第3話 

 自分の腕を動かした、その感覚までは覚えている。その行動と、突き付けられた大規模な破壊が繋がらない。

 振り下ろした凶器とその延長線である深い溝は、歴史に名を残す剣士にのみ許された現実だ。

 ザコ暗殺者ごときが叶えられる夢じゃない。

 であれば、犯人候補はひとり。


「おい、リーリア! これ、きみがやったん――」

「『我らの影は我らの中に! 彼らの世界は彼らの中に! 閉じてぼやけよ、すべては塞がれん!』」


 完璧に、詠唱途中だった。

 空で揺蕩う魔力の白帯が、まじないを受けて制動する。静止し、一拍置いてから四角を描き、かと思えば円や網の目を形成し、完全な魔術陣となってからくるりと回った。

 複雑な文様は破裂せんとばかりに輝き、暗がりを照らしておれと彼女に薄い膜を被せる。

 光輝が落ち着き、中空に浮かぶ陣が消えてから、


「どーよ、あたしの魔術! 結構効果テキメンっしょ」


 と、目を見開いてこちらに感想を求めた。胸を張って、斜めにした身体を向けて、何とも言えないちょっとしたポーズまでつけて、褒めろと身体で要求した。


「念のためもう一度問うが、これは、きみが?」

「いやいや、なに見てたんって話っしょ。あたし、まほーじん作ってたじゃん! ブツブツつぶつぶ唱えてさ、魔術を――世界初実用化に至った、認識自己収斂術式を編んでたじゃん!」 


 細かな説明を無理くり付け加えて、魔導士はドヤっと表情をキメる。観客の驚きが薄いと見たのか、すごいんだぞと目をパチパチさせて訴えている。


「その隠形もどきは別として」

「もどき⁉ あたしの七年かけたとっておきが、紛い物扱い⁉」

「こっちだ。この斬撃強化は、リーリアの術か?」


 足元から続く刃の跡を、始点から終点まで指さす。すーっと動く指に合わせ、彼女の眼は顔ごと動いて、固まった。


「え、やば……なに、こわ……」


 すぐそこで無造作に広がる暴力の痕跡に、少女は自然と後ずさった。

 それが正しい反応だろう。隣のやつが異常な武力を有している可能性があるなら、そいつから離れたくなるのもわかる。今のところ死人は出ていないが、いつ人命が失われてもおかしくない惨状だ。

 怯えた嫌悪の顔を見せられる前に、さっさとここから離れて――


「――でもすご! さっすが勇者!」


 いたい。それに、暖かい。他人から握りしめられた手に、ぎゅうっと力が籠められる。

 後退が止まって、状況を飲み下し終えた瞬間に心の箍が外れたらしい。

 彼女の気持ちが昂っていることは、手の甲にかかる圧力から読み取れている。というか普通に骨が悲鳴をあげている。このままだと折れる。でも逃げられない。

 腕力とか、驚きとか、とにかく色々がおれに積み重なって、逃げ出せない。


「その果物切る用みたいなかわいー武器でさ、この威力って……うわ、すご。やる気出てきた!」


 リーリアは意欲を燃やして、とにかくはしゃいでいる。引かずに、逃げずに、嫌な顔せずに、おれの横にいた。


「ねーねーねー‼ それどーやったの⁉ やっぱ『勇者』になると何か特別な身のこなしとか身体制御法とか手に入んの⁉ 腕の調子はどう? 呼吸は? 鼓動は? 脈は? 発汗は⁉」

「近い近いちかい! べたべた触るな! あとキショい!」

「な、キショいってなに⁉ まあまあカワイイ女に言うことじゃないっしょ⁉ あとこれは不純なスキンシップじゃなくて、観察とか実験とか、知的分野開拓のための触診だから気持ち悪さなんてなしだし!」

「言い訳の仕方がネバついててキモいし、そもそも今やることじゃないだろ、つーか、逃げなきゃ……」

「あ、待ち! 髪の毛だけでも置いてき!」


 やりにくさに背を向ける形で、この場を去ろうと試みる。中々思うように視界が変わらない。ストーカースライムに擬態した魔導士を牽引しているから、当然だけど。

 建物に挟まれた隘路を進んで進んで、呻いたりジタバタしたりと忙しい人型の荷物を引きずり倒す。

 手間暇かかった詠唱の結果か、追っ手はみな消えている。それどころか、裏路地を行く人と正面から衝突しそうになった。相手には他者を避けるという選択肢なぞなく、こちらが見えていないような行動だ。


 どうやら、数分の安全は確保されたらしい。

 となれば次は、安心を獲得するべきか。べったりとくっついて離れない不審者相手に、毅然とこの身を開放するよう要求しなければ。それに、休息も必要なことだし。


「んー、どしたん?」


 気がつけば、こっちが引っぱられる側になっているが気にしない。体力面で魔術系に劣っていたとしても、正面から交渉する。


「おい、離せ」

「離せと言われて離すやつ、どこにいるって話っしょ」


 こいつ、遊んでるな。

 子どもがおもちゃを振り回すみたいに、舌先で言葉をもてあそぶ。

 夜風にまぶしい赤毛をそよがせて、怒っているんだか楽しんでいるんだかまるで分からない瞳でこちらを見つめる。こわい。


「なんだ、その目」

「んー? どっかおかし? ふつーだと思うけど」

「おれに対してキレてるのか、それともひとを好きに拘束できているこの状況が楽しいのか、どっちだ。二種類の感情が揺れるなんて、普通じゃない」


 問いに、リーリアは固まった。だけど足は止めない。おれを引っ張る手も止めない。起用に上半身だけ、ぶらさない。

 しばし上だけ静止して、


「どっちも。違う感情がふたつあるなんて、ふつーっしょ」


 執拗に何度も首肯しながら、そう答えた。答えて、足りない部分を補う。


「第一に、あんたはムカつくし」

「やっぱりな。みんな、おれを嫌う」

「はっ、そうゆーとこがまじイライラって感じ。あたしを見てない。さっきのバカ冒険者どもとあたしを、同じ括りに入れてるのが最高にイラムカ」


 ぎろり、にらまれる。逃げたい。逃げられない。


「でも、ちゃんとうれしー。目標を、やっと見つけたし」

「目標? おれが?」

「そうそう。この世界でもちゃんと一人になれるっていう希望っしょ、あんたは。集団から解放されて、ちゃんとひとりで、『勇者』になれるっていう証。ぼっちだから捻くれてて、性格歪んでそーで、目つき悪くて、あは、だから信憑性もばっちし」

「煽ってるのか?」

「あは、わかんねーの? そか、対人経験なし人間だから判断ムリか」

「……うざ」


 空を向く。斜め前を歩くやつの顔見るとイラつくから、星を見上げる。あまり星々は見えない。民家の光と街の松明と、さっきまで振るわれていた魔術の光が眩しいから。暴力的な明かりが、夜闇をかすませていた。


「ね、質問したんなら、答える人の顔ぐらい見なって。礼儀っしょ。『勇者』のくせに常識もない感じ?」

「ひとを無理やり拘束して、引きずり回して連行してるやつに言われたくない。それに、おれは『勇者』じゃない」

「いやいや、またまた」


 へらへらと否定する。微妙にかわいいのがむかつく。

「嘘つくのはダメっしょ。泥棒になるって、お母さんが言ってたし」

「おれの職業は『暗殺者』だ、手遅れにもほどがある。それに、虚偽じゃない。『勇者』になれたんだったら、莫大な力と余りある名誉を得たのなら、キミなんてとっくに振り払ってる」

「――――」


 凝固するのは、何度目か。

 バカみたいに口を緩くあけて、魂が抜けそうな相好。


「やっと気づいたのか? おれが伝説に噂されるような『勇者』であれば、そもそも誰に殴られようが魔術ぶつけられようが刃物投げられようが、逃げる必要がない。殴り返せばいいだけだ。もしくは、やられっぱなしでもいいのかもな。ザコ相手の攻撃に、勇ましい者が傷つくはずもない」


 殴られっぱなしの勇者様。

 想像して口が緩む。目じりも下がりかけて、やっぱ見開く。


「――――マジじゃん」


 地面から空へ落ちていく雷を見たかのように、目の前の女が驚いていた。驚きすぎていて、見ている側が驚く。

 ほんとに気づいてなかったのか、こいつ。

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