第5話 出会い

「はじめまして、姫様。私はこの度お父君に仕えることになった者で、ゼノンと申します。以後、お見知りおきを。」

 ロゼがゼノンと出会ったのは十年前ーー七歳の時だった。

 百合の花が咲き誇る庭は、亡き母のお気に入りの場所で、母を喪ったばかりのロゼは、よく入り浸っていた。

「……そう。」

 大事な場所に勝手に入ってこられた気がして面白くなかったロゼの態度は素っ気ない。にこやかなゼノンの笑みも、ロゼにとっては胡散臭いだけだ。

「……まだいるの?」

 あいさつが終わったにもかかわらず庭に居座るゼノンに、思わずロゼは眉をひそめる。これ以上、何の用があるというのか。

「姫、私を見て何か思い出しませんか?」

「言っている意味がわからないわ。」

 愛想のないロゼに反し、なぜかゼノンはニコニコ笑って上機嫌だ。その理由に見当もつかなかったロゼは、ますます胡乱げな眼差しをゼノンにむける。

「おやおや、つれないですねぇ。……では、これに見覚えはありませんか?」

 そう言ってゼノンが取り出したのは、レースのついた蝶の柄のハンカチ。ただし、元は淡いピンク色だったそれは、すっかり変色してしまっていた。

 ハンカチに覚えがあったロゼは、まじまじとゼノンを眺めまわした。

「あなた、あの時の行き倒れ?」

 半年ほど前、川原で見つけたと領民が騒いでいるのを見かけたロゼは、その行き倒れを屋敷に連れて帰って世話をした。母の病状が悪化しており、願掛けのような気持ちで人助けをしたのだ。

「ハンカチを返しにきたの?」

 それ以外自分への用を思いつかなかったロゼは、返してもらおうと手を伸ばした、が。

「いいえ?」

 にっこりと笑みを浮かべたゼノンに、ひょいっとハンカチは上へ持ち上げられてしまった。本来の持ち主はロゼなのに、理不尽だ。

「じゃ、何のため?」

 ロゼがじっとりと恨めしげな目付きになったのも無理はないだろう。だが、そんな反応はお構い無しに、ゼノンはロゼに跪く。

「もちろん、あの時の約束を果たすためですよ。」

「約束?」

 何かしただろうかとロゼは首をかしげるが、ちっとも思い出せない。そもそもゼノン自体、半年前の行き倒れとはあまりにも違っていた。

「ええーーあなたの、軍師になる約束を。」

 ぼうっとしていたロゼの手に、ゼノンがそっと唇を落とす。あまりの出来事に、ロゼは大いに混乱した。

「! は、はなして!」

 恥ずかしさのあまり、ロゼの頬に熱が集まる。きつくゼノンを睨み付け、手を振りほどこうとした時、ロゼの耳に甘い声がよみがえった。

『あなたが望むなら、世界さえ滅ぼしてみせましょう。だって私はーーあなたの軍師なのですから。』

(あっ……)

 思い出した。


「おや、姫君。今日はいつになくご機嫌斜めですね。」

 その日ロゼは、ゼノンの部屋の花の水を替えていた。もちろんロゼ一人でゼノンの世話など出来るわけがなく、メイドたちに手伝ってもらいながらだが。

「叔父様が来たの。」

 不満を隠そうともせずに、ロゼは膨れっ面をした。

「叔父様……ああ、ミストリア子爵ですか。たしか、お父君の弟さんでしたね。」

「叔父様が、お母様の病気は治らないっていうの。お母様は人じゃないから、人の薬じゃ治らないって。」

 そこまで言って、ロゼはポロポロと涙をこぼした。いい加減、我慢の限界だった。

「人じゃないって何!? 私もお母様も、人間だわ!! 何でいつも、叔父様たちはお母様に意地悪ばっかり……!!」

 言いたいことはまだまだたくさんあるのに、出てくるのは嗚咽おえつばかりで言葉にならない。泣きじゃくるロゼのようすをしばらく黙って見守っていたゼノンは、あちこち痛む体に鞭打って手を伸ばした。ぽんぽんと、なだめるようにロゼの頭を撫でる。

「泣かないで下さい、姫。大丈夫、あなたには私がいます。」

 気休めの言葉でしかないとわかった上で、ロゼは尋ねた。

「本当に? 私が人間じゃなくても?」

 ちょっとした意地悪心でそう質問したロゼは、心の底から後悔した。

「ええ、もちろん。あなたが望むなら、世界さえ滅ぼしてみせましょう。だって私はーーあなたの軍師なのですから。」

 にっこりと晴れやかに笑うゼノンの姿を見てしまったために。


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