ジオルド・クロスフォードー勇者は挫けないー

「……飛び出したものの、ここはどこ?」

 私は迷っていた。


 一人、長い廊下をひたすら歩く。


 すると

「お嬢様」

 背後から少ししゃがれた穏やかな声が私を引き止めた。


「あ、ロビーさん! ちょうどよかったジオルド君どこにいるか知りませんか?」

「ジオルド様ですか? 私がご案内いたしましょう」

 そう言ってロビーさんはゆっくりと私の前を歩き始める。



「ヒメお嬢様。先ほどはジオルド様が申し訳ありませんでした」

 歩きながらロビーさんが静かに言葉を発した。


「悪い方ではないのです。ですが、まだお若く、人との接し方をよく知らないのです」

 ゆったりとした口調でジオルド君を擁護するロビーさんに、私はふにゃりと微笑む。


「大丈夫ですよ。先生の義弟さんですもの。根が悪い子なわけないです。先生もどちらかというと、不器用で人との接し方をよく知らない人ですし」

 先生を思い浮かべながら笑みを深くする私を見て、ロビーさんは細い目を一層目を細めた。

 

「……旦那様は、幸せ者でいらっしゃいますな。理解してくれる人間が側にいるというのは、それだけで力になる。ヒメ様、どうか旦那様と、そしてジオルド様を、お頼みいたします」

 ロビーさんは一つの大きな扉の前で深々と頭を下げてから、

「こちらがジオルド様のお部屋ございます。何かあれば、大声でお呼びくださいませ」

 とだけ言ってその場から去っていった。


 残された私は大きく息を吸ってから

 コンコン

 と軽く扉を叩く。


「ロビーか? 入れ」

 どうやらロビーさんと勘違いしているようだ。


 お言葉に甘えて、と部屋に入ると、私を見るなり嫌そうに顔を歪めるジオルド君が目にうつった。


「なんでお前が」

 普段彼の部屋を訪ねる人物は限られているからだろう、予想外の来客に頭が追いついていないようだ。


「ヒメ・カンザキです。これから新学期までの間、こちらでご厄介になります。よろしくお願いします」

 私が笑顔で自己紹介をする。


「お前、兄上の何なんだ?」

「恋人です!」

 聞かれて間髪入れずにそう言うと、残念な子でも見るような目で見られた。

 解せぬ。


「馬鹿なのか? お前みたいなガキ、兄上には見合わない。なんの取り柄もなさそうな、大して美しくもない子どもなんて。兄上にはもっと、慎ましやかで美しい人が似合う」


 ズキン……


 慎ましやかで美しい……

 そう聞いてすぐにエリーゼを思い浮かべ、私の心が軋む。


「いいんです!! 私、先生のそばにいるだけでいいので!」

「ストーカーか! 出ていけ。僕は忙しいんだ」


 バタン!!

 ……あっという間に私は部屋から追い出されてしまった。


 ぽかんと立ち尽くす私。


 そこへ、ぽん、と背後から肩に手がかかる。

 

「レイヴン……」

「ここは教育のスペシャリストである教師に任せとけって」

 レイヴンがウインクして、閉じられた扉を再びあける。


 珍しく頼もしい。


「いきましょ」

 レオンティウス様が私の手を取り、再び扉の向こうへ誘導する。


「まだ何か用……って、今度は別の奴か。あなたのことは存じておりますよ、レイヴン・シード次期公爵」

 面倒くさそうにも挨拶の礼をとるジオルド君。


「ジオルド、ツンツンしててもお前も楽しくないだろう。子どもは子どもらしく、青い空の下で駆け回って遊ぶのが一番だぜ? ヒメみたいにな。そうやって遊びながら、いろんなことを経験して、大人になっていくんだ」


「私そんな青い空の下で駆け回ってませんが……」

 むしろ聖域で汗に塗れて修行の毎日だ。

 青春とはなんぞ。



「ふん。兄上に足元も及ばない負け犬に、子どもだとか言われたくないな。僕はあなたとは違うんだ。強くなって、兄上の跡をつぐ者なんだからな」

 爽やかに語るレイヴンを鼻で笑い、腕を組んで尊大な態度を示すジオルド君。


「んなっ!!」

 食ってかかろうとするレイヴンに、ジオルド君がトドメを刺した。

「出ていけ、駄犬」


「そこまでだジオルド」

「兄上……」

「シリル」

 気づけば扉を開けてすぐの私の背後に、先生が無表情のまま立っていた。


「確かにレイヴンは駄犬だが、力は本物だ。それはこの男の生まれ持った素質だけではなく、弛まぬ努力の上で成り立っている。でなければ、魔術師長になどなれない」


「シリル……」

 目をキラキラさせ感動に震えながら先生を見るレイヴンの尻にブンブンと大きく揺れる尻尾が見える気がする。


「ごめんなさい……兄上」

 

「わかったならいい」

 しおらしく頭を下げるジオルド君に背をむけ、先生、レオンティウス様、まだ不服そうにしているレイヴンが部屋を後にし、私もそれを追う。


 扉を閉める際、ちらりと背後のジオルド君を見て、そして気付いた。


 俯く彼の口角が、緩くカーブを描き上向いていることに……


 

 ────



「なんだあのクソガキ!」

 サロンに戻ってからもまだレイヴンは荒れていた。


「レイヴンも相当なクソガキだったけど、あんなひねくれてはなかったものね。シリル、あんたの弟にしては随分生意気な弟ね」

 レオンティウス様が腕を組み、ため息をつく。


「いつもではないのですけれどねぇ……」

 紅茶を淹れながらベルさんが困ったように眉を下げる。

 

「苦労をかける。ロビー、ベル」

 先生が言うと、

「いいえ。ジオルドぼっちゃまを見守りお育てすることは、私たちの喜びでもありますから」

 ロビーが穏やかに目尻を下げた。


「……」

「どうした? カンザキ」


 先ほどからずっと俯いたまま黙り込んでいる私を、先生が訝しげに覗き込む。


 無駄に整った顔が突然目の前に現れ、思考が一瞬停止する。

「ひぁっ!! あ……いえ、なんでも、ないですよ」


 フル稼働する鼓動をどうにか鎮め、笑ってみせる。

 どうにも心臓に悪い顔だ。

 いや、好きなんだけども。


 私は先ほどまで考えていたもの全てを、無理矢理包み込むように自分の中に押し込めて力強く立ち上がると

「先生、私、ここにいる間になんとしてでもジオルド君と打ち解けてみせます!」

 と宣言した。


「めげないわねぇ」

「お前すげぇな。さすが勇者」

 レオンティウス様とレイヴンがパチパチと拍手を送る。


「やめておけ。ジオルドもあまり構って欲しくはないのだろうし、君もわざわざ不快な思いはしたくあるまい」

「いいえ! やはり未来の義姉として、義弟とは仲良くならねば! です!」

「誰が未来の義姉だ」


「まぁ、私たちは今日はこれでお暇するわね」

 私の髪をさらりとひと撫でして、レオンティウス様が立ち上がる。


「男と二人は危険だから泊まっていく気ではなかったのか?」

「あら、何かする気なの?」

 ニマニマと笑いながらレオンティウス様がからかう。


「したら犯罪だ馬鹿者」

「ふふふ。そうね。二人っきりではなさそうだし、私も仕事があるから、今日は帰ることにするわ。また来るわね。あぁ、ヒメ、シリルのことでも、ジオルドのことでも、万が一何かあったら、いつでも連絡してちょうだいね。一発やってあげるから」

 レオンティウス様がイタズラっぽく笑って拳を握る。


「俺も帰るかな。あいつの顔見たくないし。ヒメ、男は狼なんだからな! 気をつけろよ!」

 レイヴンも私の頭をひと撫でしてから、少し屈んで目を合わせて真剣に言う。

「はいっ! お二人とも、今日はありがとうございました」


「お前たち……」

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