キスマークとファーストキス


 穏やかな空気が部屋に流れたのも束の間。

 先生の視線は私の顔から少し下の方へと移動すると、目敏めざとくそれを見つけた。


「……怪我か?」

「へ?」

 先生は自分の首筋に手を当てて「ここ、赤くなっている」と示した。

「っ!!」

 キスマークぅぅぅぅぅぅうう!!

 やばい。

 やばいぞ。

「だ、大丈夫です!! ただのキスマークなんで!!」


 ぁ……。


 口が滑った。


 嘘がつけない私のお口よぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!


 先生はそれを聞いて一瞬ぽかんとした顔をした後、

「キス……マーク? 口付けられたのか!?」

 と眉間に皺を寄せて私に詰め寄った。


「あ、いえ。ちょっとここにキスマークをつけられただけで……」

「キスマークとはなんだ? 口付けとは違うのか?」


 ……へ?


 キスマークを……知らない、とな?

 私ですらありとあらゆる漫画やゲームの知識として知っているって言うのに?

 25歳健康な男性である先生が?

 さすが天然純度100%シリル・クロスフォード……!!


「えっと……、キスマークっていうのは、口で触れて強く吸うとできるマークのことで……」

「やはり口づけではないか!! 何をそんなに落ち着いている!! 年頃の娘が……そんな……」


 パパンか!!

 ていうかなんで私が大人の男性にキスマークの方法をレクチャーしてるのよ。

 あぁ、まさかここまで先生がうぶだったとは……。

 やばい、ニヤける。


「大丈夫ですよ。口にはされていないんですから。大型犬に噛まれたようなものです」

 ニヤつく口元を手で隠しながら私が言うと、先生はキュッと口を引き結ぶ。


 そういえば先生って、私とのこと覚えていないのよね?

 じゃぁ、先生にとってのファーストキスって、他の誰かのものになってるってこと?

 ……む……。

 なんか嫌だ。

 そりゃ25歳健康な男子でしかもモテモテの先生なら、ロマンスの一つや二つあったんだろうけどさ。

 なんか……なんかちょっと嫌だ。


「何を百面相している?」

「!! あ、いえ、なんでも……」

 複雑な感情が顔に出ていたようで、先生はまた眉間に力を込めると「隠すな。思ったことは口にしなさい」と私を嗜めるように言った。


 うっ……。

 そう言われても……言いづらい。

 でもこの目。

 逃す気はないみたい。

 腹を括るしかないか……。


 私はすっかりぬるくなった残りのコーヒーを一気に飲み干すと、意を決して先生に視線を向けた。

「先生は……」

「私?」

「先生は、もうファーストキスって済ませてるんです……よね?」



「──────は?」


 あぁぁぁぁぁぁ言っちゃったぁぁぁぁぁ!!

 固まってる!! 先生がすごい顔して固まってる!!

 あぁこのレア顔見れただけでも私、言った甲斐があったかも……!!

 でもこの雰囲気収集がつかない〜〜〜〜!!


 頭を抱える私と固まったままの先生。

 しばらくそのまま凍りついていた先生は、思い切り眉間に皺を寄せてから、やがて深く息を吐いた。

「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……」

 ため息長っ!!

 そこまで呆れられた!?


「あ、あの、言いたくなければ良いですよ!?先生もてますし、ワンナイトラブの10や20や30や40や50……!!」

「多い!!」

 ぁ、そこまでじゃないの?


「……はぁ……。まったく……。変な想像せずとも、そう言ったことは一切ない」


 そうよね。

 50は行き過ぎかもしれないけど20、30あたりぐらいはあるわよね、うん、分かってた……って……ん?


 なぁーーーーーーーーいぃーーーーーー!?!?!?



「いやいやいやいや!! 私に気を遣わなくても大丈夫ですから!!」

「君に気を遣ったことなど、今まで一度もないが?」

 ですよねぇ〜……。


「……あの、本当に?」

「レイヴンと一緒にするな」

 いや、あれは極めて特殊な例……。

「そういうことは、好いた相手とすることだ」

「好いた……相手……?」

「あぁ」

 アイスブルーの真摯な瞳が真っ直ぐに私を見つめる。

 あれ? なんだか先生、すごく真剣。

 はっ!!

 待って。

 好いた相手としかしないのに奪っちゃったファーストキス……!!

 うあぁぁぁぁぁ!!

 私、ど、どう責任を取ればぁぁぁあ!?



「……君が色々分かっていないことは理解した」



 のしっ。

 え……、な、なんで先生、こっちに身を乗り出してくるの?

 近い!!

 近いよ先生!!

 ソファの隣で座っていた先生が、突然に私の方へとのしかかってくる。

 ゆっくりと伸ばされる手は私の首筋へ──……。


「……制服、乱れてる」

「そ、それはタスカさんが……!!」

「……また奴か……やはり葬っておくべきか……」


 また地雷踏んだ!?


「……口で触れて、強く吸う、だったか……」

「へ?」

 低く呟いた瞬間、先生はなんとタスカさんがキスマークをつけた場所へと顔を近づけて──!?


「ひゃ!? ちょ、ちょっと先生!?」

 先生の唇が首筋に到達し、同時に強く吸われる私の首筋。

「っ……」

 すぐにそこから顔を離した先生は、満足げに【それ】を見て口角をあげた。

「あぁ……、花の色が濃くなったな」

「っ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」

 何この色気!!

 この間から色気出しすぎでしょ先生!?

 色気のバーゲンセールなの!?


 キスマークの上書きされた首筋を手で押さえたまま、未だ混乱で何も言葉を発することのできない私の唇に、先生の細く長い指先が触れる。


「こっちは、好いた相手にとっておきなさい」

 普段容赦ない冷酷騎士団長の、ひどく優しい声。

 好き。


「私はこれから騎士団に戻り、レオンティウスやレイヴンと今後について話をしてくる。君はしっかりと温まってから寝ていなさい」

 先生はそう言うと、私の頭に再び大きな手を乗せてから部屋から出て行った。


「……好いた相手に、って……。手遅れです、先生」


 私のファーストキスは、すでに好いた相手に……。


 たとえあなたが覚えていなくても。


 私が、ずっと覚えてる。

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