【Sideシリル】とある騎士団長兼教師の切望



 学園長室へ向かう長い廊下を一人歩く。

 カツカツという無機質な靴音と小鳥のさえずりというアンバランスな音だけが私の耳に響く。


 今日はグローリアス学園の入学式だ。


 5年前、私の前に突然姿を現した少女ヒメ・カンザキも15歳。

 今年入学となる。

 5年の間に、彼女の後見をしている我がクロスフォード公爵家にはたくさんの釣書が届き、婚約の打診があった。

 それは年々増えていき、一度断った家でも毎年送りつけてくる程しつこいものもある。


 美しい桜色の瞳に、長い艶やかな黒髪。

 いつも笑顔で、人の話もよく聞く。

 教養高く魔力も強い。


 加えて彼女は自分の持つ衛生・保健・教育などの知識をもとに、様々な病気・症状の治療を研究し、本にして出版している。

 彼女のおかげで、魔法が発達しているが故に魔法に頼りきりだったセイレの教育、医学・衛生は確実に進歩した。

 他にも孤児院の子供の自立活動、慈善活動、魔物退治など、彼女は様々な行動を起こした。

 

 そんな彼女を、どこの家も欲しがらないわけがなかった。


 彼女の意向により、すべて断っているが……。


 一度だけ、こんなに打診が来ているのに、なぜ断る?と聞いたことがある。

 すると、少しだけ彼女は眉を下げて困ったように微笑みながら

「私には、先生だけですから」と言った。


 それからはただ何も言わずに、当主として、彼女の保護者として、すべて断り続けている。


 彼女は5年間、毎日のように私に好きだのなんだのと言っては笑顔を向けてきた。

 そして隙あらば騎士達、最近では生徒たちにまでも、私について語り尽くすという変態活動を行っている。

 その変態的な言動によって隠れてしまってはいるが、普通にしていれば誰もが振り返るであろう愛らしさを兼ね備えているのは確かだ。


 それでも、私にはそれに応えてやることができない。


 私は一生【彼女への想い】と、そして【彼女への贖罪】に生きると決めたのだ。

 決めていたのに。


 ただの少女のはずなのに、私の心に無遠慮にも触れて、その決意を壊しにかかる。


 廊下の突き当たりに見覚えのある黒髪が揺れた。


 所在なさげに佇む小さな後ろ姿。

 横顔を覗き見れば大きなカーブを描いて口角が上がっているのがわかる。


 だがそれは、いつものとろけるような微笑みではなく、どこか機械的な、そう、張り付けたような笑顔。


 カンザキの小さな口がゆっくりと開く。


「わかってるもの。……慰めはいらないわ」



 静かで、ひどく冷たい声。



 彼女のこんな声は初めて聞いた。


 いや、時々、彼女はいつもの彼女とは違う雰囲気を醸し出す。

 それが本当の彼女なのかどうなのかは私には分からないが、あえて聞くことはしない。

 聞いたところでこの小娘は本心を話さないだろう。


 驚きを押し込め、表情を取り繕い、そんな声を聞いていないふりをして、私はその小さな後ろ姿に声をかける。


「カンザキ」


 すると彼女はびくりと肩を小さく揺らしてから私の方を振り返った。


「せん……せ?」


「話はもう済んだのか?」

 さも今来たばかりで何も聞かなかったように振る舞う私を、自分で内心滑稽に思いながらも尋ねる。


「え、えぇ。なんでも、森の住人達からクレームが来たらしくて」

「クレーム?」

「先生、私が最初にあの部屋に現れた時に散乱してた箱、覚えてます?」


 あの部屋に散乱していた箱。

 忘れるはずもない。

 あの異様な光景は。

 そして桜色の瞳と目が合った時の衝撃は。


 肯定の意を示すように無言で頷くと、彼女もそれを汲み取って話し出す。

「あの時の箱、気味が悪かったんで、ずっと聖域の隅っこの茂みに置いてたんですよ。そうしたら一年に一つずつのペースで増えていってたみたいで……」

 苦笑いしながら話す彼女に先程までの無機質な面影はひとつもない。


「それでクレーム、か」

「はい。でもその箱、私への誰かからのプレゼントだったみたいで。さっき一通り開け終わって、フォース学園長が全部私の部屋に送ってくださいました」


 誰かからのプレゼント。

 彼女が他の世界からこちらへ転移した時にはもうすでにあの部屋にあった。

 ということは……。


 5年前の会議でフォースが言っていた言葉を思い出す。


 彼女はやはり……こちらの世界の人間なのか?


 こちらの世界で彼女を知るものがあらかじめ用意していた、という荒唐無稽こうとうむけいな考えに思い至って、私は小さく首を振る。

 すると私の視界に彼女の抱えている黒く長細いものが入ってきた。


「それは?」

 私はその黒い物体から目を逸らすことなく彼女に尋ねる。

「あぁ、これもプレゼントです。15番に入っていました」

 そう言うと、ゆっくりとそれを黒い入れ物から抜き、私に見せる。


 長細い白銀の刃。


 これは剣、なのか?

 私が持っているものと形状は違うが、それは紛れもなく剣のようだ。


「私のいた世界で、昔の人が持っていた剣ですよ。日本刀っていうんです」

 そう言いながら彼女はさやにその白銀を戻す。


「大切なものを守るために振るえと。そうカードに書いてありました」

 日本刀なるものをぎゅっと胸に抱きしめるカンザキ。


 芯のこもった桜色の瞳は何を見据えているのか。

 相変わらずこの小娘の考えていることはわからない。

 もっと私を頼ってくれたならーー……。

 そこまで考えてまた私は小さく首を振る。


「それならば、こうしておくといい」

 私は自分の腰元から一本細い方のベルトを引き抜き、彼女のブラウスを少しだけ捲り上げ、腰周りに手を這わす。


「ひゃっ」

 突然の私の行動に声をあげるカンザキ。

「変な声をあげるな馬鹿者」

 

 いや、これはおそらく私が悪い。

 一言断るべきだった。

 仮にも、まがりなりにも、彼女は女性だった。


 それでもやってしまったものは後戻りはできない。

 私は彼女から漏れ出る声を聞かないふりをして続けた。


「できた。これに、その剣をつけておきなさい。いつでも抜けるように」


 彼女につけたそれは私の予備の剣帯ベルトだ。


 言葉を発しない彼女の様子に、やりすぎたか? と恐る恐る顔を見る。

 するとカンザキが大袈裟なくらいに嬉しそうに目を輝かせながら私に笑顔を向けていた。


「先生のお下がり……幸せです!! ありがとうございます!!」


 先ほどまでの顔はなんだったのか。

 もしかしたら幻だったのではないかと思うくらいの満面の笑顔。



 幸せに、笑っていてくれ。


 私は君の想いに何も返してはやれないが、君から表情がなくなると私は自分でもどうすればいいかわからないくらい情けない男になる。


 だから、君は笑っていればいい。

 そして、ただ幸せに生きろ。


 そうして私は、また自分の奥底の想いに蓋をする。

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