追放されたら『勇者』になる世界と影の薄すぎる暗殺者

はこ

第1話 

 ――追放されれば、『勇者』になれる。

 ひとりになれば英雄の力が授けられ、富と名誉と友達とその他諸々が手に入る。

 それが世の規則なのに、おれだけ仲間はずれだった。

 違う地域に放り込まれたみたいに、おれだけがぼっちだ。


「おれの戦闘を、見ていた奴はいないか。ゴブリン三体にオークが一。きちんとこの手で仕留めた。遺骸だってここに――」

「だから、誰も見てねぇっつってんだろ!ったく、サボり魔のガキが報酬求めんな。がっつり稼ぎたきゃ、ダンジョンでしっかり戦闘するんだな、隠れてばかりのびびり暗殺者」


 戦士の男は、おれの正面で不愛想に唾を吐く。

 まあ、いつものことだ。

 いつもの夕方。

 いつもの木組みの酒場――兼非公式の冒険者ギルドとかいう暖かいんだが治安が悪いんだか不明な場所で起こった、いつもの報酬未払い。


 気配を消してチマチマモンスターを倒しても、パーティメンバーには働きを認知されずに軽んじられるばかり。


「おいおい、あんま言いすぎんなよ。『勇者モドキ』になっちまうぞー。こないだ東の街が吹っ飛んだのだって、イジメられた魔術師ウィザード見習いの子供がドカンとやったらしいしな」

「あん? あの騒ぎ、魔物の襲撃じゃねーのか。ま、なんだって大丈夫だ。このコソ泥は、そこらのガキ以下だから問題ねぇよ。スキルも雑魚だし、レベルも低いまんまだしな」

「スキルじゃない。『業術ごうじゅつ』だ。あとレベルでなく、『練階れんかい』だろう」


 ちゃんと言葉を尊重しないやつが、おれは嫌いだった。世界に根付いた重厚な語があるのに、踏み倒すやつは気に入らない。


「原住民の言葉に執着して、変人狂人気取りか? そんなことしたって、無駄だ無駄。誰もお前を遠巻きになんてしねぇ」


 相手はわざわざ嘲笑のために間をあけ、


「誰だって、独りになんてさせねぇ。この街のやつはちゃんとしてっから――なっ!」


 殴られた。

 頬に一発貰って、おれは床に倒れ伏す。温もりのある木材と仲良しになって、鈍い痛みが思考を支配する。

 殴打に反応も出来なかった事実と、戦士にやり返したってもっとボコられるだけという冷静な計算を、噛みしめた。


「おい、殴り方がなってねぇよ! 『勇者』になんねぇよう、もっと真下に倒れるように拳振れっての!」

「うるせぇ、そんぐらいわかってらぁ! 次はもっと上手くやる」


 どこぞの誰かが野次を飛ばし、適当に殴った男が答えて笑う。ヘラヘラしてるやつ全員の顔を忘れないよう覚える。別に復讐出来るわけでもないのに。

 ここまで日常茶飯事。ならば、その後も同様だ。

 いつものように、一人で消える。

 いつまでも罵詈雑言を吐かれぬように暗殺者の『業術』で気配を消し、酒場の端にある席まで移動して、目立たぬように隅でじっとして、営業時間ギリギリまで夜の寒さを凌ぐしかない。


 今日も今日とて出来るのは、惨めにここで眺めることだけ。隠れることだけが取り柄だ。

 ひとりきりで、ずっと。

 酒場の騒がしさに苛まれながら、目を瞑って現実から逃げることのみ許される。



「――さ、ここから叩き出せっての! このあたしを追放しろっての!」



 さすがに、眠るにはうるさすぎた。

 騒がしすぎる方を見ると、女がひとり、無駄に追い出されたがっている。

 魔術師御用達の白いローブを揺らして、勢いよく訴えかけている。


「だーかーらー、大人気肉マシ定食の待ち列に割り込んだこのあたし、通称めーわく若者客をこの店から叩き出せって言ってんの!」


 そんなこと求めたって、無理なのに。

 人間の追放なんて、この世界では誰にだってできるはずがないのに。

 不可能だと知りながら、彼女は諦めない。馬鹿だった。すこしだけ、おれはその姿に憧れる。

 諦めないことは、おれがとっくに諦めたことだから。


「ほら、めーわくっしょ? 儲かり時の夕暮れに酒も飲めなさそうなガキが定食一つでワーワー騒いで、店もお客さんもだるいっしょ? 追い出しちゃおうよ、魔術師ウィザードの小娘ひとり、戦士ウォリアー職がたくさん集まれば外に投げれるって。ほら、ゴミ捨て感覚でやっちゃお? ぽいってしちゃお?」


 気軽に提案しても、店員も周囲の客も生暖かい視線を向けるだけだ。

 少し気が触れただけの思春期人間を、柔らかく見守ってくれている。

 羨ましい。


 この羨望は、愛嬌とか見た目とか人が生まれ持つ資源の話だ。

 あいつが可愛らしいから、というだけのお話。

 少女が溌溂とした口調で要求する度、一つ結んだ赤毛がぴょこんと揺れる。周囲の人を見据える強気な双眸にも、どこか柔らかさがあって人に好かれる感じ。どれだけ無茶なことを言っていても、合わせて振れる手や足には愛嬌しかない。


 まっとうな人だったら、すぐ好きになってしまう。おれはそうならないが。

 最悪だ。世界はそういうやつが生きやすいようにできている。

 みんながしつこく、優しくしてくれる。


「あーも、この店最悪、だる。ほんとだる。別のとこ探そ――って何、離してよ」


 ああいうキラキラした奴には、ちゃんとした人間には、誰もが優しくせずにはいられない。ひとりでどこかに行こうなんて大罪、許されるはずもない。

 ――ほら見たことか。その場を去ろうとした少女の細腕を、店主の男が捕まえて抑え込んでいる。


 決して、暴力を振るおうとしているわけではない。相手がケガを負わないように細心の注意を払いながら、男はただ優しさと配慮で彼女の動きを止めていた。

 脅し文句も何もない。無言だ。一番弱くて、強い圧力。言葉にするまでもないルールとか常識とかいう鎖が、少女を縛っていた。

 ひとりじゃなく、みんなで。集団の圧力でぐるぐる巻きにしている。


「あー、はいはい。帰る時は、一緒に来たパーティと帰れってんでしょ。学校で習ったっての。あーも、一回仕事しただけのやつらと流れでご飯いってそのまま仲良し強制とか、ほんと、だる……」


 気だるく愚痴った跡を、静寂が追う。


「このシステム、まじでごみ。ね、だれか、そーおもわん?」


 問うても、誰も何も返さない。彼女の心情に同調するやつなんていない。

 だから、応えてやろうと思った。

 いつもおれの言葉になんてそこらの鳥も猫も反応してくれないけど、それでも。


「――その通りだ。ほんとゴミだよな、世界。おれはこの世以下の屑だけど、それはそれとしてこの世はゴミだ」


 で、試しにそこそこ大きな声を出してみて、


「けふっ、のど、いた……」


 それから違和感に咳き込む。久しぶりに大声を出したものだから、喉がびっくりしたらしい。

 けほんけほんとお遊戯会みたいな咳ばらいをして――応答は皆無だった。

 予想通り。こんなのは自己満足だ。知れたこと。鼻歌と変わらない。散歩中のハミングに伴奏も拍手も求めてなんかいない。


 ――帰るか。

 椅子から乱暴に立ち上がり、誰の妨害もないまま出入り口の扉を引いて――


「――あんたは、どうしてひとりで帰れるの?」


 赤毛の少女は、そう尋ねた。

 さっきまで元気いっぱいだった瞳に怒りを満たして、単純な不満を湛えて、幼い子どもみたいな調子で。

 ――なんで。どうして。


 訊き返したいのはこっちだ。

 今まで、おれのことをちゃんと見る人間はいなかった。影に隠れたおれの声を、しかと聞く人間はいなかった。

 そしてどんなときだって、対等な目でおれに話しかける人間はいなかった。


「なのに――」

「あたしは一人になれないのに、誰かといなきゃいけないってのに、あんたは、あんたはどうしてぼっちなの!」

「……理由なんて、こっちが知りたい。なんで、きみは……」


 酒場を動揺が引き裂く。

 ひとりぼっちの人間がすぐそこに存在した。その事実だけで、酔いや酩酊は容易く台無しにする。

 精神的な衝撃が実体をとってあちこちをぐちゃぐちゃにしたのだろうか、人の群れが崩れていった。


 彼女を抑え込んでいた男の手も当然緩んでおり、少女がそれを見逃すはずもない。

 喧騒の中を足音が一組、こちらに向かって推し通る。少女のしなやかな脚は感情のままに動いて、競争のように迫る様子はただこわい。

 恐怖そのものだった、なぜか。


 逃げよう。

 両足が急く。だけど、他人に直視されながら追われるなんて生まれて初めてで、うまく走れない。

 足がもつれて、つま先は地面に引っかかって、膝が言うことをきかなくて、それでもただ身体は外に出ようとして――


「あたしがぼっちを逃がすかっての」


 今度はぼくが、右腕を掴まれた。穏便に逃げる方法は失われている。


「ジョブは? 今使ってるスキ――」

「『業術』」


 癖で訂正の言葉がつい口をつくも、


「おけ、文化尊重ね。業術はなに? レべ――練階はどのくらい?」


 この女は即合わせにきた。不気味だ。こわい。


「なにをしたっていうんだ、おれが」

「ひとりでいたっしょ。ぼっちキメてたっしょ。それだけで十分」


 改めて聞くと、バカバカしいと思う。理不尽だ。

 でも、それが規則。

 この世界で人は、ひとりでいてはいけない。たくさんで、群れでいなきゃならない。

 その規則に散々縛られたのだろう、彼女は今までの恨みを晴らさんと、おれに告げた。

 見当違いに、バカみたいに、眩しくぶつけた。


「ひとりになんかさせない。――勇者になんかさせない。勇者それは、あたしが――リーリア=リリンが担うものだ。あたしの憧れだ。父が半端に叶えて、果たせなかった夢だ。あんたになんて譲らない」


 怒りと夢と妬みと欲と――その他諸々の心を薪さながらにくべて、彼女は、リーリアは動いていた。

 乱暴でわがままで、ムカつくくらい純粋でキラキラしている。昔から伝わる伝説をそっくりそのまま信じ込まなければ、こんなに獰猛で輝かしい瞳はつくれない。


「信じてるのか、あんな妄想を」

「当たり前っしょ。『追放されると勇者になる。富も名声も思うがまま、溢れんばかりの名誉がただひとりの望むように、世を統べる権能は願うままに。追放された者に神はその偉大な役割を与えた』。その辺のちびっ子だって空で言えるし、その辺の老人だって忘れないって」


 当然だと、少女は全身を用いて物語った。日の出を子供に説明するように、迷いなく続ける。


「それに『勇者』はあたしの敵で、あたしの夢。妄想とかいうと、怒るけど」


 言葉の端々まで緩みなく、重い。

 伝説に基づいた法律があるとか、みんなが従っているとか、勇者になりうる追放者が危険とか、しょぼい理由は彼女の中になさそうだ。

 それが面白くておかしくて、ちょっとばかりムカつくから、返答にも力が入る。


「きみの望みは叶わない。おれは生まれてこの方、罵倒されて見下されては追いやられてきたんだ。ぼっちで追い出されることには自信がある」

「なに――」


 わかりやすく苛立つリーリア。でもその怒りを、きちんとした形にする暇なんてどこにもない。


「『追放者は――ひとりでいる者は、勇者になりうる。富も名誉も強欲に独占され、他者を虐げる可能性がある。であれば、孤独な者を生んではならない。孤独で在れる者は、存在を許してはならない』」

「それは――」

「学校に入る前の子供も、正気を失って久しい老害も知っていることだ。『勇者』に何もかも壊された、人の生み出した知恵きそく


 警告するも、遅い。


「みんなおれを――『勇者モドキ』のぼっちを、虐げざるにはいられない」


 取り押さえろと、誰かが言った。殺してしまえと、『勇者』にさせるなと、生きる価値がないと、誰が言ったかわからないほど否定が重なる。

 まず、雷光が瞬いた。


「結局、こうなる……っ!」


 なんとか振り向けたけど、だからといってどうにかなる状況じゃなかった。

 近すぎる。雷の先が逃げようとした背を撫でて、痺れが駆け巡る。多分、痛みもあったはず。痺れがひどくて、苦痛はもうどこかに行ってしまった。

 おれは、ギリ大丈夫。でも、おれを掴んでいた女の子はどうか。

 心配の暇もない。なにせ、酒場にいる全員が攻撃を仕掛けようとしている。


 逃げる、走る、呼吸をする。

 続いて飛んでくるのは炎塊、いくつかの氷刃も一緒。その次は柱みたいな鉄塊、後ろをカバーするのは矢に突風、それからナイフとメイス、大剣の輝きも見えた気がする。

 心臓が反射で跳ねる。当たらない、死にはしないと奮い立っても、胸の奥はいつも勝手に絞られる。


「いつもこうだ。おれは、いつもいつも……」


 隠密を少しでも失敗すれば、唐突な怨嗟や罵倒と共に攻撃されて、その場を追いやられてはいおしまい。

 集団の中にいれば、存在感のない無能とみなされ杜撰に扱われる。今のように追われて弓を引かれて、居場所なんてどこにもない。


「リーリア、だったか? きみの望みは叶わず終わる」


 恐怖で途端にこの足がサボり、すぐ横を衝撃波がゆく。その代わりに働くのは口だ。


「きみは周りとちょっと違うみたいだけど、それだけだ。意味のない誤差でしかない。きみの願いとは反対に、おれはこうやって叩き出される。いきなりたくさんの人から暴力を向けられて、ぼっちで寒空の下に戻る。流れ弾をくらいたくないだろうから、すぐその手を離せ」


 舌が不思議に回って、少し善行を試みていた。今日は慣れないことをやけにしたくなる日で――


「命令すんなっての」


 ――それが、上手くいかない日だった。


「『いつもいつも』ってうっせーの。これまであんたの近くに、このあたしはいなかったっしょ!」


 リーリアはおれの手を離さず、もう片方の空いた手に杖を構える。それは魔術師の証。小枝か筆記具か、区別の付かない頼りない道具を頼りに、赤い少女は闘志を燃やした。


「あんたのいつもを、あたしが壊してやる。リーリア・リリンがいる限り、『勇者』になれると、ぼっちになれると思うなよバカやろー!」


 殺到する『勇者』への殺意を余さず受け止めて、魔術師は世界に吼える。


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