第6話約束
「もう感情なんて枯れ果てたと思っていたんだがな」
ようやく理解した。俺の胸の内で渦巻くこの唸りの正体を―――そう、それは怒り。永い時を生き、いくつもの戦場を掛け、終には敗北し隠遁生活を送っていた自分だ、もはや感情なんて枯れ果てたと思っていた。だがどうやらそうでもなかったようだ。これほどの激情、その事実に若干の驚きを覚える。
もとよりあの青年神官に対して怒りを感じていないわけがなかったのだろう。理由もわからず拘束され、いきなり見知らぬ土地に飛ばされたのだ。それだけでも怒る理由には十分だ。それだというのに続けての身体の変化、極めつけはこの魔法の制限である。
あの時の口ぶりからするとこれらの呪いはヤツにとって予想外であったのかもしれない。だがヤツのせいに変わりはない。もう怒り心頭である。
『一時の個人の感情に振り回されるなど愚か者のすることだと…そう君は思わないか?』
ふと、昔誰かが言った言葉を思い出す―――他ならぬ自分の言葉だ。
当時の俺はそれが当然だと思っていたし、それが間違いだったとは今も思わない。あの当時の自分の立場を考えるならば当然の帰結だろう。『王』は常に大局を見て動かねばならない、そうせねば『勝利』は得る事などできないのだ。
だがその結果『敗者』となり『王』ではなくなった今、その考えは適用されるのだろうか。
さて、目の前には獲物である少年へと向かっている騎士がいる 。アレは己の役割、侵入者(自分たち)の排除であるソレを果たそうとしているだけなのだろう…ヤツとは関係ない―――ただ剣を俺に向けたのも事実なのである。
だから反撃しても構わないだろう?―――たとえそれがやりすぎだったとしても。
石をひとつ投げ飛ばし騎士の面にぶつけてやる。それによって自分がまだ健在であることに気づいたのだろう。こちらへ向きを変え近づいてくる。
手始めに水の魔法の一つ氷系魔法、
ただぶつけただけでは効果は少ないかもしれない―――故に狙うは騎士の足元。騎士の足だけに留まらず周囲のもまとめて凍りつかせる。
狙いは上々。動きは鈍りバランスが崩れる。その周囲はすでに氷の大地、人を模した二足歩行が故に辿る道はすでに決まっている。
響く轟音、倒れる巨体。
「えっオズ? 良かった…無事だったんだ、助かったよ」
後方から聞こえてきた一息ついた様子の少年への返事は軽く手を挙げるに留め視線は前へ。そこには起き上がろうと動き始めた騎士の姿がある。それも当然。ただ転ばせて動きを中断させただけであり、ダメージなどあるわけもない。だが地面全体を凍らせているがゆえにその動きには隙がある。
ここまでは想定通り、さてこれからが本番だ。
続けて使うのは地の魔法である
一方でここまで傷一つなかった騎士の身体にはほころびが生まれる。どうやら中級以上の魔法であれば効果はあるようだ。
だが上級へと繋げようとしたところで違和感を感じるどうやらここが限界値。上級以上の魔法の使用に制限を掛けたものらしい。
「とりあえず上限は分かった。ただまだ十分ではないな」
更なる考察、最適解を求めるには実証実験が必要。それには騎士の動きが邪魔だった。
「というわけだ―――すこし大人しくなってくれ」
故に言葉と共に岩石の槍を騎士の四肢へと打ち付け地面へと縫いとめる。
魔法の威力を決めるには元々のランクも重要な要素であるがそれだけではない。込めるマナの量を増やすことや少しのアレンジで強化も可能。たとえば岩石の槍の穂先をより鋭くすることで簡単に騎士の身体を貫ける。
地面に縫い止められてなお騎士は動こうとする。だがここまで来てしまえば騎士はもはや脅威足り得ない。再度の氷の魔法で完全に動きを封じる。制限がかかるギリギリを見計りながらではあるが凍りつかせるには充分。
「……ちょっとオズ? 何か怒ってる?」
聞こえてきた少年の声。その声は先ほどのまでの恐怖に駆られた声とは別のもの。それはどこか怯えたような声音で、その理由は解っている。
自分の胸の内を振り返る。怒っているのは確かだ、ただその相手は『彼ら』ではない。
「いや、君達には怒ってないよ」
心の内を振り返りながらも魔法の行使はそのままに各属性魔法の実験を続ける。
――――――天から降る雷撃が騎士の足を打ち砕き。
――――――打ちだされ風の刃が騎士の腕を切り刻み。
――――――荒れ狂う炎の嵐が騎士の体を焼き焦がす。
あらゆる属性の魔法が騎士を襲いその体を蹂躙し。その魔法の嵐が止んだ時に残っていたのは、魔法の爪痕だけ。
一方的な蹂躙劇、端から見れば騎士に同情すら覚えるだろう。例えそれが先程まで自分を襲ってきた相手だとしてもだ。
やりすぎなのは分かっていた。俺の怒りを向けたい真の相手はここにはいない。ただ解かっていても止まれなかった。
「さすがにやりすぎじゃないかな?」
「…確かにな」
「自分で認めちゃうんだ?」
「自覚はあるさ」
だからどこか咎めるような少年の言葉に反論など思いつかない――――そうこれはただの八つ当たりに過ぎないのだ。
傍から見れば凄惨な光景であっただろうが、今回のことで呪いに関しての上限を知ることができた。中級までの魔法までの制限それで間違いないだろう。
しかし上級、神級までを極めていた身として中級までしか使えないという現状に思わずため息をついてしまいそうになる。どうにか呪いを解く方法を見つけなければならないだろう。
仕方がない、かつて俺にも中級までしか使えないという時期はあった。その当時に戻ったと思えば対応のしようはある。それにあの頃にはなかった経験という名のアドバンテージはあるのだどうにかはなる。現状で出せる結論はこんなとこだろう。
「ねぇ? アレって何かな?」
少年の声に彼の指差す方向を見てみればそこにはきらりと光る丸い物体があった。大きさは丁度少年の頭ほどもあるだろうか。水晶らしきもので出来た透明な玉が七色の光を放っている。
まるで宝玉のようなそれから感じる力は先ほど倒した騎士と同種のもの。落ちていたその場所も先ほど騎士を魔法で殲滅した正にその場所。恐らくは先ほどの騎士の動力の源だったと思われる。
「先ほどの騎士が落とした物のようだな。しかしあの魔法の中でも残ったか」
遠慮なしの魔法の乱舞、騎士の体は残らず消し炭に変わったと思っていたのだが唯一これだけは残ったようだ。輝きが失われていないことからもまだ力が残っているのは確実。何かしら使えるかもしれないと思い戦利品として持っていくことにする。
「あれ?持っていくの。 結構な大きさじゃない大丈夫」
疑問を投げかけてくる少年には一瞥を返すだけ。口で言うより見せた方が早い。異空間へとその宝玉を仕舞う。
「え、無くなった?」
「いや無くなったわけじゃない。収納しただけだ」
周りから見れば手品のように突然消えたようにしか見えなかっただろう。これは空間魔法の一種で異空間に収納スペースを創りだすものである。どこでも持ち出せることから利便性の高い魔法である。試に何度か出し入れもしてみせる。
「すごい!どうなってるのそれ!」
「これも魔法の一種だよ」
目を丸くして驚く少年への答えは一言で十分。原理などは同じ魔法使いでもなければ理解は出来ないだろう。
その後、周囲を確認してみるが他に危険は無いようだった、部屋の出口付近で休憩を取る。これだけの広い空間があれば問題なさそうだ。暖を取るために前と同じように火を起こす。
揺らめく火を眺めていると突然少年がカバンをがさごそとあさりだす。何事かと思ってみているといくつかのものが目の前へと取り出された。少年がカバンから出したのは銀製のお皿とカップそれにパンがひとつほど。そして最後にポットのような入れ物。
カップに入れ物から何かを注ぎそのひとつを俺の方へと差し出しててきたのでそれを覗いてみる。中に入っていたのは何かの液体。
「スープだよ。オズもお腹すいたんじゃない? パンもひとつしかないけど二人で分けよう」
少年の言葉を受けて自分も半日以上何も口にしていないことを思い出した。ただもとより空腹などには慣れていた。それを押さえる術もあるしまだまだ行動に支障はない。一瞬断ることも考えたがどう考えてもこれは少年の厚意、それを無下にするのは憚られた。
「すまんな、いただくとしよう」
「うんっどうぞ!」
恐る恐るそのスープに口を付ける。食にこだわりなどないが、何せ誰かに食事を貰うなど久方ぶり。昔のような毒殺の心配など無用なのは分かるがついつい身構えてしまう。
そして―――飲んだ瞬間驚いてしまう。
物凄く美味しい。それは今まで食べてきた中でも上位に位置する味であった。
「どう?おいしいでしょ。母さんが昼食にって持たせてくれたんだ。予備用の器もあって良かったよ」
「美味いな、驚くくらいに」
零れるのは本心からの言葉。それくらいの衝撃の美味しさだった。その感想を聞いて微笑みを浮かべる少年。だがすぐに寂しそうな顔に変わってしまう。母を思い出し恋しくなってしまったのだろうか。
「……無事帰れるのかな」
弱気なことを呟く少年をみていてとある思い付きが浮かんだ。それこそ俺の力をもってすればそんな難しいことではない。
「俺がいるんだ、帰れないわけがないだろう。君を無事返すと約束しよう、そうだな報酬は君の母親の手料理が良いな。相当美味しいんだろう?」
それを口にしながら右手を差し出す。対してその言葉に驚いた顔をした少年は徐々に笑顔に変わり。そしてゆっくり右手を手を握り返してきた。握手から始める新たな関係。
「そっか!頼りにしてるよオズ。僕の母さんの料理は世界一だよ楽しみにしていて」
こうして俺は少年と『約束』を交わすことになったのだった。
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