【SIDEシリル】とある騎士団長兼教師の再生〜ジオルド・クロスフォード〜

 その晩────


 シャワーを浴び、ナイトローブに着替え、自室で残っていた書類に目を落とす私の目の前に紅茶が差し出される。


「あぁ、すまない」

 書類からは目を離すことなく言うと

「旦那様、ヒメお嬢様のことですが……」

 とロビーの口から出た名前に反応し、思わず顔を上げてしまった。


「……あれが何か?」

「とても、聡いお嬢様でございますね」

 モノクル越しに穏やかな瞳がこちらを見る。

「……買い被りすぎだ。トラブルメーカーの間違いだろう」


 彼女には何かあるとは思うが、こちらが核心に迫ろうとするとすぐに戯けてするりと逃げられる。


 まるで意図的に、核心的な話をすることを避けているような……。

 普段の変態的な様子から、そこまで色々考えているのかは怪しいが。


 難問でも解いているような顔をして考え込む私を見て、ロビーは目尻の皺を深くした。


「旦那様。いえ、シリル様。あの方は、貴方やジオルド様に、良い影響をもたらしてくださる。そんな気が、爺にはしておりますよ」


「良い影響……」

「それでは、お仕事もほどほどに、おやすみなさいませ」

 年老いた家令はティーセットをサイドテーブルに並べてから一礼すると、静かに部屋を出て行った。


 あの小娘が良い影響を……?


 確かに、影響を受けていないと言えば嘘になる。


 感情的になることが増えた。

 良い意味でも、悪い意味でも。

 

 そう、あの夏の事件の時にも。


 彼女はあの日、自分に何があったのか、何をされたのかを語らない。


 聴取の際も「ちょっと雷にうたれましたが、私は大丈夫です」と言うのみで、どこをどう治療すれば良いのか判断しかねると医務のヒーラーを困らせ、結局見える傷のみ、塗り薬を塗りたくっただけだった。

 ちょっと、のレベルではないほどには裂傷が酷かったが。


 乗り込んだ時の状況を考えれば、どういう場面だったのかは想像に難くない。

 あと少し、自分が来るのが遅ければ……と思うと、全身を冷たいものが駆け抜ける。


 あの日、傷だらけ、血まみれの状態で、ベッドで男に押し倒されている彼女を見て、心の底からふつふつとマグマのようなものが湧き上がってくるのを感じた。


 本来なら生きて捕らえ、自白魔法を使って色々聞き出さねばならないにもかかわらず、思わず、男を殺すところだった。

 いや、今でも殺ってしまえばよかったと考えるほどには、溜飲が下がっていない。

だがそれが良い影響なのかはわからない。


 考えながら紅茶を一口飲むと、ノック音が思考を遮った。


「入れ」

 短く言うと、入ってきたのは黒髪の少女だった。


 黒のネグリジェ姿で少し寒そうに両腕を抱き締めながら立っている。


「せ、先生のパジャマ姿!! やっと拝めました!!」

 目を輝かせて感動した様子でこちらを見る。

 なんなんだこいつは。


「はぁ……女性がこんな夜更けに、そのような姿で男の部屋を訪ねるものではない」

 ため息を落とし、眉間に皺を寄せながら、椅子にかけていた自分の羽織を彼女の肩にかけてやる。


「え!? 意識してくれてるんですか!?」

 ベシッ!!!

 先ほどまで見ていた資料を遠慮なく彼女の頭にヒットさせる。


「一般論だ。レイヴンだったら危なかったぞ」

「いつも思いますけど、レイヴンの扱いって皆そんなですよね」

「普段の行いの問題だ」

 言いながら少女をソファに座るよう促し、サイドテーブルのティーセットに手をかける。


「で? こんな夜更けに何のようだ?」

 ソファにこじんまりと座る少女に、温かい紅茶を手渡すと「ありがとうございます」と小さく礼が帰ってくる。


「あの……少しだけ、お話ししたくて」

 何から話そうかと考えているのだろう。

 しばらく視線を彷徨わせてから、カンザキは再び口を開いた。


「先生、ジオルド君も、先生が修行を?」

「私にそんな素振り、一度でもあったか? 授業と騎士団演習がない時には君につきっきりになっている私に?」

 

 ただでさえハードなスケジュールをこなしているのだ。

 これ以上増えると過労死する。

 向かいのソファに足を組んで座りため息をつくと、彼女は確かに、と苦笑いした。


「彼には、次期当主として相応しい教育を、家庭教師をつけて学ばせている」

 

「家庭教師? モミ子みたいに、村の学校とかじゃないんですね」

 

「あぁ。集って学校へ行くのは、平民や爵位の低い貴族ぐらいだ。セキュリティの問題もあるからな。家で、諸々の作法やダンス、勉学、剣術・体術を叩き込まれる」

 

「うわぁ……先生が社畜気味なのって、そこから来てるんですね」

 考えていたよりもハードスケジュールだったのか、顔を顰めてカンザキが言う。


 幼い頃からこのぐらいになれていないと、とてもじゃないが今のような生活はできない。

 

「15歳で魔法が開花すれば学園で魔法を学ぶから、それまでにその他のものは完璧にしておく必要がある。ただでさえ覚えることが多い貴族だ。覚えるものが一気に集中すると、それこそダメになってしまう。君みたいに、10歳という若さで開花して、貴族が学ぶもの全てにプラスで魔法を習うなど、できないものの方が多い。私も、とても苦労した」


「先生も早かったんですか?」

 彼女が聞いて、私はこくりと頷いた。


「5つの時に」

「5つ!?」

「よかったのか悪かったのか、開花の時からすでに私の魔力は強すぎた。その強すぎる力に、魔力に特化した家庭教師ですら手が出せなかった」


 稀に魔力が制御できずに力に飲み込まれて廃人のようになってしまうものもいる。

 最初の授業の際に教えたそれに気づいたのか、不安げに彼女が私を見る。


「じゃぁ制御は……?」

「あぁ、結局、私に制御のやり方を教えてくれたのは、フォース学園長だ。あの人がいなければ、おそらく力に飲み込まれていた」

 私はそう言うと、もう一度カップに口をつける。


「フォース学園長が……」

 いつもふざけたようなことは言っているが、フォース学園長は私を導いてくれた師であり、恩人でもある。


「この屋敷には使用人はあの二人だけだから、彼も思うことがあるのだろうが……あいにく、私には子供との接し方がわからない。まして、父親の違う兄弟だ。……正直、距離感は測りかねている」


 つい、こんな小娘相手に弱音が溢れる。

 すると彼女は徐に立ち上がり、私の隣に来て座り直す。


「先生、こんな広い屋敷に、何でお二人しか使用人の方がいらっしゃらないんですか?」


「あぁ、昔はメイドも従僕も大勢いたが……煩わしくてな」

「煩わしい?」

「……この容姿は、女性に好かれやすいらしいから、幼い頃から何度も襲われかけた」

 嫌なことを思い出し、顔を歪める。


「夜、誰かの気配に気づき起きると、メイドが私を見下ろし組み敷いてるのは……恐怖でしかない」

 思い出すだけで身震いする。


「先生……まさか食べ」

「られてない!! ……そのようなことが幼い頃から大きくなるまで何度も続いて、私が当主になった時に全てやめさせた」


「それは……女性嫌いになるのも頷けますね。」

 勘弁してくれ、と項垂れる私に苦笑いで見つめるカンザキ。


「でも、お掃除とか大変じゃないですか?」

「あぁ、いや、ベルが一人いれば事足りる」

「へ?」

「ベルは、ホブゴブリンと人間のハーフだからな」

「ホブゴブリン?」

 

 彼女には聞き慣れない言葉だったのだろう。

 カンザキが首を傾げながら言葉を繰り返す。


「家事を専門とする妖精の一種で、寿命も人より長く、魔法一つで一瞬にして屋敷全ての掃除ができるし、風呂や食事の用意もできる」

「すごい……」


 ホブゴブリンにしか使えない特別なその家事魔法には随分助けられている。

 彼女がいなければ、使用人を大勢雇わなければならないままだろうからな。

 身の危険にさらされながら生活するのはごめんだ。


「学園長のようなエルフと同じく歳をとるという概念はないが、旦那であるロビーと一緒に歳を取り、一緒に死にたいからと、奴に合わせて姿を変えている」


 愛しい者の有限の時を受け入れて、共にあろうとするベル。

 彼女らは互いの心を互いのもののままに逝く。

 それは一種の呪いのようだ。


 そしてカンザキは姿勢を正して、真っ直ぐに私を見て口を開いた。


「あの……先生は、ジオルド君がお嫌いですか?」

 言いづらそうに、ためらいながらも私に問う。


「……嫌い、ではない。ただ、どう接すればいいかわからない。優しかった母がある日突然いなくなり、ある日突然死を聞かされ、ある日突然葬儀で彼に出会った。複雑な気持ちも、やはりある。だが、一人、母の棺の前で迷子の子どものように立ち尽くす彼を見て、何かしてやらねば、とも思った。だが……私には、求められる父親の役割も兄の役割も、どうすればいいかわからない」

 

 きっと幼い頃私は、母親のことが大好きだった。

 だからこそそんな母の裏切りを知ってのショックは大きすぎた。

 おそらく、そのことも私の女性嫌いを助長させているのだろうと思う。


 複雑な思いを抱きながらもジオルドを引き取り、育てようとしたのは、跡取り云々もあるが、義理とはいえ兄としての義弟を案ずる気持ちが確かにあった。


 でなければ、どう接すればいいかなんて、こんなに悩んでいない。

 ただ複雑な気持ちのままに、放置しておけばいいのだから。

 向き合わずにいることほど楽なものはない。


「……ねぇ、先生。愛に飢えた子どもが、どういう行動をとるか、知ってます?」

 月明かりが彼女を照らして、少し影のある顔が浮かび上がる。


「?」

 眉を顰めて首を傾げる私を見てから、カンザキは続ける。


「大きく分けて二つ。1つ、わざとわがままを言って捻くれたことをして困らせたり、叱ってもらうことで自分が相手にとって存在しているということを確かめるんです。そして2つ……。せめて嫌われないようにと、良い子でいるんです。いつも笑って、困らせないように、良い子でいれば、いつか自分を見てくれるって理想の世界を信じながら。ただ耐えて、嫌われないようにひっそりと息をする」


 おそらくジオルドは前者なのだろう、と私は納得する。


 父親は彼が生まれてすぐに家を出て、二人だけで生きてきた母親は早くに亡くなり、義父は自分をいないものとして扱い、私もあまり会話らしい会話をしてこなかった。


 話し相手は家庭教師と、使用人二人だけ。

 私が不甲斐ないばかりに。


「先生は、父親の役割なんて考えなくて良いと思います。どう足掻いても、ジオルド君のお父様は元使用人のクソ親父だけですし」

 普段丁寧な口調の彼女の口から乱暴な言葉が出てきたことに少しだけ驚く。



「先生は、父親でもなければ先生でもない。たった一人のお兄ちゃんです。話すことを嫌がるだろうから、ではなくて、少しずつでも良い。自分の気持ちを正直にぶつけてあげてください。喧嘩したって良いんですから。だって、兄弟喧嘩って、兄弟だけの特権なんですよ?」

 と言って、彼女はいたずらっぽく微笑んだ。


 桜色の瞳が自分の目を真っ直ぐ見つめて、それが心地良くて「……そう、だな」とだけ呟き、目を逸らす。


 そしてふと気になって、彼女を見て問う。


「君の親は……どうだった?」



 するとカンザキは、一度だけ視線を落としてから「優しい、二人でしたよ」と綺麗に笑った。

 それに私は、わずかに違和感を感じる。


「優しくて、休みの日には一緒にたくさん遊んでくれて。会話がない時にも、気まずいわけではない、とても呼吸のしやすい、安心できる場所……でしたよ」


「……帰りたいか?」



 今までこれを聞くことは避けていた。


 元の世界に帰るのは難しいだろうと、フォース学園長から聞かされていたから。

 ならばせめて、ここで暮らしていけるだけの知恵と力を授けようと。

 そう思ってきた。


 だが、ポロリと、口からこぼれ落ちてしまった。

 今日は口がよく回ることだと自分自身に呆れる。

 

 しばらく無言の時が流れて、

「……いいえ」とだけ、静かに、私と目を合わせることなく彼女は言った。



「私はここで、先生が幸せになるのを見届けたいので」

 そう言って再び私を見た彼女は、ふにゃりと、いつもの笑みを浮かべる。


「……そうか」

 私は困ったように少しだけ顔を緩め、短く応えた。

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