第2話 

「――詠唱は⁉」

「間に合わないっての!」


 悪夢で耳にするような魔術の詠唱。

 閃くのは光の矢。


「じゃあどうするんだ⁉」

「決まってるっしょ! 魔術が間に合わんってことは――」


 鋭利な閃光に頼りない棒きれが触れ、そして、


「物理が一番!」


 強制的に叩き落した。

 魔法陣を描き、詠唱を綴り、魔力をかき回すための枝で薙ぎ払った。


「うそ、だろ……」

「ウソじゃないって。ほんとだって」


 魔力を弾いた先っぽをふるふる振って、へらへら笑う。

 彼女は生死を左右する舞台で、脱力する。

 異常だ。

 ひとつの奇行をきっかけに、ふたつみっつと異変が続いて、あっという間に地獄になる。

 負傷させてしまえばひとりになれないと、誰かが言った。

 殺せばいなくなるからひとりにならないと、誰かが叫んだ。


 狂っている。

 孤独な者が怖いからと、ぼっちの存在すら認めないみんなも。

 殺される危険があったのに、逃げ出さず人の群れの中にいようとしたおれも。

 放たれる脅威に対して、木の枝みたいな杖で立ち向かおうとするリーリアも。


「いいから逃げろって!」

「あー、そういってひとりになる気っしょ! それは許さん! 自由にひとりで歩くなんて夢みたいなこと、あたしがやるまで許さん!」

「ああもう、きみもおれをイジメる系の人間か――」

「違うって! おまえ、ゼッタイそれ系以外の人間に会ったことないんっしょ⁉ なんでもかんでも一緒にするなっての!」


 指摘されて、自分を嫌う人類以外に出会ったことがないと気づく。

 かなしい。

 それでも、悲惨さは命の危険が忘れさせてくれる。

 背後から迫ってくる熱を、直感で屈んで避けた。

 赤すぎる光があたりをぱあっと照らしてはじめて、炎球を向けられていたと知る。

 当たれば黒焦げ、焼け爛れ苦しみ死ぬのだと心に刻まれる。


「あぶあぶ、狙いが悪くて助かったー」

「そこ、一息つかない! おれの存在がぼやけてるから直撃はしないが、まぐれ当たりとか弾幕で死ぬ可能性はあるぞ!」

「警告、あんがとね!」


 なんで、おれは助言なんてしてるんだろう。


「てか離れろ! この、隠れ身使ってるのにどうしてついて……⁉」

「ふふん、ぼっち力に自信あるみたいだし、実際そこらのバカには効いてるみたいだけど、あたしに効くかっての! ね、どーしてだと思う? なんでだと思う? なんと、聞いて驚け――」

「もったいぶって喋るな! いまの状況わかってるのかバカ⁉」


 反射で口を出した。こんな状況じゃなければ、手も出る。


「……」


 沈黙した。よし、これで回避行動に専念できる。これで無傷の確率が上がった。今もほら、子犬ぐらいある氷柱を避けたし――


「……そんなにさ、怒らなくてもさ、いーじゃん……」


 ――既に傷心だった。無傷とはいかなかった。

 しかも、


「おい手つかむな! 死にたいのか⁉」


 彼女の指がおれの手に食い込んでいた。痛い。どんな力だ。


「……別にさ、ちょっぴりさ、調子乗ってさ、命に関わる状況でさ、言葉溜めただけじゃん? それでそんなに、キレなくてもいーじゃん……」


 許しを請うような上目遣いを繰り返し、目線を送るたびに手の締め付けは強くなる。というか、痛みというより、骨が崩壊を音で知らせていて――


「わかった、怒らないから離せ!」

「それって、おしゃべりしてもイイってこと⁉」

「そっちでもいい、話せ!」 

「やたっ!」


 機嫌よく彼女は声をあげ、きれいな双眸を見せつける。


「このあたし――リーリア=リリンは世界で唯一の、ひとりぼっち研究家! 『勇者』になるため、孤立するために魔術を研究する魔術師! ので、おまえの隠形はあたしに通じないってことっ!」


 澱みなく口上を読み上げ、痛々しくカッコつけると同時に赤毛が揺れる。


「どーよ、このセリフ。毎晩寝る前に考えてたやつ、いー感じっしょ?」

「知らない、てか離れろ! このままじゃ的がでかい!」


 ついでに流れ弾の投刃をひょいと躱して、リリンは飄々とこっちに近づいてきた。


「だから、逃がさないって言ってんじゃん。『勇者』になるのはあたしだ! おまえには譲らない!」


 そのまま、手でぎゅっとおれの腕を掴み取る。


「このっ、約束破りやがったな……」

「手じゃないし、腕だし」

「おなじだ――っ⁉」


 かくんと、視界が傾く。身体を右に引かれてバランスを崩し、そのおかげで手斧に当たらず済んだ。


「べろ、噛みたくないっしょ? なら叫ばない叫ばない。あと時間稼ぎよろ~」

「は、なんで⁉」

「逃げるための詠唱、時間かかっし。それとも、してほしくない感じ?」

「いや頼む! なるべく早く! てかなんで遅い⁉」


 誇りもなにもなかった。使えるものはなんでも使う。


「いやさ、暗記苦手でさ、手帳みないとダメで」

「さっき口上言えてただろバカ!」

「……たしかに!」

「納得するな、早く唱えろ!」

「わーったわーった。じゃ、ちゃーんと稼ぎ! 養え!」

「きみなんて誰が養うかアホ―っ⁉」

「えなに、聞こえんし―⁉」


 雷鳴と罵声に、全ての音が呑まれていく。彼女の詠唱――鼻歌に似た、ぼやけた言葉の繋がりも塗りつぶされる。


「『ひとりになる、ひとりになる、いつも通り、影の中に――』」


 『暗殺者』の技術に専心する。

 出来るだけ暗い場所に踏み込んで、足音は無くなるように。

 建物の裏に紛れ、自分の形が無くなるよう祈る。息をひそめて、口を閉じて、胸と腹部に力を入れて。

 自分は何もせず、自分に何もさせない。

 透明なナニカになって、ただ走る。


「っ、びびるな! 慣れただろ! おれ!」


 身体に言い聞かせて、足先まで感情を籠める。

 飛んできた氷刃はさっきまで踏んでいた地面を切り裂き、炎弾はおれの影を焼き尽くしていた。温度の差が恐怖を膨らませる。


「ね、殺意ヤバくない⁉ なにこれ⁉」

「だから言っただろ!」

「勇者になったら、こんなワクワクに出会えるんだ⁉」

「ワクワクって死ぬようなものなのか⁉」


 経験ないから知らない。わからない。てかこの思考は要らない。頭の中をグチャグチャにしつつ、必死で四肢を駆動させる。

 飛来した弓矢が足元を彩って、舞った刃先が頭上を照らした。

 当たりはしないが、徐々に切っ先と危険は近づいている。目隠しで放ったような攻撃から、子どもの遊び程度に精度は上がり、いつしか紙一重のところまで。


「くそ、いつもはすぐ振り切れるってのに……!」

「考えればすぐ理解できっことだよ?」

「なんで上から目線なんだよ⁉ で、答えはなに⁉」

「原因、あたし」

「ふざけるな! あともったいぶるな! てか詠唱しろ! してくれ!」


 窮地を凌ぎつつ、敵の様子を観察する。チラ見して、観察をやめる。暴力が視界を埋め尽くしたから、直視してられなくて目を背けた。

 しかし言われた通りだ。飛翔体の軌道を見るに、おれでなく隣人を手掛かりに狙いが付けられている。

 暗殺者の隠形は、同行者まで完全に覆い隠せないか。ならば。


「お前、もうちょっと頑張って走れ! 陣形を変える!」

「え、ムリ」

「あきらめるな、がんばれ!」


 励ますと、同行者の速度が少しだけ上がる。入れ替わりにおれが歩調を落として、自分の身体を少女の遮蔽とした。狙いの基準をこちらに移し替えて、悪あがきの時間がちょっとでも伸びるように。

 完全な隠蔽には遠く及ばずとも、これである程度の欺瞞効果が期待できるはず。

 問題があるとすれば、


「死ぬほどこわいことぐらいか!」


 叫ぶと同時、すぐ横を投げ槍がぶち抜いた。穂先と目が合った気がする。絶対気のせいだけど。

 ひたすら、飛ぶように走る。転がるように逃げる。角に差し掛かればとりあえず曲がって、行き先も決めないままに居場所を変える。


「急いで、早く! 詠唱続けて!」

「――。あと十五秒! ――」

「秒数の報告いいって! 詠唱続けろ! 返事はいらない!」

「――。りょーかい!」


 あやふやな言葉の蛹が、再び紡がれる。戦闘の騒音に屈しない高音が、彼女の唇から流れ出す。

 周囲で励起し始めた魔力と、にわかに顕在しはじめた純白の魔術陣。足音を音楽隊にして、歌に近い詠唱が続く。

 魔術行使の時が近い。

 もう一歩の辛抱でどうにかなると、確証もないのに希望を見出す。先の望みを燃料にして、炎の雨も雷の束も氷の嵐も全て避け、細道の鋭角を左に――


「っ、このっ!」


 行き止まりだ。おれたちの真正面に聳えるは、大して高くもない壁。一般的な三階建て住居の壁面で、少し頑張れば超えられる程度の障害。

 だが時が足りない。集団の靴音は心臓が拍動する度に大きく近く、振り返れば彼らはそこにいるだろう。

 剣や斧を手に、杖や弓を構えて、孤立した者に暴力を浴びせようとするはずだ。

 ひとりだったら、逃げ出せばよかった。

 でももう一人付いてくるなら、逃げて物事は終わらない。


「くそ――」


 どうするかと、隣のやつに言えない。ここで諦めろと、手を放してどこかに行って死人の数を減らせと、説教してやることができなかった。


「――――」


 リーリアはあまりにも真剣に、諦めなんて知らない顔で呪文を繋いでいた。説得しても無駄だと、相手の心を真っ二つにする相好だった。

 冒険者ギルドの連中とは、違う。

 軽んじるのではなく、彼女はおれのことを真正面から認識した上で、堂々とおれの弱さを否定している。


「諦めんなし、『勇者』だろ、バカ!」


 負けたくないという気持ちが、この心にもあったらしい。

 振り向き、悪あがきに必要な道具を構える。

 手のひら大の小刀を引き抜いて、身を隠すための煙玉を宙に放った。


 低級モンスター用の小道具で何がどうなるのか――余計な考えを切る。刀の切っ先で煙幕を封じた球を破り、振り抜かれた相手の武具を弾くことだけ想像する。

 隠形を忘れろ。持てるすべて、斬撃に使え。

 地面を蹴る雑音が止まる。獰猛に輝く武器が視界に入ってくる。


「これでも喰らえよ、群れたがりが――っ‼」


 おれはやけくそに刃を振るって――


「っ、ぁ?」


 なにも、わからなくなった。

 ただ、前方が開けている。地面には縦に深々と一本線が刻まれていて、周囲には土埃が舞っていて、視界が晴れると辺りは竜巻の通過点のよう。おれたちを取り囲む建物の壁や屋根は所々崩れており、冒険者の追っ手は全員が地に伏している。


 なんなんだ、これ。

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