第29話 渡り鳥の仇討ち

学園内で殺人事件。

通常なら泡を食ったような大騒ぎになるものだろうけど、深舎では初めてのことじゃない。

日常茶飯事ではないし、稀な出来事ではあるけども、時々残酷な事件が起こる。

それはなにも家柄の争いや政治的なはかりごとに限らず、男女関係のもつれや単純な恨みつらみだったりするらしい。

多分、生徒数三千人超という大所帯が、所々で軋轢を生んで、歪みから溢れた怨毒が引き金になるんじゃないかと思ってる。


学園も、こういったケースに備えて、すぐさま対策を練る準備をしている。

刑事ドラマで見るような捜査会議みたいに、二列の長卓に腕を下ろし、パイプ椅子に座る。

梅雨前の湿気対策で乾燥機が作動している。

部屋にいるのは教職員数名、今回の件に関わりが深い荒砥さん、その主人一色さん、そして隠岐さん。譲羽さんには刺激が強すぎると参加を拒否した。殺人の処理会議に妖精様は不似合いだから。

さらに、不機嫌そうな顔の風間さんの姿も見える。もちろん側には魚住さん。

後は、学園側として協力を仰がなきゃいけない相手として、浅瀬先輩と大垣武蔵おおがきむさし先輩。男子部長の大垣先輩を初めて見たけど、肩幅の広い、どこか求道者めいた人だ。

二人の側には松阪先生が座っている。

一人だけ、斜め前方……いわゆる司会席に座っているのが、生徒会長の深草織部ふかくさおりべ先輩。初代学園長の血をひく、代々生徒会長を務める深草の末裔。

……生徒会長が世襲制って、入学した時には驚いたけど、実際は世襲とは言えないんだ。

生徒三千の中から選ばれた生徒会長は、深草家に養子入りする。卒業後は、科学人文問わず学問の世界ならばどこへでも道は開ける。

深草家は、学者の家系として世界に名を馳せているんだ。もちろん、家系図の大半は縦二重線で繋がっている。

生徒会長として選ばれるには、熱意や改革意識だけではダメで、明晰な頭脳と一途な探究心が求められる。深草先輩も、その点を完全にクリアしてるみたいだけど、生徒会長としてはどうなのか、と思ってしまった。

深草織部先輩は、本草学の研究者を目指していて、すでに強大なパトロンと受け入れてくれるイギリスの大学を得ているんだとか。

御令嬢とはまた別の意味で、物凄い人なんだ。


そんな深草先輩は、暖かくなってきたにもかかわらずボロボロのコートを羽織って、司会席で震えている。

顔色が、地面から顔を出したサツマイモみたいに悪い。紫と黄土色が混ざったみたいだ。


「えほっえぅほっ」


なんか、気味の悪い咳してるし、大丈夫なのかな。


「げほぅっ!失礼。ちょっと、毒草を食べ過ぎてね」


誰に言い訳してるのか。まぁ飛沫感染するウイルスじゃないならいいんだけど。


先生方はというと、もう我関せずと見守りに徹している。

生徒の自主性を尊重する、というのはよく聞くスローガンだけども、深舎だと自主性ではなく自治性を求められる。

いつの時代でも国の最上層に棲む人たちの子息が在籍している深舎では、教職員がどうこうするよりも有力生徒と、その親に処理を委ねた方が賢明だって判断だ。

今年の有力生徒、風間さん、一色さん、譲羽さん......の代理として隠岐さんがこの場にいるのは当然だと思う。

三人と比べたら草履虫ほどの力も持たない僕の顔が間抜けに並んでるのは、かなり不思議ではあるけども。本当に、この学校はどうなってるんだろう。

でも、好都合といえばこれほどの好都合もない。

この場には吹石くんと綾森さんはいないけど、普段から行動を共にしている二人には真相を、不完全でも明かさなきゃいけないだろう。その時に、仇討ちに支障が出ないようカバーしてあげないと。

正直、酷いようだけど、僕にとって大谷さんの死より二人の仇討ちの行方の方が数十倍大切なんだ。

恙無くその時を迎えられるためには、この事件に顔を突っ込むことも臆さない。空気を読まないことに定評がある僕です、はい。


「げほっ。ああ、やっぱり眩暈がする。でも心拍は弱いな。君影のコンバラトキシンの強心作用が抑えられている……?」

「考察は後にしてもらっても宜しいかしら?」


明らかに苛立った様子で風間さんが言う。

隣に氷山が浮いているような冷風を浴びる僕のことも考えてほしい。強心作用どころか止まっちゃいそうだ。


「小野寺」

「え?」


船を沈める巨大氷山と、哀れなジャンク船小野寺号の間に、魚住さんがいる。

憚り声で、普通の口調で話しかけてきた。


「今回の件は、あなたが関わってるの?」

「うん」

「そう。積極的に関わるなんて珍しいじゃない。……どうせ、騎士絡みよね」


ヘッドドレスの後ろ側を少し摘んで、羨むように膨れる。魚住さんの青みかかった髪はとても端正で綺麗だと思うけど、荒砥さんの金髪には敵わない。

あれこそが本物の金で、他は全て黄色にしか見えないレベルだ。


「でも、魚住さんの髪も良いと思うけどね」

「……真意?」

「うん。その格好にマッチしてるし」


荒砥さんにヘッドドレスを着けても、こんなに似合わないだろうから。


「お嬢様に仕えるために、一生懸命容姿も挙措も磨いてきたから……ふふっ」 


機嫌を良くした魚住さんが、風間さんの方に近づいて行って、何か囁いた。

すると、部屋を極地にしていた氷山の冷気がおさまって、一般家庭用冷蔵庫程度になった。

それを機に、会議は踊り出す。


「こほっ。まずは、情報を共有しないとね。えー、被害者は大谷方子、二年生。剣道部の道場で刺殺体で発見された」


警察沙汰になるとまずいので、検屍は専属医が行った。


「所見を配るよ。ちょっと口には出したくない内容だからね」


普段授業で配られるプリントよりも殺風景な、いかにもな検屍報告書(もちろん、本物の法医学者が作ったわけじゃないから、本当にこういうものかはわからない)に目を落とす。


資料を見て、深草先輩の顔が青いのはこれを見たせいもあるんじゃないかと思えた。

まず、死体の状態からなんとなくは想像してたけど、大谷さんには強姦の形跡が残っていた。恐らくその時につけられたと思われる擦過傷や鬱血痕、打撲が体のあちこちに残っていた。

でも、致命傷になったのは、腹部の刺し傷だった。

もっと正確に言うと、仰臥の姿勢で、鋭利な刃物が垂直に、子宮を貫いていた。死因はショック死。

全身傷だらけらしいけど、流血が目立つ傷は刺し傷だけで、他は打撲や擦り傷が殆ど。首から上には外傷なしとのこと。


つまり、犯人は殴る蹴るといった刃物を使わない暴力を浴びせながらレイプして、放心状態で横たわる大谷さんを突き刺した。そう予想される。


僕は、死体の状況から、ある程度まで想像してたのと、それよりも気がかりなことがあるから衝撃は少ない。

でも、他の人、特に女性は苦しそうな表情を浮かべている。その場にいなかった風間さんや一色さんは顔を青くしてお腹を押さえてるし、魚住さんは少し椅子を寄せてきた。

隠岐さんは……彼女は別格で、特に機にする様子もなく頬杖をついている。

荒砥さんは、大谷さんの死因よりも友人の浅瀬先輩のことが気がかりみたいだ。


「できる限り、内々に済ませたいことではあります。ですがまぁ、大谷の親御さんを誤魔化すにも限りがあるし、早急に犯人なり生贄なりを捕獲しないことには、ね」


その生贄は僕のことじゃないよね。

学園側の思惑はどうでもいいけど、僕としても早く犯人を見つけなきゃいけない。


「それで、まずは操作方針なんだけど……風間さん」

「……はい」

「風間さんの傘下に、DNA鑑定機を警察に提供してる会社があったよね?隠密裡に協力を仰げない?」

「難しいです。司法の監視も厳しいですし、その目を塞ぐには風間満州の力も必要です。そして、この件は風間に何一つ義理のないことですので、恐らく断られるでしょう」

「ですよねー。ほんと、これだから殺人は嫌なんだ……私の在任中には、起こらないと思ってたのに」


脱力したように深草先輩が項垂れる。

毒が効いてきたのか、顔はサツマイモからナスにまで進化?している。初夢に出てきたら、三番目くらいに縁起がいいかもしれない。悪いかもしれない。

……来月あたり、生徒会長の毒殺死体が発見されなきゃいいけど。


「血液鑑定程度なら、協力しようと思いますが」

「ありがとう。ええと、それから……荒砥さん」

「……はい」

「一色さんから、犯人捜索を荒砥さんと小野寺さんに任じてほしいと、先だって連絡を受けたんだけど。それでいい?」

「よろしくおねがいします」


浅瀬先輩含めて大抵の人間に対してタメ口の荒砥さんが、慣れない敬語を使う。彼女の尊敬は全て一色さんに向かってるし、人によって態度を使い分けるのが苦手な人だから。とても共感できる。


「じゃ、お願いね。そして、浅瀬さんと大垣さん。当然だけど、部活動は当分自粛。それから、部員の評判が芳しくないから、くれぐれも気をつけて。彼ら、私の栽培室に忍び込んで貴重な鉢植えを割ったことがあるから、もしものことがあれば生贄は彼等だよ」

「完全に私怨。別にいいけど」


今のところ、状況的に怪しいのは鎹先輩をはじめとする剣道部員。彼らに対する聴取は、松阪先生が協力してくれるみたい。

それから、僕が吹石くんたちを尾行する前に、教室から出てきた男子生徒。名前は知らないけど、「泣き叫ぶまで甚振ってやる」とか物騒なことを呟いてた。それが大谷さんを指すものかわからないけど、記憶にとどめておく。

それから、綾森さんには幽霊のようなストーカーがいることも頭の片隅の留めておく。


「じゃ、一色さんが陣頭に立って、片づけてくれるってことでいいんだね。荒砥さんも小野寺さんも、上手く片付けてくれたらきっと山のように内申がもらえるだろうから……げほげほげほっ」


本当に、これでいいのかな。いや内申は嬉しいけど。うん、もらえるものを拒否しても仕方ないね。

とにかく方針は決まった。


深草先輩は生徒会のメンバーに肩を借りて退室、その後改めて厳重な緘口が命じられて、僕たちは解放された。

部屋から出た僕に声がかかる。


「紡、待ってちょうだい」


風間さんだ。


「事情は薄々しか分からないけど、きっと大変なことに巻き込まれてるのよね。いつも迷惑かけていることだし、何かあれば協力するわ」

「なんなりと仰ってくださいませ」

「心強いなぁ。じゃあ、御言葉に甘えて一つ、ああいや二つ」


二人の有難い申し出に、少し頼んでみた。

二人は顔を見合わせて、こくりと頷く。


「なるほどね……それなら意外と楽に済みそうよ。堅芽、すぐに調べ上げなさい」

「畏まりました」


それからもう一度励ましの言葉を投げて、二人は去っていった。

続いて、面白がるようなにやけ顔の隠岐さんがステップを踏むように近寄ってくる。

この状況で、よくそんな顔ができるなぁ。


「んっふ~。なかなか面白いことになってきたねぇ」

「残念だけど、これを面白いと思えるほど神経が成熟してないんだ」

「あっははは、逆に考えてみなよ。こんな悲しくて惨たらしいだけの現実だからこそ、面白く考えなきゃやってられないんじゃないか」

「……そうかもだけどさ。でも、それでも平和じゃないことを愛する気にはなれないよ。偽りでも、ね」

「不器用だなぁ、紡は。ま、そう言うところはあの騎士と似てるかもね」

「荒砥さんとお似合い?嬉しいな」

「随分と都合のいい耳だね。ま、頑張って。……紡が、ボクを情報屋として頼るなら、いつでも歓迎するよ。その覚悟があれば、だけどね」


終始悪戯っぽい笑顔のまま、ばいばーいと手を振って去った。その覚悟が決まらないまま学園生活を終えられることを切に願うよ。


「君、強いな」


平坦な声が後ろからかけられて、びっくりした。

聞いたことない声だなぁと思ったら大垣先輩だ。


「秘められた強さが、ある。吹石が羨ましいな。今度、身供とも手合わせを願いたい」


それだけ言って、頭を下げるとすたすた歩いて行った。常在戦場、と言った感じの隙のない歩き方だった。


「相変わらずね、大垣も」


頭を抱えて出てきたのは浅瀬先輩だ、その後ろで心配そうに荒砥さんが、更にその横に燃えるような髪の一色さんと、腕を組んだ松阪先生がいる。

浅瀬先輩が抱える頭から覗く顔色は決して良くはないけど、深草先輩の顔色と較べたら大分血色がいい。浅瀬先輩は白磁、深草先輩は青磁みたいだなと思った。


「大垣先輩って、なんだかイメージと違うなぁ」

「どんなイメージだったの?」

「男子部員の悪評ばっかし聞いてたから、山賊の首魁みたいなのを」

「そんなものよね。大垣は悪い奴じゃないのよ。いい奴でもないけど……剣には真剣、というかそれしかないって言ってるわ。卒業したら十年くらい中国へ武者修行しにいくのが夢なんだって」


世界的御令嬢が三人も集まる同窓生は物凄いと思ってたけど、さすが深舎、先輩もキャラが濃いのなんの。深草先輩、大垣先輩、他にはどんな魔物が潜んでるんだろう。


「熱心なのは構わないが、部長としての責任能力は皆無だな」

「仕方ないわ。鎹たちが、自分勝手できるように担がれただけだもの。摂関政治の幼少天皇と同じよ」


はぁ、とため息をついて、白記、小野寺、よろしくねと言って先輩も帰った。

松阪先生には、明日にでも鎹先輩たちに話を聞きたいと言った。今彼らは学校の寮の一室に軟禁されている。親から捜索願が出されそうなものだけど、二日三日家を空けることも珍しくないらしくて、そういったことはないみたい。


「それは、こちらが頼みたいぐらいだ。閉じ込めておくにも限界があるからな」


そう言って、手拭いで汗をぬぐった松阪先生の表情には、男子部員の誰かがやったと確信しているような色がありありと浮かんでいた。

松阪先生も、職員同士の会議の呼ばれていて、さっさと行ってしまった。


残されたのは、僕と荒砥さんと一色さん。

その一色さんが、僕を真紅の瞳で見据えた。迫りくる轟炎のような威圧感に、気温とは無関係な汗がだらだら流れる。

でも、かけられた声は春南風のように優しかった。


「白記をお願いね。強いけど、弱いから。白記を守りなさいよ」

「……騎士を守るってあべこべじゃないですか」

「あべこべを通すのが渡り鳥の役目じゃない。文句言わずにやりなさい。主である私にはできないことだから。お願いね」


一色さんは、本当に荒砥さんの事を大切に思っているんだなぁ。そうじゃなきゃ、人一倍プライドの高い一色さんが頭を下げて頼むわけがない。


「やりますよ」


全ては、けなげな二人の仇討のため。

渡り鳥は、話したことも無い女の子の仇を討つことにしたんだ。

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