私の勲章

 蒸し暑い夜に、剣を振る影が二つ。


「重心を保て!! そのような構えではすぐに抜かれるぞ!!」


 容赦のない檄がとび、先生の重い剣が打ち付けられ、汗で濡れた指から簡単に剣が吹き飛ばされる。


 キンッ──!!


「ッ!! はぁっ……はぁっ……」


 乱れる呼吸を必死に整えようと胸元を押さえる。

 それでもなかなか呼吸は落ち着いてくれない。


「もう一回、お願いします!!」

 肩で息をしながら、必死にくらいつく。


「ダメだ。今日はもうあがれ。毎日毎日傷だらけになっても食らいついてくるのは賞賛に値するが、体を休ませることも訓練のうちだ。闇雲に打ち合うだけで上達するなら、それこそ騎士たちの立つ瀬がない」


 確かにそうだ。

 悔しいけど。

 でも私には5年しか時間がない。

 5年で先生を超える力を持つことができるのか。

 いや、持たなくちゃいけない。

 だからこそ、どうしても焦ってしまう。



「わかりました。今日もありがとうございました!! 先生大好きです!!」


 そう言ってふにゃりと笑った私は、指導後の恒例となった愛の言葉を彼に落とす。


 最初はその言葉一つ一つに眉を顰めていた先生だけど、最近では受け流すと言うことを覚えたらしい。

 無表情でスルーされる。

 先生、つれない。


「あ……。先生、明日から夏休みですよね!! お願いがあるんですけど」


「却下だ」


「私、カナレア祭に行きたいんです!! 連れていってください!!」


「人の話を聞け、却下だと言ったはずだ」


 頑なに却下を言い渡してくる先生。

 それでも、こればっかりは負けるわけにはいかない。

 


「どうしても、いかなきゃいけないんです!!」


 私は強く声を荒げた。

 まっすぐにそらすことなく先生を見る。

 どうか伝わってと願いながら。



「はぁ……」


 しばらくするとため息を一つついて先生が言った。

「カナレア祭の日は、私もレイヴンもレオンティウスも大事な会議がある。……騎士を数名護衛につける。絶対に逸れるな」


 いってもいい、ってこと?

 そっぽを向いていう彼に、私はたまらなくなってはキュッと抱きついた。


「ありがとうござますっ!! 先生大好きですっ!!」


「離れろ小娘。……また勝手に抜け出されても迷惑だからな」


 ベリッと私を無理やり引き剥がし、面倒くさそうに先生が言った。


 おそらく昼間の、部屋を抜け出して図書室にいたことを言っているのだろう。

 これは分が悪いやつだ。


「は、ははは。じゃ、じゃぁ、私、お先に部屋に帰りますね、ありがとうございましたぁー」


 不穏な空気を察して、私はそそくさとその場を後にしようとした。


 が、「まぁ待て」手袋越しだが大きく骨張った手によって逃亡は阻止された。


 頭を鷲掴みにされたまま固まる。

 地味に痛い。


「アレンと手を握りあっていた件に関してはまだ報告を聞いていないが、君は私に教えを乞う立場でありながら、保護される身でありながら、勝手に行動した挙句に報告を怠る気か?」


 月に照らされてアイスブルーの瞳がぎらりと光る。


「あ〜……、いや、そのあまりにも暇すぎて、つい」


「ついで脱走するのか君は。ならば脱走しないように首に鎖でも巻いておくか?」


「先生、やっぱりそんな趣味が!? でも先生ならウェルカムです!!」


「君は馬鹿か。あぁ、そうか、馬鹿だから図書室に行ったということか。せめて学をつけようと? その心意気は認めんでもないが、君が人に見つかると面倒なことになる。くれぐれも(私に)迷惑をかけることの無い様に」


 それだけ言って、先生がそっと私の両手を取った。


 ドキッ──……


 鼓動が速くなる。


 瞬間、先生の手のひらから水と光が溢れ、私の小さな手を包んだ。


「治癒魔法が効かん……か」


 そう。

 どうやら私には治癒魔法が効かないようなのだ。


 毎日繰り返す訓練で、マメができてそれが潰れて傷だらけになった手を、以前先生が癒やそうと聖魔法である治癒魔法を使ってくれたことがある。


 だけど傷は綺麗に治ることはなかった。

 せいぜい滲んだ血が止まるくらいのものだった。


「血が止まってくれるだけで十分ですよ」


「君は紛いなりにも女性だろう。嫁入り前の娘が傷だらけなど……」


「紛いなりでもなんでもなく、完璧に女です。それに、嫁になんか行きませんし」


 時々彼は父親のようなことを言う。

 おそらく彼本来の面倒見の良さゆえなのだろう。


「今はそうでも、いずれは好きな男でもできて、嫁に行くものだ。貴族の娘であれば、君ぐらいの歳から婚約しているものも多い」


「いいんですっ! 私は他の男になんて興味ないんで! 安心してください、私は先生一筋なんで!」


 触れられていた手を握り返して、私は言った。


「……それに、この傷は──私の勲章なんで。私が、大切なもののために努力した証。──私の宝物の一つですよ」


 じっと見つめ合う。


 あぁ、綺麗。

 アイスブルーの瞳が、私のすぐそばにある。

 このまま、この桜色の瞳と溶け合ってしまったら良いのに。

 そう思わずにはいられない。


 しばらく見つめ合った後に「……君がいいと言うなら、私が言うことでもない。行くぞ」と言って、先生は背を向けて学園に向かって歩き出した。



「あ、待ってくださいよ〜。今のは完全にキスの流れですよー!」


 叫ぶ私の声は届いていたのか届いていなかったのか。


 先生のみぞ知る。

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