推しは堅物教師兼氷の騎士団長様です
落ち着け私。ちょっと整理しよう。
私の名は神崎ヒメ。
保育士資格を取るために日夜勉学に励む20歳の、それはもう普通の、ごく普通の真面目な学生だ。
ごく普通の、学生だったはず、だ。
そして私が今いるここ。
俄には信じ難いけれど、目の前で私を絶対零度の瞳で睨みつけているお方はまごうことなき私の推し。
乙女ゲーム【マーメイドプリンセス】──通称マメプリの非攻略キャラ様だ。
私の人生をかけて推し活に励んでいる推しを見間違えるはずがない。
だとすれば、私は【マメプリ】の世界に異世界転移してしまったってこと!?
そんなまさか……。
よりにもよってこの、救いようのなほどの鬱系乙女ゲームに……。
──【マーメイドプリンセス】。
全年齢向けの乙女ゲームだ。
平和で緑豊かで美しい国セイレ王国。
そこへ、数年前にせ前聖女によって封印されたはずの魔王がよみがえる。
ヒロインは攻略キャラと愛を深め、聖なる力を覚醒させ、魔王を倒し世界を平和に導くという物語だ。
が、そんなこのゲーム。
人々の心が闇に侵され、闇が広がることによって魔王が復活するという設定だけあって、乙女ゲームにもかかわらず鬱展開が多い。
ゲーム開始前の大前提設定として、ヒロインである聖女クレアは幼い頃に盗賊に捕まり、その時のショックと恐怖で声を失ってしまっているのだ。
そのことからこの物語は【マーメイドプリンセス】というのだろうけれど、もうその設定の時点でこっちが鬱になるわ!!
そして肝心の攻略対象キャラは破滅フラグだらけ……。
優秀な幼馴染に劣等感を抱き続けていた魔術学校教師であるメインヒーローは、最愛の妹の死をきっかけに闇に飲まれて死んだり。
亡くなった前聖女の双子の兄である図書室司書は、ヒロインが力を目覚めさせたと同時に闇落ちして魔王と化したり。
ヒロインを幼い頃に誘拐した盗賊の残党に父母を殺された同級生は、登場時から既に闇堕ちしてたり。
副騎士団長は戦争でヒロインをかばって死んだり。
ヒロインの力を覚醒させるために学園長が命を失ったり……。
……乙女ゲームとはなんぞ。
だけどそんな鬱ゲームにもかかわらず、謎の中毒性で一部の乙女達に人気を博していた。
私もその貴重な乙女の一人だ。
そして先ほどから私に剣を向けるこの超美形の男性。
この物語一不幸な男──シリル・クロスフォード先生だ。
サラサラの銀髪にアイスブルーの切れ長の瞳。
女嫌い、人間嫌いの堅物仕事人間な彼。
そんな気難しい彼にも、一人だけ心惹かれる女性がいた。
──前聖女であるエリーゼだ。
先生の幼なじみである彼女は、その力の強さゆえに周囲から畏怖されてきた彼にとっては唯一の安らぎだった。
穏やかで優しく聡明な彼女は、ただ1人、彼が心を許した人間だったのだ。
だが彼女は、16歳という若さで死んだ。
魔王が復活したのだ。
エリーゼは魔王を自分の身体へと取り込み、力を押さえつけ、クロスフォード先生に懇願した。
『お願い、その剣で私を貫いて!! 魔王の力が弱った隙に、私が封印する!!』
──結論を言えば、彼も、そして彼女もやり遂げた。
先生はエリーゼの身体を魔王ごと自らの刃で貫き縫い止め、エリーゼは命をかけて、魔王を先生の剣に封印したのだ。
大切な女性を守れなかった先生は自分を責めた。
そして彼女の血に濡れた剣を取り自分の喉元に添えた。
彼女の元へ行くために──。
それを止めたのが、2人にとっての恩師であり、このグローリアス学園の学園長、フォース学園長だ。
『魔王は封印されたが消滅したわけじゃない。闇がふたたび広がる時、魔王は甦る。もしもその時が来たら、君が次の聖女の助けになるんだ。だから彼女の好きだったこの学園を守りながら、時を待つんだ。生きている事には全て意味があるものだ。だから、簡単に死ぬんじゃない』──と。
それから彼は、最年少騎士団長として国や学園を守りながら、生徒達を厳しく導いてきた。
そして時は流れ、出会うのだ。
────
最後はヒロイン達と共に魔王と対峙し、かつてエリーゼがしたように自分の身体に魔王を取り込み、自分の剣をその胸に突き立て縫い止める。
その隙に、ヒロインが聖なる力で魔王を消滅させるのだ。
死にゆく彼はただ一点を見つめ、氷が溶け水へと変わるようにそのアイスブルーの瞳から一筋の涙を流し、呟く──。
『あぁ……エリーゼ……ようやく……』
────もう、涙腺が大崩壊だった。
気づいたら私は、堅物で女嫌い・人嫌いで、冷たいように見えて誰より愛情深い彼に惹かれていた。
こんなにも誰かを一途に想っている、暖かい愛があるんだ……って。
生かすルートはないのか?
どうにか攻略できないものか?
と何度も何度も繰り返しこの鬱ゲームを神経すり減らしながらプレイしてみたけど、ダメだった。
無駄だと知った時には、私は絶望して一週間部屋に篭って泣き続けた。
いやほんと、なんで先生が攻略キャラじゃないんだ。
先生にだって幸せになる権利はあるでしょうに。解せぬ。
「聞いているのか?」
「はっ……!!」
底冷えのするほど冷たい美声で声をかけられ我に帰った私は、そんな私の推し、愛しのクロスフォード先生が今、目の前で私を見つめて(睨んで)いるという現実に、私の中の何かのメーターが、勢いよく振り切れた。
「く……くく、クロスフォード先生!! え、まって本物!? うそ!? やだ!! 素敵すぎる!! ほ、本物の、先生の……先生の眉間の皺ぁぁぁあ!! あ……あぁぁ……ありがとうございますぅぅぅうっっ!!」
目をキラキラと輝かせながら手を合わせて拝み倒す私。
あぁ、先生の眉間の皺が更に深く刻まれてる。
素敵……!!
まさか間近でこんな美しいご尊顔を拝見することができる日が来ようとは……!!
「私に幼女の知り合いはいないし、ここは15歳からの学園だ。生徒ではなかろう。そしてこの部屋は誰にも開けられないはず。おい不審者。君は何だ?」
「あのクロスフォード先生が私の目の前に……もう死んでもいい……」
広がる殺気も、もはや心地いいわ!!
「ほう……ならばその願い、叶えてやろう」
突きつけた剣に左手を添える先生。
目が!! 目が本気ですよ先生!!
殺られる……!! と死を覚悟しぎゅっと目を瞑ったその時──
「おやおや、力が溢れているから何事かと来てみれば……。シリル、君、女性嫌いかと思えば、幼女趣味だったの?」
緊迫感とは無縁の、ゆったりとした涼やかな声が部屋に響いた。
ふと視線を先生の背後に移すと、緑色の短い髪に、それよりも濃い穏やかな深緑の瞳を瞳を持つ、10歳ほどの少年が微笑んでいた。
「学園長……。馬鹿を言わないでください。これは不審者です」
「あはは、冗談だよ。とりあえず剣を下ろしなさい、シリル。それと君は……」
「ヒメです。フォース学園長」
「あぁ、やっぱりそうか。……ヒメ。……おかえり」
新緑の瞳が細められるとともに、まるで大切なものの名を呼ぶかのように私の名が紡がれた。
“おかえり”
何故だかスッと私の中へと入ってきたその言葉に、私は自分でも少し驚いてから、ふにゃりと微笑み、「ただいまっ!!」と返した。
「学園長、あなたの知人でしたか。しかし何故ここで……よりにもよってこの場所で眠って?」
「え? 私フォース学園長に会ったの初めてですよ?」
私がキョトンとしてそう言うと、先生が険しい顔ですごい勢いで私を見た。
あぁ、戸惑う先生の表情も美しい……!! 好き……!!
今の顔、スクショ希望……。
「はじ、めて……? だが今、フォース学園長はおかえりと……!! 君はそれに対してただいまと言って──!!」
「シリル、細かい事気にしてちゃダメだよ? そんなだから眉間の皺薄れないんだよ~。少しは若者のノリを覚えようね? シ・リ・ル」
面白そうにププッと笑うフォース学園長に、先生の口角がヒクヒクと震える。
わぁ……、あの絶対零度の眼差しを持つクロスフォード先生で遊んでる……この人。
「さてヒメ。ここじゃ何だし、学園長室で話そうか。シリルもおいで」
そう言って私達に背を向けて歩き出すフォース学園長。
機嫌良さげに鼻歌を歌ってる。
「はーい! 行きましょ、先生」
私はにこやかに先生の漆黒のマントを引っ張り先へ促し歩き出す。
引っ張られながら先生が何か言っているが聞こえちゃいない。
フォース学園長がなぜ私の名前を知っている様子なのか、なぜおかえりなのか、今私は夢を見ているのかどうなのか。
私にだってわからないことは山ほどある。
だけど、このままグダグダ考えてても仕方がないんだから、まずは郷に入っては郷に従え。
ついて行くしか選択肢はない。
部屋から出てふと窓の外を見ると、深い闇色が空を染めていた。
……憧れの先生のマント、触っちゃった。
しばらくこの手は洗いたくないな……。
──なんてことを考えていたなどとは、言葉に出さないでおこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます