第6話 盗難事件も千春の大岡裁きで解決
平穏な旅館に事件が起きた。五十歳前後の夫婦が泊まった時のこと。夜の十一時過ぎ、仕事も一段落し板長と板前さんが帰って行った。そんな時に客室から仲居頭である芳江が呼ばれた。呼ばれた部屋に行って見ると財布が無くなったという。
「あんたがこの部屋の担当だろう。俺達が風呂から帰って来たら財布が消えたんだ。あんたが盗ったのか。それしか考えられん」
「そっそんな。お風呂に入る時は、貴重品は持って行くか受付に預ける事になっています。そうでないと私達はお客さんの部屋の掃除も布団も敷けなくなります」
「なんだと、客のせいにするつもり」
「しかしそれはお客さんの管理が……」
そんな事は知らず自分達も終りにしようとしたとき客室から怒鳴り声が聞こえて来た。更にガシャーンと激しい音が聞こえ女性の悲鳴が聞こえる。何事かと女将が問題の部屋に駆けつけると男が割れたビール瓶を持って暴れている。
「お客さんどうなさったのですか」と女将。
「あんたが女将か、あんたどんな教育しているんだ。この仲居が俺の財布を盗ったんだ」
「わっわたしそんな事をしていません」
「ふざけるなぁ警察を呼べ。突き出してやる」
「旦那さん落ち着いてそのビール瓶を下ろしてください。それからお話を伺いましょう」
「五月蠅い! お前もグルか。とんでもない旅館に来たもんだ」
帰りかけた千春が慌てて部屋に向かった。鬼の形相で男がビール瓶を持って仁王立ちしている。その側で芳江が震えていた。そこに千春が割って入った。
「女将さんどうなさったのですか」
その女将もビール瓶を持って怒鳴る客に冷静に対応出来ず困っている。
「なんだオメイは、もしかしてお前が犯人か」
「ハァ? なんの事ですか。盗ったとか犯人とか。こんな夜中に他のお客さんに迷惑です。理由は私が聞きますから。部屋から出て下さい」
「なに客に喧嘩を売ってんのか。とんでもないアマだぜ」
「お客さん。仲居が盗ったとか聞こえましたが証拠があって言っているのですか。ないなら旅館の信用にも関わる問題です。ハッキリさせましょう。いくらお客様とは言え人権に関わる問題です。盗人呼ばわりされた仲居にも立派な人権があります。いいですね。これだけ騒いでおいて財布が有りましたでは収まりませんよ。もし出て来たら名誉棄損、営業妨害及び著しく旅館の信用を失わせた損害賠償を請求しますから宜しいですね」
客は名誉棄損、営業妨害とか損害賠償と聞き急におとなしくなりビール瓶を置き椅子に座った。
「まぁ俺も頭に血が上って泥棒呼ばわりしたのは悪い、だがない物はないんだ」
「処で奥様はどうなさいました」
「あいつか風呂に言って居る。女ってっのは長いからなぁ」
「では奥さんがお財布持っていたとか考えられましたか?」
「なに? あいつそんな気遣いのいい女ではない」
タイミングが良いっていうか、其処に奥方が帰って来た。
「あぁいいお風呂だったわ……あら大勢集まって何かあったのですか」
すると旦那が慌てて妻に言った。
「お! お前まさか俺の財布を持って行ったのか」
「ええそうよ。だって誰も居ない部屋に貴重品置くのって、なんか嫌でしょう」
旦那は真っ青になった。もはや言い逃れは出来ない。大暴れし盗人呼ばわりしてごめんなさい、では許されない。最後の手段は土下座して謝るしかなかった。旦那が椅子から降りて土下座しようとしたら千春が止めた。
「お客さんお止め下さい。問題が解決して何よりです。私もタンカ切って御免なさい。ただお客様に冷静になって欲しかっただけなんです。もう今日の事は忘れましょう。ではお休みさない。では女将さん私達も失礼しましょうか」
女将はホっとした。客の剣幕に押され何も出来なかった。だが千春が割って入って、あっけなく事件は収まった。
「ああ驚いた、どうなるかと思ったわ。それにしても千春ちゃん大した度胸ね」
「いいえ父に鍛えられましたから」
すると芳江が膝から崩れて大きな溜め息をついた。
「怖かったぁ殺されるかと思った。しかし千春は凄いね。あのタンカの切り方。損害賠償とか言ったらお客さん急おとなくなるんだもの。しかも部屋を出ろって。お客さんに喧嘩売っているみたいだった」
「千春ちゃん何処でそんな度胸を付けたの。理詰めに追い込んで置いて大人しくさせた後、財布の行方が分かり青ざめたお客様を責めもせず、最後の閉め方も見事だったわ。謝る前にサッサッと引き上げる手際良さは見事よ」
千春の取った行動は今で言う神対応に等しい。客も冷や汗だけで済んだ。そんな事件 があった後、先輩仲居も千春を認めるようになった。そして急に優しくなった。殆どの客は問題もなく泊まって帰って行くが、それでも一年に二度ほど問題を起こし客が居る。
そんな時は決まって千春が対処する。毎度見事な大岡裁きだ。今では女将も先輩仲居も千春を頼もしい存在と認めている。当初は可愛い姪っこの頼みだから雇ったが歓迎している訳ではなかった。今で姪っ子の咲子に感謝して時おり電話を入れていた。
つづく
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