闇の慈愛

 身体が、重い。

 なのに自分が立っているのか座っているのか、はたまた横たわっているのか、その感覚がない。

 頼りない居心地に、私は思わず自分の腕を抱いた。


 リリン──。

 聞きなれた鈴の音が暗闇に響いた直後。


「ヒメ」


 いつか聞いた抑揚のない声が私を呼んだ。


「お母……さん……」

 私の育ての母が、そこにいた。


「ヒメ。なんでこんなこともできないの? セナはちゃんとできたのに」


 ごめんなさい。

 セナみたいにできなくてごめんなさい。


「ヒメ。また髪を解いて……。セナは二つに髪をくくるととっても喜んだのに」


 ごめんなさい。

 私、くくるのあんまりすきじゃなくて……ごめんなさい。


「ヒメ。あなたまた男の子とサッカーをしていたのね? 怪我したらどうするの? セナは女の子たちとよくおままごとをしていたわよ?」


 ごめんなさい。

 私、おままごとも好きだけど、サッカーも好きだから……ごめんなさい。


「何で貴女なの? セナがいないのに。何で私は、ヒメを引き取ってしまったの? セナは──セナはここに……私の中にずっといるのに……」


 ごめんなさい。

 せなじゃなくてごめんなさい。

 もっとちゃんとするから。

 だから──。


「私を──愛して──……」



 向けられた言葉が心を刺すごとに無くなっていた感覚が戻っていく。


 心がずん、と痛くて、もう聞いていたくなくて、思わず耳をふさいだ私の背に、誰かがぴったりと寄り添い、私の両肩をつかんだ。


「!? あなたは──っ、鬼神……様……」

 プラチナブロンドの長く艶やかな髪。

 凛とした切れ長の赤い瞳。

 黒と紫が入り混じった綺麗な日本風の衣。

 フォース学園長に見せてもらったあの映像と同じ人だ……。


「やっと会えた」

「っ……この声……やっぱりあなたが……!?」


 何度も私の中で「憎い」とつぶやいていた声。

 私を闇へいざなおうとしていたあの声は──鬼神様……。


「気づいていたのか、我が子孫よ。お前は私の力を特別色濃く受け継ぐ稀の者。お前の負の心が私の存在を確かにしたのだ」


「負の……心……?」

「あぁそうだ。愚かな聖女に父母を殺された時から、私はお前の中で意識を持った」


 エリーゼ……。

 あの日が?

 そんなまさか……。


「ふふ。そしてお前は異なる世界で愛を欲しながら愛に飢えて生きてきた。こちらへ戻ってきてからもお前は一人。いつもあの男のために生きた。ボロボロになっても、ただ愛する者のために。どれだけ力を振り絞っても、傷ついても、その思いは返らぬというのに」


「っ……!! そんなの……あなたには関係ない……!!」


 かぁっと体中が熱くなって、瞳に熱が集中する。

 そして目の前の赤い瞳に映る私の目が、黒から赤に変わって溶けた。


「そうね、でも……。だからこそ私はお前の中で大きくなったのよ。ねぇ、可愛い子。どうしてお前はそんなにもあの男を見続けるの? 傷つきながらもただ真っすぐ、どうしてそんなにあの男だけを思っていられるの?」


 本当に純粋にわからない。そんな様子でオニガミ様はその真っ暗闇の中で腰を下ろし、私を見上げた。


 その様子が、どこか答えを欲する子供のように思えて、私も彼女のすぐ隣へと腰を下ろし、膝を抱えた。


「……好きだからですよ」

「好き?」

「先生が大好きで、愛しているから。それ以外に理由が要ります?」


 私にとっては『愛』がただ一つの原動力だ。

 たとえ叶うことなんかなくても。

 好きな人の幸せが──私の幸せ。


「……きれいごとね」

「はい」

「やせ我慢だわ」

「えぇ」


 そう、きれいごとでやせ我慢。

 そんなこと、自分が一番わかってる。


「……でも、そう。……そんなだから、皆あなたを守りたくなってしまう」

「へ?」

 柔らかい声で、鬼神様は凪いだ笑顔を向けた。


「闇は、心地いいでしょう?」

「!!」

「もうここから出たくないと、そう思ったでしょう?」

「っ……」


 反論ができなかった。

 だって闇は、本当に心地が良かったのだから。

 固めて閉じ込めていた理性を開放して、単純に自分の感情のまま行動できるというのは、ただただ、心地良いものだ。


 だからこそ怖いとも思った。

 もう戻りたくないと駄々をこねる自分が顔を出しそうだったから。


「私は……お前を壊したいと思ったのではないよ。光の中にいてお前の心が崩れていくのならば、いっそ闇の中でお前を自由にしてやろうと……解放してやろうと思ったんだ」

「!!」

 全て、私のためだというの? この人は。

 でもなんで……。


「なぜ? あなたは私を消し去りたいんじゃなかったんですか? めちゃくちゃにして、破滅させようと──」

「どうして」

「え?」

「どうして腹を痛めて生んだ我が子の子孫を案じずにいられよう?」

「!?」

 視線はただ闇を見るのに、まるでそこには愛おしい者でもいるかのように穏やかで、私はただ声もなく息を呑んだ。


「憎らしい。……私は私を裏切った男が憎らしい。あの男をたぶらかし共謀し火をつけた女ども、私を鬼とならしめた奴らが、憎い──!! ……でも……。それでもあの子は……。あの地で、たった一人の私の光だった……」


 たった一つの……光……。


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