姫君と歌の魔法



 目の前には大きく重厚そうな学園長室の扉。

 それを見上げて、私は一度深く息を吸ってからコンコン──軽く扉を叩く。


「どぉーぞぉー」

 フォース学園長の緩い声が入室の許可を出して、私は「失礼します」と言って扉を開く。


「やぁ、おかえり、ヒメ。久しぶりの休暇はゆっくりできたかな?」

 中央の執務机の椅子に座っているフォース学園長が、ゆっくりと私に視線を移してからたずねる。

「はい!! カナレア祭、とっても楽しかったです!!」

「ふふ、もっとゆっくりしてもよかったのに。シリルと」

 揶揄うように深緑の目を細めて言うフォース学園長。


「ねぇ、何かラブハプニングとかなかったの?」

「ラ、ラブ!?」

 何言ってんだこのショタ!!

 再び思い出される先生の感触に、私がすぐに首を振って思考を振り払う。

「な、ないですよ!! 何言ってんですか!?」

「ふふ、本当かなぁ? ま、楽しんだようでよかったよ。君も、シリルもね」

 クスクスと笑うフォース学園長。

 なんだか全てお見通し感が……。

 だけど先生をよこしてくれたのは紛れもなくこの人だ。

 感謝はせねば。


「フォース学園長、先生をコルト村にくるようにしてくださって、ありがとうございました」

 私が礼を言うと、フォース学園長はふふっ、と笑って言う。


「いいんだよ。君たち二人にはいつも世話になってるんだから、ほんの些細なプレゼントだよ。あぁ、そうだ、ヒメ、カナレア祭最終日の花のプレゼントは、もうやったのかい?」

「へ? いいえ……。なかなかタイミングがなくて。本当桜の木を見せてあげたかったんですけど……この世界にはないですし」

 

 眉を下げて残念そうに私が言うと、フォース学園長は「なら作っちゃえばいいじゃない」とあっけらかんと言い放った。


「へ?」

 作っちゃえば、いい?

「君ならできるはずだよ。なんてったって、全属性持ち《オールエレメンター》だからね。聖域を好きに使っていいから、シリルに見せたいなら見せておやり」


 確かに土魔法や光魔法、水魔法、風魔法を組み合わせて、私の記憶の中の桜を具現化させれば可能かもしれない。

 でも、聖域は確か王族にとっての大切な場所だったはず。

 いくら修行で間借りさせてもらっているとはいえ、勝手に草木をいじるのは気が引ける。


「あの、いいんですか? 王族の大切な聖域に」

「あっはははっ、あの場に大量の箱を不法投棄していた君が言うの?」

 楽しげに笑いながらフォース学園長が言う。

 うっ……。

 それを言われると立つ瀬がない。


「いいんだよ、他ならぬ君だから──」

 さっきまでの楽しげな笑いではなく、少しだけ憂いを帯びたような静かな微笑み。

「あ、ありがとうございます」

 戸惑いながらもお礼を言うと、私はふとフォース学園長の机の上に広げられた旗に目を移す。


「これ……。セイレの国旗?」


 白地に黒い菱形が上から乗せられ、その上に金色で翼が生えた人魚のようなシルエットが描かれたこの国の旗だ。


「あぁ、そうだよ」

「これは、セイレーン、でしょうか? なぜこの国は、セイレーンを国旗に?」

 旗に近づきそのシルエットを指でなぞりながら、私はフォース学園長にたずねた。

 すると彼は、少しだけ俯いて同じようにその旗に触れながらぽつりと言葉を返す。


「……王族が、セイレーンの血を引いていると言われているからだよ」


「セイレーンの血を?」

「うん。その理由は一部の人間しか知らないけれど……王家の女性のみ特別な力が受け継がれるんだ。──それが、歌で魔法を操る力──」

「歌で……魔法を?」


 私の魔法と同じ?

 あれは、私の特別な時にしか使わない特別な魔法。

 それが王族のもの……?

 何かの………。

 何かの間違い?


「それは本当に王族の女性にだけしか使えないんですか? 一般人には──」

「使えないよ。その血に組み込まれた唯一のものだから」

 深緑の瞳を細めて、フォース学園長は真剣な表情で言い切った。


「王族の始祖である鬼神様がね、歌で魔法を操っていたんだ」

「鬼神様はセイレーンなんですか?」

 ということは王族の人は皆下半身人魚で上半身は羽が生えて、頭に鬼のツノが生えているんだろうか。

 ……いや、ごちゃごちゃしすぎだ。


「ふふっ、違うよ。彼女はね、美しい赤い瞳を持った……、人の形をしたお方だよ。歌で魔法を操るから、セイレーンとして崇められているけれどね。だから、王族の子どもが赤い瞳をしていても不思議ではないんだ。現王の娘であるお姫様……【姫君プリンシア】のようにね」


 ドクン──


 【姫君プリンシア】?

 妙に耳に心地の良い【それ】に、私の鼓動は大きく波打つ。


「本来の目の色はまた違うんだけど、魔力の安定しない幼い頃は赤い目をされていたよ」


 遠くを見つめながら、懐かしそうに語るフォース学園長。


 ドクン──


 鼓動がもうひと跳ねする。


 歌で魔法を使うことができるのは────セイレ王国の王族のみ……。


 いや、違う。

 だって私は──……。

 あの世界の──……お父さんとお母さんの──……。


「魔力が安定しないうちは自衛もできないから、名前も性別も一部の人間にしか知らされることなく、彼女はただ【姫君プリンシア】を呼ばれていた」


 ドクン──ドクン──

 どんどん早くなる鼓動。


「あの……そのお姫様の、本当の色って?」

「あぁ──それは……」


 コンコン──


 ちょうどそのタイミングで会話を遮るノック音。


「どーぞー」

 再びフォース学園長が緩く返事をして、ゆっくりと扉が開く。

「失礼します」

 そう言って入ってきたのは──……黒づくめの愛しい人。


「やぁシリル。ご苦労様」

「いえ。騎士団の仕事の代理、ありがとうございました」

「ふふ、いいんだよ。少しはリフレッシュできた?」

「………………報告書です」


 フォース学園長の問いに答えることなく、先生は紙の束をフォース学園長の机の上に置いた。


「ありがとう。目を通しておくから、二人は聖域にでも行ってゆっくりしてなさい」

 そう言うとフォース学園長は、私にウインクを一つ落とした。


「聖域に?」

 訝しげに先生が言葉を返すけれど、目の前の狸ジジ……少年はニコニコと笑うだけ。


「……先生、行きましょうか」

 無言の圧力を感じた私は、先生の腕を引いて「失礼しましたー」と言ってから学園長室を後にした。

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