Re:桜の木の下で


「じゃ、また明日ね」

「はい、おやすみなさいクレア」

「おやすみ」


 クレアと共に展望室を後にして、明日開戦するとも思えないほどにいつも通りの挨拶を交わし、私たちはグローリアス学園一階のエントランスで別れ、それぞれの部屋へ戻る。


 明日はいよいよ戦争が始まる。

 ゲームのようにリプレイできない戦いだ。


 まるで心の安定を求めるかのように、私の足は聖域へと向かっていた。



 ──ぼんやりと発光する水晶に照らされた、幻想的な湖。

 そこに、先客がいた。


 黒いマントに、銀の髪。


「先生?」

「カンザキか」

 湖に向けていた先生の視線が私へと向く。

「明日の確認は終わったんですか?」

 先生はずっと騎士団で各隊の確認と指示を行っていたから、さぞお疲れだろうに、その疲れを顔に出すことはない。

 いつもと変わらない、眉間に皺を寄せた美しいご尊顔。


「あぁ、今終わった。あとは明日の朝に最終確認をして完了だ」

 そう言って先生はゆっくりと湖の畔の水晶へと腰を下ろした。

 やっぱり少し疲れているんだろうなぁ……。


「大丈夫、ですか?」

 私が尋ねると、先生はこちらに視線を向けることなく、

「子どもが大人の心配などしなくていい」と返す。


「むぅ……。私、大人です」

 可愛くない先生の返しに、私はぷくっと頬を膨らませてから先生の隣へと腰をおろし、不貞腐れたように吐き出した。


「……心配ぐらい、させてください。──明日は私は、レオンティウス様についていて、先生のおそばを離れるんですから」


 ここで先生が命を落とすことはないにしても、やっぱり心配だ。

 何せ、私の知っているストーリーとは少しずつ変わっているのだから。

「……そうか。……そう、だな」


「……」

「……」


 言葉無くした空間を、夜の静けさが支配する。

 聞こえるのはただ、湖のせせらぎだけ。

 私はふと、目の前の大木を見上げた。


 葉は落ち、しっかりとした大木が凛と立つ、桜の木──。


「また春には……先生と桜を見上げたいです」

 ついぽろりと、願望が口から出てくる。

「サクラ……。あぁ。また咲く頃、見に来ればいい。どうせこの先も、私は君の側にいるのだから」

「っ……」


 本当に?


 本当にそばに居てくれる?

 先生は、居なくなったりしない?


 心にもやがかかる。

 時々、最近になってよくこうなってしまう。

 妙にネガティブに陥ったり、不安になったり、心に黒い霧がかかって──。


 先生が生きる未来になったとしてもエリーゼと再開してもなお、彼は私と居てくれるのだろうか?

 婚約の話も出て居たのなら、エリーゼと……?

 そんな余計なことまで考えてしまう。


 もしそうなっても、私はこの国の王として、二人を見守ろうと決めているはずなのに。


 私はなんて──弱いんだろう……。



「……カンザキ」

 ふと呼ばれた名に、私が先生を見上げれば、すぐそこに先生の変わらぬ美しい顔が──。


「見なさい」

 そう言って先生は、枝だけとなった桜の木へと自身の右手を掲げると、一気にその魔力を桜に向けて放出させた──!!


「!?」

 手のひらから。

 指先から。

 シャラシャラと音をたてて飛び出し木に向かうのは、氷の粒──。


 その小さな粒子は気に留まり、その無骨な枝を飾り付けていく。

 一つに集まりながら形となっていくそれを見て、私の心がトクンと動いた。


「これは──」


 ──桜……。


 キラキラと輝く氷の粒で作られた桜の花が枝を飾り、月光に輝く満開の桜が浮かび上がる。


「すごい……綺麗……!!」


 アイスブルーの……桜……。


「今はこれで許せ」

 そう言った先生を見れば、目の前の桜と同じアイスブルーの双眸がふわりと緩められた。


 ぁ……。


“君の瞳の色でいっぱいだ”


 あの時の先生の言葉が蘇る。


「先生の瞳の色で──いっぱいです……!!」

「っ」

「ふぁ!?」


 あまりに美しい光景に目頭が熱くなるのを感じると、私はそのまま、先生に腕を引かれ、温もりに包まれた。


「せん……っ」

「生きて、帰るぞ。ここに。そうしたら君に、伝えたいことがある」


 耳に伝わるのは妙に早い先生の“生きる音”。


「先生、それ──死亡フラグです」


 そう言って冗談めかして笑うと、眉間に数本の皺が刻まれた。


 死なせない。

 先生のことは、私が守ります。


 だから──。


 だから今だけ、先生の胸に身を任せることを許してください──。

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