第34話 白石の切り火
白砂の庭に、激しい闘気が満ちていた。
暴嵐のような太刀を、綾森さんがいなし、跳ね返す。
その立ち回り、足さばきは嵐に抗い山を登る鹿のように見える。
一見翻弄されているようで、立ち位置、目線、全て吹石くんを守るために稼働している。
その吹石くんは微動だにしない。石像のように下段構えのまま動かない。
「ヤァッ」
綾森さんの凝縮された気勢が、敵の足をすくませ、そこに矢のような突きを見舞う。
辛うじて躱した敵の足元に、刃風が迫っていた。
石像が動いた。ぐらりと傾く体に、今度は綾森さんが仕掛ける。
足と首と胴体が別れた敵は、無残に転がって霧消した。
仮想敵との戦いは、白々しさなんて微塵も感じさせない気魄があった。
「よくここまで……」
荒砥さんが感慨深く呟く。隣で、どうしても見物したいとせがんだ浅瀬先輩と、せがむこともなく当然のように居座っている隠岐さんが疎らな拍手をしている。
「いやぁ、見事だね。さすが紡だよ。よっ、日本一!」
「意味がわからない。どうかな、篠上幽遠には勝てそう?」
「まず、七割は堅いかな。あの耄碌爺が、助太刀を誰にするかによる」
「流石に二対一ってわけにはいかないか」
「そりゃね。でも、向こうに卑怯な真似はさせないよ。譲羽が誓う」
ということは、この仇討は譲羽のバックアップで行われる。
吹石くんたちは仇討ができて、譲羽にしてみれば迷惑な駒を捨てられて、荒砥さんは友人としてのメンツが立つわけだ。僕としても、譲羽が後ろにいるとなれば安心できる。
浅瀬先輩は、汗みどろの二人に声をかけて、何事か声をかけている。
更に荒砥さんにも手を取って、涙を浮かべながら感謝している。ああいう姿勢が、部員に慕われるのに必要なんだろうね。大垣先輩と違うとこなんだろう。
「あ、そういえばさ」
「ん?なになに?ボクのスリーサイズ?上から1.2:3228:25だよ」
「先進国の人口ピラミッドみたいだね」
「あはははは。ちなみに、視力:肺活量:靴のサイズ、だよ」
「へぇ。まぁそれはいいんだけどね。この前、言いかけてたことあるじゃん?」
「んぅ?」
道場での異変を、荒砥さんが報せに来る時だ。
『これは余談だけどさ……篠上道場は……』
「ああ、あれか。すっかり忘れてたよ。いやね、篠上道場の主な門徒を調べてたら、意外な名前に行き当たってさ」
「意外な名前?」
「そ。松阪夏丈、一時は師範代まで務めたらしいよ」
「松阪先生が?そうなんだ……」
そこまで話したら、浅瀬先輩が声をかけてきた。
「小野寺君も、本当にありがとうね。綾森も吹石も、精一杯頑張って、誰にも負けない実力をつけてた。私もすっごく応援された気分よ。二人をあそこまで導いてくれて、本当にありがとう」
「そんな、導いてませんよ。行き着く場所に、自然と行き着いただけですよ。僕がやった事なんて、ちょっと道を整地したくらいで」
「うふふっ。白記も同じようなことを言ってたわ。……名残惜しいけど、大事な話があるみたいだから私はお暇するわよ。小野寺君、剣道部に興味があったらいつでも来て。あなたには必要ないかもだけど、何か得る物があるかもしれないから」
慈母のような微笑みを残して、先輩は庭の隅のくぐり戸から出た。白石の庭は、通用口が二つある。先輩が出たのは玄関前の細長いスペースにつながる木戸。もう一つは、着替えの最中やトイレ中に災害等が起きた時に外に出るための、小さな萱戸(注:見取り図も参照ください)。
「小野寺さん!」
荒砥さんと話終わった二人がこっちに向かってくる。三味線の弦のように緊張した面持ちだ。荒砥さんにこれから仇の名を明かされると告げられたんだろう。
「……」
綾森さんは顔をこわばらせながら、目をカッと見開いている。肩に、ポンと荒砥さんにの手が置かれた。
「じゃ、いいかな」
「お願いします」
「仇は篠上幽遠。佃島天台地蔵尊近くに道場を開いてるよ。年は五十八、腕は一時期からかなり衰えてる」
「そうなのか……」
「ただ、あそこは不良門弟がとにかく多いからね。実質ヤクザだ。鉄砲玉の中には危険なやつもいるだろうさ」
無益な忠告をしなくても、二人に慢心も過惕もない。
「仇討ちは、篠上道場で行うよ。卑劣な真似をしないよう、譲羽が見届け人を出す」
「はい」
「明後日、正午。いい?」
「はい」
「ま、遅れてもいいけどね。巌流島みたいに」
隠岐さんは宮本武蔵のあの逸話が大のお気に入りなんだ。多分二人は律儀だから、遅れることはないと思う。
「小野寺さんも、来てくれるんですか?」
「あはは、もう形ばかりの師弟も終わったから普通でいいよ……出来れば行きたいけどね」
僕は大谷さんの事件を収めなきゃいけない。
もう既に、ほとんど答えは出てる。
ただ、あと一つ、雫が足りないんだ。
「じゃあ、俺たちは帰ります」
「今までの助力、心から感謝します。本当にありがとう……」
「そっか。がんばれ〜」
「武運を祈る」
「……うん」
戦場に向かう剣士に、飾った言葉はいらない。僕なんて、言葉一つ浮かばずにうなずくことしかできなかった。
それもまた味気ないから、白石を二つ拾って軽く打ち鳴らす。
火花は散らないけど、切り火のつもり。
一瞬きょとんとした二人は、ふっと淡く笑みを浮かべた。
***************
僕と荒砥さんと隠岐さんは、中央棟へ並んで向かっていた。
僕は周が待っているし、もう帰るつもり。
荒砥さんも、ずっと一色さんから離れてるわけにはいかないと、帰城すると言った。
隠岐さんは、知らない。
「勝てるかな」
「勝つ。絶対に勝つ」
「荒砥さんは見に行くの?」
「そのつもりだ。最後まで見届けたいし、もし門弟が暴れ出したら鎮圧に加わるつもりだ」
お前はどうなんだと、目で訴えてくる。
「うーん、僕も同じく行きたいんだけど……大谷さんの件が片付いてないのに顔を出すのもちょっとね……」
「それは、な……すまない、そちらには全く役立てていないな。やはり、私にそう言ったことは向いていないようだ」
「そんなことないよ。荒砥さんは誠実だから、人の心を動かせる」
「……」
「紡はほんとにはっちゃんに優しいねえ。ボクにも優しくしてくれたら、デレデレになるかもよ〜あはははっ」
「隠岐さんは胡乱だから、人の心を動かせる」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
なんにせよ、土日でできることは少ない。大谷さんの件は来週に持ち越すことになるだろうけど、そのまま仇討ちに立ち会う気にもなれない。
「紡も紡で、無駄に頑なだよね」
隠岐さんはそう言う。
言われなくても、僕はこの件に深く入り込みすぎてるのは理解している。
仇討ちの場が成った今、これ以上何かをする義理はない。大谷さんの件だって、御嬢様方に任せておけば勝手に始末される。
それでも、たとえ一時平和を投げ捨ててでも、ほっぽり出したくない、そう思っている。
「小野寺……」
荒砥さんが、何かを言おうとした。
もしかしたら、肩をポンとされるかも、と少し期待した。
その期待は、悲鳴のような声に吹き飛ばされる。
帰ったはずの浅瀬先輩が、憔悴して駆けてくる。
「白記!い、一緒に来て!」
「な、何事だ」
「いいから、お願い!二人が、危ないの!」
「落ち着いてくれ!何が」
乱れた息を整えて、浅瀬先輩が告げた。
「さっき、鎹たちが密談してたのを見たの。男子部員が、十人以上揃って二人を襲おうとしてるのよ!」
仇討ち前、最後の試練がまだ残っていた。
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