第36話 守護霊の加勢
矢は斜面を滑るように吹石の背を狙う。
目の前の鎹たちへの対処で背後まで気が回っていない。
「盛作!伏せろ!」
襲い来る男たちを捌きながら、綾森は叫ぶ。
気絶した男を踏み越え駆け寄る。
間に合わない。細長い矢の先が死神の鎌のように迫るのが、録画のコマ送りのように見えた。それがまるで死ぬ間際にくるくる廻る走馬燈のようで、背筋が凍り、血流が燃える。
「盛作……!」
無情なる死神の鎌は確乎とした絶望を孕んで彼に迫り、突き刺さった。
鎹が叫ぶ。
「あの野郎……外しやがった!」
鏃は地面に埋没して、痩羸たる袖摺節と黒羽がふるふると揺れている。
吹石の左踵から僅か一寸程度の位置だ。
それだけではない。
「な、何だ……キエエェェィ!」
頭上、楢の林の奥から甲高い絶叫が聞こえたかと思うと、崖崩れの兆しのようにごろごろと斜面を転がってきた。泥にまみれた童顔は上坂初湯だ。
更に、もう一度ザザザザーと斜面を器用に滑って何者かが現れる。
「何だてめえは!」
「誰?」
「小野寺さんか?」
鎹が吠え、綾森が誰何し、吹石が期待する。
危難に現れた救世主は左腕を水平に浮かせる。ちゃりちゃりと小銭が擦れるような音がした。
闖入者……この時は、この場の誰もその素性を知らない前谷上智であった。
「情けない、情けないぞ!吹石盛作……綾森様の伴侶として、その体たらくは何事ですか!見かねて出てまいりました……さて」
前谷は純愛特有の瘴気と狂信者特有の覇気を纏わせて、鎹たちを睨む。
「不埒な匪賊、穢多なる野猿どもよ!麗しき綾森様に対する狼藉、断じて許し難い。あああ、天神地祇、トイレの女神様から世界中の神から雑草に至るまで総意で許したとして、綾森様の守護霊たるこの私が許さない!」
「な、何だこいつは……狂ってやがる」
「や、やべえ……」
それは、酒毒煙害に侵された半病人が一瞬正気に立ち返るほどの異常性を放っていた。
「吹石盛作!案山子のように立っていないでさっさと殲滅しなさい!
そう叫び、左手を振る。ちゃりり、と音がして長細い鎖が飛び出す。
黒滔々たる夜の川のごとき流れるような動作で鎖を操り、分銅が鎹を取り巻いていた一人の眉間にぶち当たる。
信号機が切り替わるように白目を剥いて倒れるのと同時に我を取り戻した吹石が別の一人の首筋を強打して意識を刈る。
一拍おいて相手も我を取り戻したが、勝負の流れは完全に傾いていた。
「うがぁ!」
「くそ、やっぱ強えぇ」
綾森も勢いづき、大方を蹴散らして吹石の守護に向かう。その綾森を守護するのが鎖分銅を手にした前谷だ。
「畜生……うりゃあああ」
鎹は捨て鉢になって大上段に振りかぶり、吹石の眉間に赤樫を振り下ろす。たとえ胴を叩かれて肋が折れても胸を突かれて肺が破られても脳天を砕いてやるという気概が伝わる。
吹石は下段に構えた木刀を、瀑布に抗う鯉のように力強く持ち上げる。
全て、思い描いていたように。
手にはしっかりと衝撃が伝わり、赤樫は肩の側を通って地面に叩きつけられた。
地面では鎹が膝を抱えて呻いている。
十を超える武装した男たちが地面に伏し、男二人と女一人が息を切らして戦場の中に立っている。
「はぁ、はぁ、危なかった……あの、助かったよ。助かったけど……君は誰だ?」
「だから言ったでしょう。綾森様の守護霊だと」
「え、こころの知り合い?」
「いや知らない男……いえ、どこかで見た記憶もあるわ……」
「守護霊ですから、基本存在を感知されてはいけないのですよ。此の度は出過ぎた真似を、どうか罰を」
ちぐはぐな会話をしていると、またもやどこからか声がする。
今度は頭上からではなく道の先からだ。
「吹石くん!綾森さん!……あんまり心配する必要なかったかな」
「お、お、何か混沌と面白そうなことになってるねぇ」
息堰切り跌蹏する小野寺と、ここに至ってなお物見遊山のように嘯く隠岐の大分遅れた到着であった。
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