推しの私室の続き部屋に異世界転移とか最高か。


「さて、と。じゃあまぁ、一応自己紹介からお願いできる?」


 壁一面の本棚に収められた古びた本が、所々にかけてある燭台の灯りにぼんやりと照らされ揺れている。

 元の世界では見たことのないような、上から下までぎっちりと本しかない部屋に圧倒されながら、私はこの非現実の世界に目を瞬かせ胸を躍らせた。

 この空間……すごく良い……!!


 部屋の中央にある二人掛けソファに腰をかけたフォース学園長の深緑の瞳が私を見つめる。

 なんだろう、この見透かされてるような感じ。  

 全てを知られているような、不思議な感覚。 


 私は自分の背後に立つ先生をちらりと横目で伺いつつも、大きく息を吸い込んで口を開いた。

「神崎ヒメ──ヒメ・カンザキといいます!! 日本の大学生で、趣味はクロスフォード先生の推し活── あ、素晴らしさを広める布教活動をしています!! 歳はお酒も飲める20歳の大人です!!」


 「……」

 「……」


 いやいや、事実だよ!?

 その可哀想な子を見るような目はやめてぇぇええ!!

 本当に20歳なんだから仕方ないじゃないですかぁぁ!!


「推し活、って言うのはよくわからないけど、なんだかとっても愛されてるみたいだねぇシリル。こんな可愛い子に好かれるなんて、羨ましいなぁ」

「えへへ。ですって、先生!!」

 

 バシンッ──「あいたっ!」

 背後から何処からともなく教科書らしきノートを取り出して目の前の私の後頭部を無言で容赦なく叩く先生。


 うぅ、痛い。

 でも幸せ。

 憧れの、先生必殺教科書ハリセン……!!


「くだらん。で、その自称二十歳のカンザキよ。何故あの部屋で寝ていた? あそこは私の私室の続き部屋になっているにもかかわらず、私ですら開けることのできない開かずの間だ。しかも、私は今朝からずっと部屋で書類整理をしていた。誰かが入ってきたなら気づくはず。君はいつからあそこにいた?」

 鋭いアイスブルーの瞳を細めながらまるで不審者でも見るような目で私を見下ろす先生に、私はぷぅっと口を膨らませる。


「むぅ……。私も知りませんよ。いつも通り学校に行って、家でご飯食べてお風呂入って寝て……、気づいたらこんな事に……」

 

 本当にいつも通りに過ごしていたのだ。

 ぼっちで学校に行って。

ぼっちで授業受けて。

 ぼっちでご飯食べて。

 お手製の先生のグッズを飾りつけた祭壇に「おやすみなさい」を言って眠って。


さっき叩かれた後頭部がまだジンジンする。──ということは夢ではなさそう。


 これがあの、ラノベやアニメ、ゲームで有名な異世界転移ってやつ?

 愛しの先生のところに、しかも私室の続き部屋に異世界転移とか……最高か。

 夢ならこのまま醒めないでほしい。切実に。


「っ……」

背後で息を呑む声が聞こえて振り返れば、顔を引き攣らせる先生の姿が目に映る。

 「心の中を漏れ出させるな変態」

あ。声に出てたらしい。


「うんうん、色々想定外だけど、ヒメが嬉しそうで何より。で、その異世界転移とやらだけど、帰る方法とかはわかるの?」

 ニコニコと笑顔を向けながら尋ねるフォース学園長に、私は「全然です」と肩をすくめる。

 そもそも異世界転移って、帰れるものなの?


「だいたい、何でここにいるかもわからないですし」

「転移魔法の一種か……」

「私がいた世界では魔法なんて無かったんですけどねぇ……」

 私がそう言えば、先生もフォース学園長も驚いたように一様に目を見開いて私を凝視した。

 え、私そんな変なこと言った?

 

「魔法のない世界……?」

「ということは魔道具もないんだよね? 物凄く不便な世界だね」

 こんなに若いのに……苦労したんだね、と生温かい視線が送られる。


「いや普通に科学の力に頼って生きてきたんで、問題は無かったですよ」

 特別不便に感じたことはないし、むしろ科学が発達してたおかげでこのゲームに出会えたんだから、科学万歳よ!!


「じゃぁヒメ、何で君は、僕やシリルを知っていたの? 僕たち、自己紹介してなかったよね? シリルは確かに僕を“学園長”と言ったけど、君は迷いなくすぐにフォース学園長って、名前を呼んだ。僕は基本この姿で生徒の前に姿を現さないから、学園の学園長がこんな見た目お子様だなんて知ってる人間は限られてるんだよね」


 フォース学園長の穏やかな瞳が、私をまっすぐに射抜く。

 彼はエルフ族の大賢者だ。

 子供の姿だけど、実は2000歳を裕に超えている。


 あぁ、迂闊だった。

 

 彼はゲームではこの姿で何度もヒロインの前に姿を現し、助言をくれる攻略対象者だ。

 でも、よく考えたら、彼がこの姿で声をかけてくるのは必ずヒロインが一人の時。

 学校の集会などでは、30代くらいの大人の姿をしていた。


 よってヒロインでもなければ生徒でもない私が、フォース学園長のこの姿を知るはずがないんだ──。



 ちなみに彼、攻略対象者でありながら、攻略中であろうがなかろうが死ぬのよね。

 本来20歳で覚醒するはずのヒロインの聖女の力を、戦争終結のため、自分の命の力と引き換えに覚醒させるのだ。


 フォースENDでは、彼の命と引き換えに覚醒させた聖女の力で魔王を倒す際、

「僕の弟を解放してくれてありがとう」

 という彼の声とともに彼の記憶を見る事になり、魔王はもとは彼の弟だったと知る。

 ある意味謎解きENDだけど……うん、やっぱり解せぬ。


 もう一度言おう。

 攻略キャラとは……乙女ゲームとは何ぞ……。


「それは……」

 ここは乙女ゲームの世界で、めちゃくちゃやりこんだ大好きな物語ですよー、とは、口が裂けても言えない。

 とはいえ、この穏やかだけど何かを見通しているかのような瞳に、多分嘘は通用しない。

 だから無難に

「この世界について、ある程度のことが載っている物語がありまして。それで知っているんです」

 と、あたかも予言の書みたいなのありますー、と匂わせるという結論に至った。


 完全に嘘、というわけではない。

 うん、そう。

 嘘、ではないよ?


 フォース学園長は冷や汗をダラダラと流す私をしばらく無言で見てから、やがて小さくうなづいた。


「なるほど……、君の世界とこちらの世界、どこかでリンクしている、ということか……。あるいは……。と、まぁここで色々考えても仕方がないか」


 ひとまずは納得したかのような口ぶりに思わず、ふぅ、と安堵の息を吐く。

 そんな私を、再び深緑の双眸そうぼうがとらえる。


「じゃぁヒメ、君はいったい、どこからどこまでを知っているのかな?」


 笑顔が怖い!!

 こんなショタ嫌だよ、お姉さん!!

 いや、今は私も似たような見た目か……。


「え、えっと、いろいろ? と、とりあえず、今はいつなんでしょう? 先生、今お歳は……?」

 背後の先生に視線を移すと「……20だ」と抑揚のない声で彼が答えた。


「20歳!? わ……私の知らない先生が……今ここに……!! 幸せすぎる……異世界転移……万歳……!!」

 

 ゲームでは見られなかった先生の若かりし頃!!

 そういえば心なしか眉間の皺も少ない気がする!!

 ほんと、心なしか、だけど!!

 5年も若い先生を見ることができるなんて、あぁ、なんでここにスマホがないのぉぉぉ!?



「学園長、自分の世界から帰ってきません」

「あはは、そのようだね。ヒメは面白いなぁ。ん~、色々気にはなるけど、今は時ではない、か。とりあえず、さすがにこんな小さな子を放り出すわけにはいかないし、まだまだ確認したいこともあるし……。うん。──シリル

「却下です」

「まだ何も言ってないよ?」

「どうせ私に丸投げする気でしょうに」


 心底嫌そうに先生が言うと、フォース学園長はニッコリと微笑む。


「うんうん、シリルは察しが良いなぁ。じゃぁ学園長命令だ。ヒメをシリルの部屋で飼って──あ~……生活させてあげるように」

その言葉に、脳内トリップしていた私は「本当ですか!?」と喜びの声をあげた。

 何か物騒な言葉も聞こえた気がしたけどこの際気にしない。


「何故私が」

「君のこと大好きみたいだし、君の私室の続き部屋に転移してきたんだから、面倒見てよ。ヒメ、君はおそらく、もうあちらの世界には戻ることはできない。異世界転移で帰ることができたという話は聞かないしね」

「!!」


戻ることが、できない。

その宣告はきっと家族がいるような普通の子にとっては死の宣告のように重いものだっただろう。

だけど私には、あの世界にあまり未練もない。

私は、いらない子だから──。

不思議と不安はないし、悲しいとも思わなかった。


「驚いたことにすでに魔力も開花してるみたいだし、ひとまずここで魔法の勉強でもしてみたらどうかな?」

 殺気立つ先生をよそにフォース学園長が言った言葉に、私は飛び上がる。


「へ!? 私に魔力が!?」

「うん、波打つ力を感じるよ」

 それって、私にも魔法が使えるようになるってこと!?

 私はくるりと先生に向き直ると、勢いよく頭を下げた。


「先生、よろしくお願いします!!」

 先生はそんな私に小さく舌打ちをしてから「ついてこい」と言葉を投げ、背を向ける。

 あぁ、そんな不機嫌そうな顔もまたイイ……!!

 幸せに浸りながら、急いで先生についていく私。


「あ、シリル、まだ手出しちゃダメだよ~。10歳は流石に犯罪だからね~」

「誰が出すか!!」 


 バタンッ!!


 私が部屋から出たと同時に、先生によって勢いよく扉が閉められた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る