「……あーちゃん、あーちゃん?」


 空想の友達か、はたまたその辺の野良幽霊か、どちらか分からないが、リーリアの呼びかけに応答しないようだ。

 ヤバさを指摘するか? いや、これでもリーリア・リリンは、唯一無二の友人――作りを支援してくれる人間だ。ここでコミュニケーションを失敗するわけにはいかない。


「あーちゃん、あーちゃん!」


 声が無視できないほど大きくなってきた。大丈夫か? さすがに恐ろしすぎて、そおっと彼女の様子を見て、


「……あーちゃん、どした? 上の空の上行ってたよ、今」


 見える範囲全てを、一人の女に埋め尽くされた。至近から放たれた言葉の向けられた先は、さすがに誤解できるはずもない。

 さっきから繰り返された音の届け先は、おれだ。つまり。


「あーちゃんって、もしや」


 そんなわけない、違うだろ。内なる自己が頭の中で否定するけどれ、さっきから注がれる視線は疑惑を育てていく。


「……もしや、もしかして、おれのことか?」

「あんた以外誰がいんの」


 だれもいないだろ。即座に返したつもりが、自分の口が閉じていた。想像の外すぎる返し方に、身体が反応を拒んでいる。


「あーちゃんなんて、ここに該当者は一人しかいないっての」

「なにがどうなって『あーちゃん』に変形させられたんだ、おれは」

「だって、『暗殺者アサシン』じゃん?」


 ダンジョンに宝箱があったら開けるじゃん? 的なノリだった。疑いの意味を籠めた細目で彼女のことを見つめると、


「だって『あんさつしゃ』じゃん?」


 劣勢を察したのか、彼女は小賢しい補強を始めた。きゅるんと潤んだ瞳を盛んに強調して、内容の正統性とは別方向で認めさせにきている。

 だが、ムリがある。


「おれはてっきり、『上級魔術師アークウィザード』で『あーちゃん』かと」

「あ、確かにそれも成り立つね――って、そしたらあたし、自己を指すとき『ちゃん』付けにするヤバいやつになっちゃうじゃん!」


 そこじゃないだろ、とおれが正す前に、


「てかそれ以前に、あたしは自分で自分に話しかけるようなやつじゃないんだけど! 第二人格とかないし! ほしいけど!」


 もっと突っ込むべき点に彼女は気づいた。新事実を発見したことで若干喜んでしまっているのは、職業病か?


「――ん、てゆうことは、あんた、そう思ってたってこと⁉ あたしのこと、痛いやつだって今判じた感じ⁉」

「飛躍しすぎ、落ち着け」

「あ、なんだ違うんだ。それはよかっ――」

「会った瞬間からイタすぎたから、判断したのは今じゃない。だいぶ前だ。判じたというか感じ取った、と言った方がいいか」

「なにも違くないんだけど⁉」


 きゃあきゃあと、随分と騒がしい。流れ弾とはいえ、剥き出しの殺意を目の当たりにしておいて明るく振る舞えるのは、正直嫉妬する。

 陽キャでギャルで大器だなんて、ひどい格差だ。

 壊滅的を超え、もはや終末的なネーミングセンスを持ち合わせていても、、公平性なぞ保たれていない。


「また、あたしのこと心の中でヒボったっしょ?」

「ヒボったってなに」

「誹謗中傷したっしょ?」

「可愛らしく略す割にエグいし、そんなことしてない」

「瞳の奥の奥、ゆれてっけど。隠せてないんだけど」


 言われて、どこを見ればいいか分かんなくなる。


「言っとくけど、あたしこれでもあだ名付けも神って言われてるから」

「死神じゃなくてか。あと誰に」

「友達に」

「友達、いるのか?」

「そこ疑うなし。根本に疑問符付けんなし」


 口の尖らせ具合に比例して、手を引っ張る力が強く乱暴になる。機嫌の悪い飼い犬の散歩に行くと、こんな気分になるのだろうか。


「あたし、知り合いけっこーいるから。親友はゼロだけど」

「その付け足しがもう怪しいぞ」

「……うわダル。ぜってー、証明してやっから」


 今度は歩調が格段に速くなる。リーリアが苛立ちを大地に押し付けているから、砂が黒の革靴に弾かれて飛んできた。

 避ける。同行者と距離をとる。


「あは、くっつくの、慣れないっしょ?」

「そうじゃない。足元を不必要に汚したくないだけだ」

「またまたー、照れなくてもいいよ、あーちゃん!」

「な…………」


 思わず反応しかけたが、言い返したい気持ちをとりあえず噛み砕く。呼び名をアレで固定されては一大事だ。認めませんよ、という姿勢を見せつけねば。


「あ、そだ。あたしの友達存在証明をするついでに、これを『あーちゃん友達増大計画』の第一歩にするってことで!」

「ま…………」


 堪えろ。ダサめの呼称も計画の名称も、全て受け入れないと態度で示す。

 まともに取り合ってはいけない。言葉よりも雄弁なもので、具体的にはむすっとした表情で戦う。


「これから会わせる人たち、ちょっとヘンテコだけど悪めのやつじゃないから、あーちゃんも安心し」


 安心させたいなら、その前置き要らないだろ――心の中で叫んで、飲み下しやすくする。自分をちょっとだけ褒めてやりたい。


「でさ――」


 こちらが閉口し続けていることなんて気にせず、次から次へ畳みかけてくる精神構造は一体どうなっているのか。疑問を募らせながら一歩一歩を積み上げて、どこかも知らない場所へ進む。

 初めて他者と歩いていることもあって、緊張で現在地がはっきりしない。

 時間経過に連れて左右に並ぶ建物が徐々にみすぼらしくなり、漂う雰囲気も怪しさでいっぱいだ。すれ違う人間の風貌には影の色が濃く、彼らが装備している得物はかなり大振りのもの。

 いくら欺瞞魔術を使用しているといっても、治安が良いとは呼べない地区をここまで堂々と歩くなんて。

 一体どのような経歴の猛者かと、真横からじっくり観察していると、


「あ、やば!」


 リーリアの意識が、兆候なしにおれの方向へと切り替わった。目を逸らす。きちんと前をむく。今度はなん――殺意だ。上。よく周囲から飛んでくる、慣れたもの。


「そこの盗人、急ぎ無機物となれ。不可能ならば自決せよ」


 無茶と無理が、舌足らずなソプラノに乗って届いた。

 声のする方、上方に目線を向けるが姿はない。位置を偽装されている。見えないが、語調やトーンからするに声の主はおそらく子供だろう。暗殺者として、いや隠れ潜むことを日常としたぼっちとして、お遊戯なぞに負けるものか。


「ありゃ、ターにゃんにバレたか」

「た、ターにゃん、って……なんだ?」

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