未来に連れし者
「さて、私も──」
と足を進めようとしたところで、フォース学園長がそこに残っていることに気づき、私は思わず足を止めた。
「フォース学園長? どうされたんですか?」
私が声をかけると、フォース学園長がただ暗い夜空を見上げたまま、「あぁ──」と力なく声を発した。
「……なんだか、不思議な気持ちなんだ。……僕達エルフは家族や仲間よりも世界の安寧を第一として考える種族。だからこの千年ほど、僕はあいつを……実の弟を滅ぼすことに抵抗なんてなかった。そのはずなのに──」
さらりと夜風がフォース学園長の髪を攫い、その髪の隙間からわずかに歪んだ深緑の瞳がのぞき見えた。
「はは……。思ったより僕は、人間に近づいてしまっていたようだ。こんな、もやもやした気持ちになるだなんて」
そんな風に苦笑いしたフォース学園長に、私はなんだかたまらなくなって、彼を背中から抱きしめた。
「ヒメ……?」
「……良いと思います。それで。……悲しい時は悲しいで。悔しい時は悔しいで。そこに人もエルフもないんです。フォース学園長の中には、確かに弟さんと生きた記憶があるんですもん。それを忘れたり、無理に押し込める必要なんてないです」
どんなに永い時を生きても。
どんなにたくさんの経験を積んでも。
与えられたぬくもりは、決して忘れられないものだ。
たとえ、一度きりのぬくもりだとしても──。
無意識に剣の柄に触れると、括り付けた養母から与えられた鈴がリリンと音を立てた。
「ん……。ありがとう、ヒメ。心優しい本来のあいつのことは、もうきっと覚えている者はいないだろうけれど……そうだね、僕が覚えていればいい。多分、まだあと数百年は生きるだろうからね。僕が出会った人たちの心と共に、まだまだ先の未来へ、僕が連れていくよ」
長寿種族エルフとしての思い。
ハーフエルフであるジゼル先生もそうだ。
自分の周りの大切な人達が、自分よりも先に老いて亡くなっていく。
それでも彼らは、その人たちの心ごと、未来を生きている。
たくさんの思いを抱えながら。
「……フォース学園長。私のことも、連れてってくださいね」
「ふふ。もちろん。でもその前に、君は今をしっかり生きて、幸せにならないといけないけれどね」
幸せに──。
ひどくおぼろげなその言葉。
闇落ちし、死んでいく運命にあった大切な人達の未来を変える。
それが私の目的だった。
今までずっと。
そのためだけに頑張ってきた。
たくさんの人の未来を変え、魔王も倒した今、それは叶って、私の目的は達成された。
大好きな皆が生きている今。
それが私の幸せなのか、そうでないのか。
今の私はそれがわからない。
幸せ、なはずなのに、言い切ることのできない不気味な不安定さを抱えているような気がするのだ。
「……はい。そうですね」
頼りない返事をした私を、フォース学園長がそっと抱きしめて、
「ん、いい子だね」と私の長い黒髪を撫でた。
まるで私のその感情に気づいているかのように。
まるで、私という存在を自身の記憶にとどめようとするかのように。
優しく、ただ私の頭を撫でる。
外の闇に薄明かりが混じるまで、私はかすんで聞こえる震える吐息を耳に寄せ続けた。
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